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パレード
横断歩道を半分過ぎたぐらいで足を止めた 無数のヘッドライトが私を照らしている 青 "ある"か"ない"かより "見える"か"見えない"かに囚われ 青 噂の流行病より こいつらのほうがよほど人を、、、 青 一瞬、轢き殺される夢を見る 青、青、青 はさまれる栞は目には見えない 思い出に語られない日々で、出来ている私 愛で人は語れますか 夢に人は溺れますか それは、世界を二つに分けた時の些細な誤差 クラクションはパレードと呼ぶには騒がしい 精神的なものが飛躍してるわけではなく 身体的なものが遅れているだけ 悲劇が、数字に変わった時には人は すでに忘れていることを忘れている 知らない男に手を引かれ対岸についた私は、多分怒鳴られていると感じながらせっかく着てきた白いワンピースがそのままであることを確認して、また、歩き出す
パレード ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1629.7
お気に入り数: 4
投票数 : 0
ポイント数 : 5
作成日時 2020-08-30
コメント日時 2020-09-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 5 | 5 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 1 | 1 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 5 | 5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「愛で人は語れますか/夢に人は溺れますか/それは、世界を二つに分けた時の些細な誤差」 とか 「精神的なものが飛躍してるわけではなく/身体的なものが遅れているだけ」 など、解釈しようとすると手からこぼれ落ちていくような言葉の数々がとても印象的な詩でした。非常に深さを感じます。 「青」の連続もいいですね。とても、深みを感じます。 最後の 「知らない男に手を引かれ対岸についた私は、多分怒鳴られていると感じながらせっかく着てきた白いワンピースがそのままであることを確認して、また、歩き出す」 がなんとも。僕は主体を男性で読んでいたので、その驚きと同時に、解釈からこぼれ落ちる言葉の繰り返しに心打たれました。
2白目巳之三郎様 最後までお読みいただきありがとうございます。 性差はあまり関係ありません 綺麗な物を汚す願望を表現できればと思って「白いワンピース」を、選びました。 汚したいというと語弊がありますが 真っ白いキャンバスに絵を書いたりするような誰にでもある芸術よりの思考です。 スタートの無数のヘッドライドと 中間の"パレード"は群行の意で、つまりは社会的な動向。対比的な横断歩道の女性はスポットライトに照らされたマイノリティです。 青は迷ったのですが 現実に引き戻すアクセントで入れました。 細部まで評価していただきありがとうございました。
0blue, blue, blueという男のしかめっつらの声が「感じられ」ます。ろう者の語り手にとっては「青、青、青」という色だけど。 >一瞬、轢き殺される夢を見る はなくても読めると思います。
2白目巳之三郎さんが挙げておられる詩行を私もまた印象深く読みました。 車列に象徴されるような社会システムを構成する当たり前のことの中に満ちあふれた矛盾に対峙しながら、詩の語り手は怒りとは言わないまでも言い表しがたい思いを抱いているようです。それは、道路を横断中に立ち止まって自動車を見ながら「噂の流行病より/こいつらのほうがよほど人を、、、」と言葉を詰まらせるところや、自動車向け信号が青となって「クラクション」を鳴らされているさなかに、語り手がやはり交通事故とコロナ禍の死者数に思いをめぐらせているのか「悲劇が、数字に変わった時には人は/すでに忘れていることを忘れている」と独白するところから特にうかがわれます。 