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不信ロボット
人間の1/3は意識と無意識の間 分子は1。分母が3。 お母さんがだっこしている。 数字には感情がない。 それに気づく私はこの分数が不公平に感じてしまう。 先生、私はなぜ従わなければならないのですか。 言うこと全部に従わなければならないのはなぜですか? 感情と感性って自分の個性なのでしょうか? 人と向き合うことで個性もなにもかもなくなっていくはなんでなんでしょうか。 得ることは何かを捨てるということに気づいた私は人間を信じられなくなりました。 科学も発達すれば能力もさようなら。 道徳も倫理も常識すらも人間は意識していて、次は人間が怖くなりました。 自分の目はカメラだ。 カメラで撮ってきた人生観はスペクタルにも及ばなかったみたい。
不信ロボット ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1029.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2020-07-23
コメント日時 2020-07-25
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
読んでいて思ったのは、これはあまり大人の人が読みたがらない詩だな、ということです(悪い意味ではないです。読者を気持ちよくさせるのが詩の目的ではないのですから。また私は個人的に書かれないものを書いた文章が意味のある文章だと思っています)。この詩に書かれているのは一般的に「思春期」そのような言葉で片付けられてしまうもの、そういうことにして無視しておけるものだと思います。 なぜ大人の人が読みたがらない詩なのか、というと大人も、誰しも昔に「思春期」と名付けられた時期にこういうことを考えたことがあるけれど(本など読んでいてそう感じます)、忘れるかこういったものを無視するかして大人になったからだと思います。この詩には思春期的な嘆きだけがあるからです。 個人的には悲しいことがあって、じゃあなぜ悲しいのか、ということが重要だと思っています。 目がカメラ、という表現は好きです。まさにカメラになるしかないなあ、と納得しました。「謙虚さのない人間は消えろ」というのも全然謙虚じゃないのがいいと思いました。
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