作品を読む
どこにもない思い出の美しさ
※推薦文を書くのは初めてなので、拙いところが多々あるかと思いますがご了承ください。 この詩、詩というか掌編小説というか、まあどっちでも私は気にしないのだが、まず語り口がいかにもサリンジャー的である。 >まいったよ、 冒頭から村上春樹の「やれやれ」に通じるアメリカ文学のよくある言い回しだ。 >もう九月もお終いだなんてね。コロナでいろいろ暇だからグリーンデイばっかり聴いてぼやぼや暮らしてたよ 新型コロナであろう、つまりこの作品は現在時点で書かれている。グリーンデイは知らなかったが、アメリカのバンドらしい。 >そっちの暮らしはどう?うんそうか、そんなところだね。 手紙という体裁ながら、「そんなところだね」と自ら答えてしまうところもいかにもアメリカ的。 >詩はもうめっきり書かないかな。 やはり詩じゃないのだろうか。 ただ詩自体、メタ的に描かれるだろうから、作中に詩ではないという文言が出てきても、詩でないという否定材料にはならない。 >魔法は使えなくなっちゃったしね。 これはちょっとよくわからない。 >そうそう、あの時の友だちと詩の話してたときに、たぶん夙川かどっかの夏祭りを、おじいちゃんやおばあちゃん、おじさんおばさん、その他諸々と歩いたことを思い出したんだ。透明のぷよぷよに閉じ込められて戸惑う金魚。りんご飴の暗い光沢だとか、焼きそばの匂い。クジで当たったのは化粧品を模したおもちゃで、香具師のおじさんが、それでキレイキレイにしてや〜と言うから、でも、僕男なんです、と言ったら、そんなん知らん、とにべもなく突き放されたこと。 突然思い出される記憶。しかもアメリカでなくて日本の和のテイストだ。 >セミの軍隊が徐々に敗北していって、最後の一匹になること。 >かさぶたが少しずつ小さくなっていくこと。 >弟が産まれたこと。 >神さまはいらないものはなにひとつくれなかったのに、思い出ばかりくれる。 >そうそう弟にも子供が産まれたんだ。笑ったときなんか、あの時の弟とほんとにそっくりでね。 矢継ぎ早に回想が広がりを見せる。弟→神さま→弟 ぐるぐると思考の回転がみてとれる。このふた箇所の弟を同一人物だと読み取るなら、最初の弟は、赤ちゃん(生まれたとき)であったのに、次の弟はもう大人になって子供を産んでいる。時間差が激しく、人が何かを思い出すときの、時間軸を無視した飛び飛びの感覚をよく表している。 >あと、たしかダムに行ったのも九月だった。九月は黄昏の季節なんて小説のタイトルなかった?あの有名な詩のフレーズは何月が残酷な季節なんだっけ。 そういえば冒頭で九月と書いていた、そこからの連想だ。ここでも小説のタイトルを問いながら、詩のフレーズも同時に問う。詩と小説のあいだで作品が揺れ動く。 >だいたい季節なんて不確かなものだね。僕たちの思い出ででしかない。 季節はたしかにはっきりとした区切りはないし、曖昧なものだ。思い出、そう思い出も曖昧なもの。時間軸を無視して行ったり来たりするものだ。 >そうダムに流れ星を見に行ったことだったね。南十字星の位置をふるえる指でさした。あたりはどこまでも静かで闇に沈んでいた。吐く息がぜんぶ白くなって消えた。 一転して寒くふるえる描写。 >あの雷の雨が降ったのも九月だった。州のすべてが夜通し停電して、やることのなくなった僕らはとりあえずドライブに出かけた。車道や、街並み、街路灯から信号機までのライトがなくなると、あとは世界は宇宙になってしまう。だから車はUFOだし、Too Young To Dieをかけながら、そのままミルキーウェイを征服するつもりだった。ははまいったよ、まさかみんな居なくなっちゃうなんてな。 先の文と同じ九月のはずなのに、ゲリラ豪雨のような蒸し暑さが伝わってくる。寒さと暑さ、記憶の曖昧さも相まって。 >そう九月が終わったらきっと十月が来る。はじめがあれば終わりがある。それがこの世の定め。 ここはサリンジャーよりも村上春樹寄りだろうか。 >この前、Tinderでスパイとマッチしたんだよ。シンガポール人だって言うけどそれはカバーストーリーで、本当はウクライナ人だろう、ってとこまでは推理は進んでるんだ。だってそうじゃないか?フランス語が喋れる美人なスパイと言えば、旧ソ連の出身の約束だ。 すぐに理解はできないが、流れから(回想記述の曖昧さによって)、ここまで読んできた読者は不思議にすらすら読めるだろう。 >世の中には約束されてることばかりなんだな。だけどなにも分からないよ。なんだか青空のようになにもかも分からないんだ。 わからないと嘆く。ここから一転↓ >ただね、季節の理解だけは深まっていくよ。全部やっぱりサイクルなんだね。時計の長針が一回転する。ルーレットが回って、ボールが跳ねる、跳ねて、転がる。自転車のスポークがギラギラ光る。丸いモスクのなかでスーフィーたちがぐるぐる踊る。丘の上の風車が、ゆっくりと小麦粉をひく。君の前の空間を人差し指がくるりと円を描いて。太陽や月が。人なんか花と一緒なのに。 わからないことだらけのなかでも、たしかなものがここで示される。サイクルというイメージをもって、曖昧さにひとつの痕跡を残す。 >実を言うと九月はこっそり革命を起こそうと思ったんだ。虹を渡す蜂起や。シャボン玉のクーデター。金の馬群と吊るされた王様。そんな九月になるはずだったんだ。 コロナで何もできなかったのだろう。その内面の反発が、豊かな映像的なイメージでもって描写される。 >こんなはずじゃなかったよね。なにもかも。思い出ばかりが増えていくんだ。 「思い出ばかりが増えていく」 それは既に、この作品自体が語っている。 そしてこのワード自体、読者の共感性も高いと思う。 >世界をひっくり返してみても、もうそんなのどこにもないのにね。 このラストの解釈は微妙だ。「そんなの」はおそらく、思い出を示している。つまり思い出は頭の中に溜まっていくが、実体は何もない、ということではないか。そう読むと、先のキーワード「思い出ばかりが増えていく」ことが非常に虚しく感じられる。と同時に、過ぎ去っていくことに執着しないというか、過去は過去でしかないという肯定的な意味合いにも感じられて、なかなか味わいのある末尾だと感じる。 思い出、記憶、回想に彩られたエピソードの拡散が、キラキラと輝いている。どんな思い出でもそれはたしかに美しい。たとえそれが、もう過ぎ去ってしまった実体のないもの、世界をひっくり返してみても、どこにもないとしても。
どこにもない思い出の美しさ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1433.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
作成日時 2020-10-04
コメント日時 2020-10-04
素敵な返信だな ラブレターをありがとう
0