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夜香
ひとつ 齧れば夜が欠けて 林檎は白い肌さらし 屋烏に及ぶ口笛の哀しき音いろに 艶めいて 夜の香りを染めていく ひとは哀しく身はひとつ ひとつ 齧れば夜が欠けて 林檎がひとつ染まるなら 林檎がひとつ砕け散る 悲鳴の音いろを みるがいい 哀しき色はどんな色? 苦いか甘いかしょっぱいか、ひとつ齧れば 屋烏は飛んで雲隠れ 林檎は色を失った 朝陽に紛れ延びた手が林檎を高く放り投げ 林檎はひとつ、日もひとつ
夜香 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2102.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 6
作成日時 2020-05-03
コメント日時 2020-05-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 3 | 3 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 6 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 1.5 | 1.5 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 1.5 | 1.5 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 3 | 3 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
七・五調が基調になっていて、ところどころ破調があるのですが、それがあまり効果的になっているとは言えない憾みがあります。たとえば一連の >林檎は白い肌さらし >屋烏に及ぶ口笛の哀しき音いろに >艶めいて 夜の香りを染めていく 「屋烏に及ぶ口笛の」と「哀しき音いろに艶めいて」で七・五の二行に分けるのではなく、上記のような行分けにしたことで七・五の連続が途中で切断されているのですが、読んでいるとここで唐突に調子が変わったことへの違和感が先に来ます。ところが第三連では >林檎がひとつ砕け散る 悲鳴の音いろを >みるがいい 哀しき色はどんな色? 「砕け散る」のあとにスペースが入ることで、七・五のまとまりがわかりますので読んでいてつっかえることはありません。なぜ一連でもこの処理をしなかったのか。入れ忘れですかい?(笑) 四連も一行目の破調があまり功を奏しているように思えません。七・五で一貫させるのはあまりに定型的だと思って避けたのかもしれませんが、定型は読み手を安心させるものなので、それを崩すときに生じる不安定感や不快感を効果的に転用する工夫をよほどうまくやらないと、読み手を作品世界から疎外する結果になりかねないと思うのですが。いい作品ですが、この作者なら当たり前のことなので賞賛は抜きで文句だけつけておきます(笑)。
1もう返す言葉がございませんね。なんでこれを投稿前にもう一度、読み上げなかったのか。一連目も酷いですが四連目はもう目があてられないほどに読みにくい。必然のない崩しをやってしまっております。しかも、詩作してから随分たつ作品だというのに安易にこの場に投稿しちまったのは目もあてられない愚です。上はスーツで下はジャージみたいなとんちんかん。これは恥ずかしい。自主的に顔を洗って出直してきやす。
0>艶めいて 夜の香りを染めていく の「艶めいて」とか、 >林檎がひとつ砕け散る 悲鳴の音いろを の「砕け散る」「悲鳴」といった語が、流れに対して強くて、浮いているように感じました。わからないではないけど、読み手の中で生起された詩情が壊されているような気がする。狙ってやっているにしてはその後の展開で十分には補われていない。 >朝陽に紛れ延びた手が林檎を高く放り投げ で解放感を感じて救われました。五感を総動員させて味わえる作品なだけに調和が取れてないのはもったいないように思います。
0テーマや雰囲気、好きだなと思いました。悲しい悲しい話だと受け取れます。四連目の一行目の表現はやはり雰囲気をがらりとかえていますが。何回か読むと、悲しいを通り越して怖さみたいなものも出てきて、迫るものがあります。
