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激流
激流が 流れ 流れ 流れ 流れ 途切れた 突如 消えたのを 見た 口と後ろからの汁が 土を汚す 産道より入れられた 精液付きの棒から始まった 湧き出るように 外気に触れた時から始まった 十年近い 命の激流 その終焉 立てなくなり 終わった その流れ 跡形もなくなり 消えた激流 流れる汁ももうすぐ消え いずれ この世の全てからなくなっていく 見開いた目は 何を見たのだろう 黒と白の体の 激流は 一本の注射だけで 終わった 獣医見送り 汁流す顔を覆う
激流 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1300.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 11
作成日時 2020-05-15
コメント日時 2020-06-06
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 6 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 0 |
総合ポイント | 11 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 6 | 6 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 2 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 2 | 2 |
総合 | 11 | 11 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
素直に痛い。体に緊張が走って強張る。こんなふうに直接的な言葉で体に作用させるのって、何事も間接的な手続きが常態化している社会では大事なんじゃないかなあ。
0自分にとっては7年間しばしば実際に見た光景ではありますが。 生き物が羊水と共に産まれて出てきて、体重数百キロの命が注射器一本で死んでいく、というのは衝撃的過ぎるのでしょう。 でも生々しい生と死は少しでも感じ取ってほしいですね。 膨大な労力と電力をもって日々命を食べていますし。 詩で少しでも表現できたらいいのですが。
1詩が潜在的に持っている『暗さ』をどうにか薄めたいと考えるわたし的には、楽しい出来事も詩で表して欲しいと思うのですよー。楽しさがあり、喜びがあり、だからこそ死が余計悲しく映る。グロや死ばかりを扱っていると、次第に慣れていきますからね。読者も。 まあ、その辺は好みかも。 力強く、まっすぐに向き合っている詩ではあるのですが、そのまま過ぎる気もしました。死をそのまま文章で書いてしまうと、この場面を動画にした作品には勝てない気がします。せっかく文章で書くのですから、文章にしか出せない強みをもっと示して欲しかった気もしました。 二部に分けて、後半は獣医にピントを合わせても良かったかなーと。 ここから先はわたしの死に対する考え方で、対立するような意見になりますが、否定したいわけじゃないのでご容赦を。あくまで、作品に対する個人的なコメントです。 死は、うーん。 生きていれば、死に立ち会う機会も少なからずありますから、考え方は人それぞれありそう。 うーん。家畜は、うーん。こういう一生を送ることしか許されない生き物を品種改良で作り出したのは人間ですし、なんて考えちゃうんですよね。作品を読むと衝撃的な印象を受けるのですが、振り返って考えてみれば、育てられた牛にとっては当たり前のことなのかもしれないとも思いました。しっかり生かして、しっかり殺して。人間がやらなきゃいけない役割かなと。 なんて偉そうに言っているわたしは、鶏も締めたことないですけどね。 生き物の生と死かぁ。 うーん。 ああ、逆もある得るのか。死を書き切れれば、生を一層輝かせて見せることが出来る。そんな考え方もあるのかもしれませんね。
0確かに楽しい出来事も詩にすべきだというのは事実ですよね。 ただあまりにも自分にとってインパクトのある繰り返された情景だったので、詩にしてしまうのです。 動画だと衝撃的すぎるかもしれませんし、自分なりに表現すると、このような形になってしまいます。 あと、自分が見てきた獣医は完全に割り切って淡々と仕事していたので、詩にしにくいです。 家畜の中でも経済動物である牛は、割とあっけなく死に直面してしまうんです。 幸か不幸か死ぬこと自体に感情はなさそうです。理解していないかもしれません。 死んだ牛の前で、リラックスしている時の特徴である反すうをしていたりしますし。 だからと言って、死なせたくない気持ちもあるんです。 それでこういう詩を何度も手を変え品を変えて、書いてしまっています。 「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となる」 道教でこういう事を言われているとか。 ならば、死を見つめる事で生きる事が際立つのは事実かと。 あと、もう少し明るい方向の酪農詩は書いた方がいいかもしれませんね。
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