命はふわりと浮いている
軽く握ってしまえば
容易く潰れる蚕のように
ぎゅっと捻ればそれは
簡単に歪んでしまうのです
命は燃えながら前を見据えて
必死に走り抜けて
ただ、ひとりぼつちの空で光る石は
きっと誰かのひとり生きる意志で
それを指差して
いつか人はああなるのよ
と誰かが囁いて
生まれるのを待つ魂は揺れて
命として生まれ変わるのを
じっと待つだけです
それなのに
いつしか命は
道具になりました
初めは生きるのが目的だった命は
いつしか幸せを掴むための方法となり
命は勝手に潰えて
勝手にぷかぷか
空気中に漂うようになりました
可愛い可愛い赤ちゃん
そう呼ばれていた命も
いつか悲しみを知り
きっと喜びを知り
最期、魂となって
ふわりと飛んでいきます
そこまで
幸せになることは重要ですか
家族、友達が居ない
誰の役にも立たない
それはいけないことなのですか
簡単に消えてしまう
蝋燭の炎より儚い命は
過去と比べると
幾らかは軽くなったのでしょう
発火した際に火を消す
その知識を得ても
自分の魂の炎の燃やし方は
自然に忘れていく
それが人間なのですね
繁華街のシャッターの
落書きのように
ほんの少しだけ
工夫をすれば
人生は狂い戯けます
そんな光だからこそ
だからこそ
面白いと思ったり
泣いたり喚いたり
歩き続けるのでしょうか
今日も朝日が照ってきましたよ
ほら、あんなに悲しくて温かい
みんなでいきましょう
あるいていきましょう
作品データ
コメント数 : 8
P V 数 : 1783.1
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 6
作成日時 2020-10-20
コメント日時 2020-10-22
#現代詩
#画像
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 6 | 6 |
閲覧指数:1783.1
2024/11/21 20時39分57秒現在
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>そこまで >幸せになることは重要ですか >家族、友達が居ない >誰の役にも立たない >それはいけないことなのですか ここを読んで思い出したのは釈迦の時代の出家者の詩集と言えるテーリーガーターにあった一文。 「生を厭わず、死を厭わず、正しく知り正しく思い、時が至るのをただ待つ」 何を持って正しく知り正しく思うのか。 当時の出家者は、一人で森や墓場で修行するのが勧められたりもした。 逆説的に幸せになる事が幸せではない、と言えるかもしれません。 一人で修行したのは、諸々の物は実体がない物と理解することに集中するためだったか。 実際、大乗仏教中観派はそれを強く言い、釈迦もそれに近い事は言っている。 それがちゃんと分かれば、ここの苦痛は乗り越えられ、テイーリーガーターの一文は理解できるかと。 個人的にはかわいらしく生まれ、軽く亡くなっていくのを見てきた牛たちのお陰で生きてきた面はあるので、なおも生きていきたいところです。
1まずタイトルに魅了されます。かなり古い作品ですが「存在の耐えられない軽さ」とか「美しき諍い女」とか長いタイトルの洋画を思い起こしました。それがもっと日本風にポップにアレンジされたような。内容は「それなのに いつしか命は」の辺りが少し説明的になってしまったかなと思いましたが「そこまで幸せに」辺りからまた序盤の詩情を取り戻しています。僕が目についたのはあくまで技術的な面で、このスタンス、着眼に磨きをかけるとより素晴らしい作品が書けるように思います
1幸せになるために生まれたのか、幸せは義務なのか?生きるのが重要なのに幸せにならなければ死にたくなるこの世界に意味はあるのか?などと考えているうちにこの詩が生まれました。命って難しいですね。
0今回の作品は元々別に自分が書いていた作品「命は軽くて美しい」(元々英詩でした。)に別に書いていた随筆の一部を加えて、色々アレンジしたものになります。なので、説明的になってしまったかなぁ?と思ってます。どこまで言えば相手に伝わるか難しいのでそこは何度も書いて、修正しての繰り返しになると思いました。 元は生きるのが目的の命がいつの間にか、幸せになるための道具になってるよなという疑問から生まれたものになります。もう少し、練ったら色々できそうです。
0幸せになるために生まれて来たはずだ、というのは安っぽい歌の歌詞だったか学生時代の社会福祉を担当していた講師の言葉だったのかは定かではないのですが、思い出せないと言うことはかなりどうでもいいと思って聞き逃していたのでしょうね。 >ほんの少しだけ >工夫をすれば >人生は狂い戯おどけます >そんな光だからこそ >だからこそ >面白いと思ったり >泣いたり喚いたり >歩き続けるのでしょうか そんな感じで歩き続けて今日一日、生きられたなぁ、とぼくは歩いている気がします。歪んでようが傷ついていようと軽かろうと、とりあえず生きているんだからそれはそれで幸せなんじゃないかな。良い作品を読ませて頂きました。
1命は大事だから大切にとよく言われますし、大切なものだからこそ使い方が大事だとも言われたり。命や魂への観念的な詩文から現実のなかの命や人のあり方への問いかけと。たとえばですが、コロナ期に女性の自殺率が高くなっているというニュースや高齢化社会、優生思想や安楽死をめぐる意見などを見聞きします。だからでしょうか、メッセージのようにも感じ取られました。最後の悲しくて温かいという言葉が切なく響きますね。 私も昔に「界」のタイトルで作品を書いたことがありました。字面とカイという音韻のイメージからのものでしたが、文字でかたちづくられたこちらの「命」の画像を見て思い出しました。
1幸せにならねばならない。人は無意識に考えながら、つまらないと言ってみたり、幸せを模索して泣いたり必死に生きているように見えます。生きてさえいれば負けることはない、と某文豪が言っていた台詞を心に抱いてなんやかんやで生きてます。こちらこそ、読んでくださりありがとうございました。
0命は大事だと人々が言うのは大抵誰かが急に亡くなったときなんですよね。そして、それを忘れてずっと繰り返す。生きるのが大事と言いながら、辛いと泣く人間の矛盾が面白くもあり、悲しいものだと思うのです。だからこそ、歩かないといけないのかもしれません。生きないといけないかもしれません。 コメントありがとうございました。
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