鳴海幸子さんはこの語り手を「ろう者」とみておられて、それは最終行で「知らない男に手を引かれ」「多分怒鳴られていると感じながら」からそう推察されたのかもしれないのですけれども、私は語り手が「クラクションはパレードと呼ぶには騒がしい」と言っているので「ろう者」とはみておらず、むしろ上述の名状しがたい思いの渦にとらわれているので目の前の人のアクションの意味が頭に入ってこないような乖離状態なのではないかと考えました。もっとも、語り手が「ろう者」であっても不自然ではありません(その場合は、こういうときドライバーは騒がしくクラクションを鳴らすものだと知識として分かっているからそう述べたと考えられます)。少なくとも横断中に立ち尽くす「私」の手を引いて「対岸」まで連れて行ったという「知らない男」もまたそう考えたのかもしれません。 「白いワンピース」は「そのまま」汚されることなくどこまでも歩いていけるだろうかと、背中を見送るような余韻の残る読後感でした。
1鳴海幸子様 青はシグナルです 全体構成として交互に出したのは 電気的な点滅も表しています。 思考は脳が引き起こす電気的な不連続の化学反応ですが、思考そのものは滑らかに飛躍できます。 人は何かを思った時に、すでに身体は遅れています。わかりやすいようにあえて愚鈍な例えをするなら、旅行計画中に旅行できないようなもの。 私も白いワンピースは着たことはないし、横断歩道で止まったこともありません。 身体的な煩わしさから 1番乖離しているのが 死ぬことのイメージです それは不可逆な理由に帰結しますが 実際は生きてる側から見て、死んでる側の反応がなくなっただけの一方的な評価です。 つまり二人でしていたことを1人でやらなくてはいけない些細な誤差。 死ぬことを夢に見たのは その乖離と同義の表現です。 いささか説明臭くなり申し訳ありません 読んでいただきありがとうございます。
1原口昇平様 お読み頂きありがとうございます。 それ以上説明のしようがありません 拙い文でしたが汲んでいただきありがとうございます。
0返信ありがとうございます。 しかし、私にはこの青、青という反復になにか有機的なリズム、たとえば人の声のような、を感じずにはいられないのです。そのことはこの詩を構成の上でも、感情の上でも支える土台になっていると思っていたので、 白目巳之三郎 さんへの返信で >青は迷った と書かれたのにおどろいたのでもあります。 感情、といったのはつまり交通事故とコロナ禍あるいは人の死に対する「怒りとは言わないまでも言い表しがたい思い」と原口さんがかかれたものですが、詩の後半では、これは私にとって不可解なことなのですが、それが諦観というかドライに語られている。私はむしろこの怒鳴る男の方に共感するのです。 一足遅れた戦友 さんの私への返信を読むに、作者自身は白いワンピースの語り手と同一の想念を持ちながら、両者は乖離している、いや、詩である以上それは当たり前ですが。あるいは乖離し切れずに最後には合一してしまった。 その想念とは、「身体的なものの遅れ、そして遅れないものとしての夢(精神的なもの)」というアイデアです。ここまではいい。 "見える" ものに囚われざるをえないという「矛盾」を語り手は糾弾しておきながら、結局は甘んじてその矛盾の中へ歩き去っていく。これが不可解です。むしろ語り手は夢の中にとどまり(「溺れ」)、轢き殺されるべきだった。しかし、そうしない、という全体的な反語を読むこともできますが、 身体的なもののなかにとどまるというならはじめから夢なんか見てほしくはないです。
1鳴海幸子様 深いところまで考察して頂き大変嬉しいです。 最初の鳴海様のコメントに対する私の発言は少し不適切でした。 作者である私自身の考えと 思った事を吐き出した"詩"そのものがまだ混ざっています。 確かに怒鳴っている男の方がよほど人間的で ワンピースの女性は盲目的かも知れません。 男性サイドとして、この詩にまた新しい一面ができて、鳴海様の解釈はこの詩の世界観を広げて頂いたようで勉強になります。 > 身体的なもののなかにとどまるというならはじめから夢なんか見てほしくはないです。 後から考えればこのもどかしさを書きたかったのかもしれません ただ、書いてる最中はただ、綺麗なままのワンピースを残念がってるだけだったし、生死の境を気にせず日常に戻っただけでした。 夢に見る刹那の飛躍が 垣間見て頂ければ幸いです。
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