寝そべって眩しく思いつつ、わたしはどうにも見上げるのです
見上げようにも見上げてはいない
その先に思いを巡らせるでもなく、どこか脳の皮質の表面から脳の髄に向かうような思考を俯瞰してみるのです
夜分に臥したら、当然ねむくなる
わたしは常人であるという過信があるから、考えるときは希薄な現実味も平生は観測することすらやめてしまうのです
網膜に痛みを感じるのが厭なの
わたしはわたしが泡沫でも、塵芥でも、花でもなく、「蛍光灯の明滅でもないと思ふのです」
いつかは気にしなくなったと思える
敢えてわたしを無機的に喩えるなら、ちょうど音のようだと思うのです
もう散々ですから楽にしてください
同心球の伝播の筈が、簡単に消され、歪められるのです
一思いに「コリャコリャ」と
ひとを詰るのではないのです
畢竟わたしがそのほとんどなのです
この詩もさしてはとどかないのです
作品データ
コメント数 : 1
P V 数 : 1197.1
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ポイント数 : 2
作成日時 2020-08-12
コメント日時 2020-08-20
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
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閲覧指数:1197.1
2024/11/21 21時30分11秒現在
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「敢えてわたしを無機的に喩えるなら、ちょうど音のようだと思うのです」この一節に密かな詩人の自負を感じるとても好みな詩でした。「蛍光灯の明滅でもないと思ふのです」や「コリャコリャ」あたりには宮澤賢治的ななにかを個人的には感じました。 最後の「ひとを詰るのではないのです/畢竟わたしがそのほとんどなのです/この詩もさしてはとどかないのです」という部分から感じる諦観は深いものがあって、そこはかとなさを感じました。自分の中の何かがはがされていく詩的体験を、久しぶりにさせていただきました。
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