0林檎、という言葉一点を中心に比喩を重ね、逆にそれ以外の比喩がえてして「林檎という比喩」の副要素に留まっており、あくまで中心は林檎にある。こういった点が、本作が大変優れている点です。 妖艶な描写から一点、林檎が砕け散り、悲鳴をあげる。本作の特徴として、(そもそも林檎が人物の比喩なのか、実際に林檎を表しているのかどうかはともかく)林檎と主人公の関係、なにゆえ砕け散るのか、口笛は誰が発したのか?などの疑問が置き去りになっている感覚を覚えますが、「置き去りになっている」ことが良作たる所以と考えます。 なぜならば、「屋烏」に視点が度々移る点や、林檎の内面や林檎に対する思いがほとんどない/えらく客体化されていることから、林檎との関係は特別密の濃いものではないと考えられるからであります。つまり、主人公自身がおきざりにされているからこそ、そこに名状し難い音や視点に気が向くのであり、それが本作の表現なのだろうと考えます。 敢えて指摘するなら、 >屋烏は飛んで雲隠れ 林檎は色を失った については、引っ掛かる感じがします。「染まる」という単語が林檎と結びつけられており、齧り、寄るが欠けるたびに色が与えられていく様を描写しているので、情報としてはすんなり入ってきても、景色がすんなりと入っていかないことを思います。太陽が昇ったことにより、夜=色合いの濃い時間は終わったと考えられますが、「夜が欠けて」林檎が染まっていく表現そのものと接合しない点が疑問に思え、かみ合っていない印象を覚えました。
0どうも。えぇ、この確かに強い言葉ですし回収されていないように見えますね。これを書いた時のことがはっきりと思い出せないので、あらため自分も読み返しての感想で返答とします。この作中主体は林檎を弄ぶ酷いやつですね。(書いた僕がいうのもなんだが)林檎が比喩であるかは置いておいて、この様々に弄ぶ様は砕けることや悲鳴があがる、様々な可能性を秘めながら作品が展開されたのかなぁと思います。砕ける場合と砕けない場合が妄想されていたのかは謎です。
0前述したんですが書いた時のことが曖昧ですが、奇妙に迫るものがありますね。四行目の一連だけなんだか泥臭い書き方になっているのも違和感があります。改行や音数を整えたらさらに繰り返し読んで頂いて気持ちのいい味わいの作品になってたのではないかと思います。憶えているのはとにかく夜のベランダで寒いなかで思いついて書き始めたことだけです。そういえば口笛を吹いていた気もしますが、夜に口笛を吹くというのは変なものを呼び寄せると昔から言われているので、よくないモノに出会ったのかもしれないですね。
1林檎が比喩である部分とそうでない部分が入り交じりながら書かれたのではないかと推測されます。書かれているように口笛の箇所など色々と疑問が残る作品なわけですが、それがゆえにある種の浮遊感も形成されているのかもしれないですね。なので、やはりこれは音韻や音数を整えるべき作品でした。ご指摘の部分ですがこの噛み合わなさは先に書いた林檎が比喩とそうでない部分に分かれているために起きたんじゃなかろうか。林檎のための林檎による香る夜の詩になってるんじゃないかとは思います。
0夜のベランダでどなたかの愁いを拾ったのでしょうかね。でも、帆場さんが投稿されたことで落ち着かれたかもしれませんね。なにか、時代設定があるのかなと思うような、古風な感じがあるのですよね。少なくとも現代の方ではないですよね。その感覚の中で読むと四連一行目もしっくりきてしまったりする。コメント見て、ぞくぞくしてしまいました。 ふじりゅうさんが最後におっしゃっていた、「林檎は色を失った」という表現に関してですがここでの「色」は、それまでの『色』とは別の相に入っていると捉えました。それまでは、具体的に変えられていくことが表現されていますが、この部分では、それが消え去るのではなく、もっと深い相の表現、つまりある意味、魂の喪失といった意味合いが込められているのだと思います。
1色の件、確かにそうかもしれません。詩の深さを思い知らされるコメントに感謝を致します。 色、といっても、確かに3連目までの色とは段階が大きく異なっているような印象を受けます。特に「口笛」「悲鳴」の音を「色」と表現していて「見るもの」として書かれてある、その「色」と、「具体的に色として使用している」部分は明確に意味合いが異なると捉えるべきであり、私の読み取り不足でありました。勉強になります。
1受け止めて下さり、恐縮です。私も日々勉強であります。同じ表現でありながら、階層を変えるというのは、世界がぐっと広がりますね。使えるようになってみたいものです。
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