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ここには
自分はどうやら 地球の反対側の生まれのようだ 昼は眠い 見知らぬ人たちに囲まれ 育てられ、笑い合って、夜は覚める ブラジルでもアメリカでもない 故郷を思いながら ひとりでに育っていく 笑って、吐瀉物にのせて、夜を吐き散らす 自分にもわからぬ言葉で刻んで ほんとうはわかっている 地球の反対側などどこにもありはしない 息もできない闇などありはしない それはなんて悪い心だろう なんて悪い心だろう 時間をギチャギチャに、千切りにして 透明なところだけを貪っている あらゆる過ぎたものを愛し あらゆる近いものを憎み 風邪になるのだけを畏れ 自分はなんていいのだろう なんていいのだろう どこにでもある音楽が夜明けの靄に侵されて いいものに思えてくる、砂がかけられて 声だけで欲情する歳でなしに…… こうしいる時にも 自分は星間を駆けめぐる 自分はサバンナで捕食される 自分は廃墟に生い茂る 自分は愛人の髪を梳く 自分は社会をテンプクさせ 自分は風をつかまえる 地球の反対側など ありはしない あちらが、零れそうに、光ってみえるのも 自分が何かを落としたからだ 遠く遠くにいる、自分の一匹が * 地球の反対側を たくさんの人が行き交う ほんとうのことしか知らず そのために声をもたない人たちが 自分が合うはずだった人も 自分があざむいた人も 自分が殺した人も 溺れながら、そのなかに溶けていく
ここには ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 882.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-16
コメント日時 2017-08-30
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
生きる、日常生活を送る、社会人として生きる・・・そのときに、違和感を感じる人と感じない人がいて、感じる人が、「表現」をしたくなるのではないか、と考えることがあります。 本作から、表現への切実な意欲を感じました。 〈それはなんて悪い心だろう なんて悪い心だろう〉と言い聞かせるのは、良識派の自分の意識であり、他方、 〈自分はなんていいのだろう なんていいのだろう〉と肯定する自分が、この詩の書き手、主体であるように思いました。 気になったのは、〈風邪になるのだけを畏れ〉と、〈こうしいる時にも〉風、こうしている、ではありませんか? パソコンの場合は、ワードに打ち込んで確認して、それをコピペする。スマホの場合は、フォーラムの投稿前のテストフォームを使われると良いと思います。編集ができない仕様になっているのは、投稿された作品にコメントを付けて頂いた後に、本文を大幅に訂正されてしまうと、コメントと符合しなくなる、そのような齟齬を防ぐため、だと(勝手に)思っています。 〈ほんとうのことしか知らず そのために声をもたない人たちが〉 声を持つ人、は、「ほんとう」でない世界で満足してしまっている、そんな人なのだろうか。ほんとう、を知っている人は、むしろ声を奪われてしまう・・・そして、人々の中に、埋もれてしまう、ということ、なのかな、と思いつつ・・・〈たくさんの人が行き交う/ほんとうのことしか知らず/そのために声をもたない人たちが〉文法的には、たくさんの人=声をもたない人たち、とも読めるな、と、ここは少し迷いました。 〈自分が何かを落としたからだ/遠く遠くにいる、自分の一匹が〉自分、という言葉がずいぶん頻発する作品だな、と思いながらも・・・なぜか「うるさい」と感じない。それよりも、表現の切実さ、が、先に訴えて来るから、なのかな。その意味では、まだナマ削りの感覚もありますが、その粗っぽさゆえに惹かれる。そんな「開示」があるように思います。
0まりもさん、コメントありがとうございます。 表現への切実さを感じた、とのお言葉、ありがたいです。 なんて悪いのだろう、に対比される、なんていいのだろう、には少し、過剰な自己肯定というか、自己満足のような調子を出したいというのがありました。(ここは「風邪」で合っているのです……そのように書くことで、「自分」のショボさのようなものを出さないかと考えました、もう一つのご指摘については、完全な誤字です、申し訳ないとともに、アドバイスいただき幸いです。) この言い切りの試み、あえて言い切ってしまう暴力性を出していく試みを は、センサイでも行なっているのですが、個人的にはこっちの方が成功しているかな、と思います。 最後は、たくさんの人たち=声を持たない人たち、ですね、わかりづらくしてしまって申し訳ないです。自分という言葉の連続は、意図的にしたことで、ありはしない地球の裏側におもいをはせることが、幻想として批判されつつも、その幻想にさらに埋没していく、というのを表現したかったのです。ご指摘のように、まだまだ彫琢の必要はあるものの、あえて彫琢しない、ということにも目を向けてみようという試みはあります。
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