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ママンへ(音声版)
ママンへ(音声版) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2427.5
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 15
作成日時 2020-06-09
コメント日時 2020-06-29
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 4 | 2 |
技巧 | 2 | 0 |
音韻 | 3 | 1 |
構成 | 3 | 2 |
総合ポイント | 15 | 7 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1 | 1 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 1.3 | 1 |
技巧 | 0.7 | 0 |
音韻 | 1 | 1 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 5 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ママンへ 鉄砲玉に鳴り止まぬ夕暮れ 腫れ上がる命だった 土踏まずに踏ませた「さようなら」の たんぽうぽ 晒に巻かれた三徳包丁、その 柄の黒ずみだけが無言 を唱える 死ぬのか だろうな 戒名くらいてめえで付けたいよな スクリーミングパンダ、おまえだって死ぬんだ こわいものはとにかく 食らってしまいたかった * ママン、今この瞬間まで どこへ行かずともよそ者だった I am the mountain, I am the sea. 生命はしめやかに 遣わされていたのね .
0圧倒されました。そのあと読んだ詩集が、斉藤さんの読み方で頭に響いてきました。
0沙一様 コメントありがとうございました。本作はまだステージで披露したことがないので演出が過ぎるのかもしれません。どう育つものか楽しみです。
0白川 山雨人様 コメントありがとうございます。しかしそれはちょっと、申し訳ないです……。
0そんなふうに思わせてしまってすみません。とても印象的だったということをお伝えしたかったです。
0照れ隠しというやつが多分に含まれてしまいました。素直に嬉しかったです。ありがとうございます。
1AB様 コメントありがとうございました。 今までの動画の中では一番ライブに近いと思います。テキスト単体でも朗読単体でも、鑑賞に堪え得るものを書くことを目下の目標としています。
0斉藤木馬さんへ いいですねー。ニコニコしてしまった。あ、内容ではなくて朗読のよさによってです。 木馬さんはとてもストレートな朗読をされるんだなあと思いました。詩を介して伝えたいことに一本筋が通っている。だから迷いがないのでしょうね。 時々、ただ感情を込めているだけで自己陶酔というかナルシシズムというか、聴いていてちょっと恥ずかしくなるような朗読に出合うことがあるのだけれど、木馬さんの朗読は安心して聴いていられました。あちこちのオープンマイクに参加して場数を踏まれているから当然のことなのでしょうけれど、聴き手のことが見えている読み方をされていると感じました。 一方、私は昔survofさんにお経読みと言われたほど感情を込めずに坦々と朗読するのですが、それは一つの意味で言葉を縛りたくないからだったりします。要は、音で聞いてもダブルミーニングとかに気づいてほしいんですね、言葉遊びの人間だから。 木馬さんは朗読に対して、私とはまったく違うアプローチをされている。そのことがうれしい。だからニコニコしてしまいました。 私は、人格をそれぞれに持つ人間というのは生まれ落ちた瞬間から違いがあり、わかり合うことは不可能だと思っています。けれど、互いに考えを披露してその違いを認識すると“どうしたら近寄れるか”はわかると思うんですね。 人様と自分の違いを見つけた時、私はとてもうれしくなります。その人の輪郭が少し見えてくるような気がするから。違うってとてもいい。 よい朗読を聴かせていただきありがとうございました。
0こうだたけみ様 コメントありがとうございました。 そういえば最近、読むことに「躊躇がない」と評してくださった方がいたことを思い出しました。そのうえで極論を言えば、私は詩の内容を伝えることよりもまずはエンターテイメントとしての朗読を重要視しています。例えば日本語の分からない異国の人に対しても引き込むことができるか、といったような。 縁あって近頃はポエトリーリーディング界隈の他、演芸の舞台やライブハウス等で一人、他ジャンルの人間に混じって詩の朗読を披露する機会が多くなりました。そのような場では詩の朗読に触れたことのない人やそもそも興味のない人も多く、ある種の先入観を持って見られる場合も多いので、第一声から掴み、間で座らせ、そして聴かせるという工程を意識してステージに立っています。そのためにはやはり声そのもののサウンドとしての説得力、そして立ち姿の説得力が必要だなと感じています。 かといって言葉の伝達をないがしろにしているつもりはもちろん無く、むしろ音としての流れやまとまりと意味表現は一心同体だと思うので積極的に響きや区切りを試行錯誤しています。この辺りの意識がナルシシズムの一歩手前で踏みとどまっていられる(と自分では思っている)理由かもしれません。 しかし何より大切に思えることは、このスタイルはあくまで自然にたどり着いた形であるという点ですね。だからとにかく楽しい。思い切りよくぶつかっていけます。 私も人と人とは隔絶されたものだと思っていて、ではどのように隔絶されているのかを観察するために私は詩を書き、他者に向かって投げかけています。これは個人的なことであると同時に、大げさではなく世界の成り立ちへの手がかりだと思うのです。差異は尊い。尊いです。
0木馬さんへ 差異は尊い。たしかにそうですよね。そこに踏み込んでこそ何かが始まると思います。木馬さんが、どうやら近しい考えの方のようでよかったです。 私の説明不足もあったのだろうけれど、以前百均さんに「違うって悪いことじゃないんだよ!」と力説したときには壁を作るような動作をされてしまって、「いや違いを認めるって壁をつくることじゃないし!」ってなったので。笑。(あ、そういや百均さん元気かな??) 朗読のエンターテイメント性については私もとても興味があります。なんせ、ご存知の通り妙な振り付きで朗読しますので。笑。 木馬さんは朗読を芸の域にまで持っていこうとされているんだろうな。すごいなあ。第一声から掴み、間で座らせ、そして聴かせる。そこまで考えたことなかったです。自然にたどり着いたスタイルかー。私にはそこまでの覚悟みたいなものがないのでまだふわふわしています。いつか化けられるといいのだけれど! どうぞますますのご活躍を。そしていつかどこかの朗読会場でお会いできますように。(早くコロナウイルス収まってほしい)
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