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腑に落ちる
祭囃子から逃げるようにして 舞台を操る黒子が 往来を横切ってしまうのを見た あれが俺だったか。 名無しの権兵衛がいるぞ と 祭り賑わい その塊、追手となる 逃げる黒子 役目も役割も、へったくれもない と 無我夢中で遁走する 追手を撒く 井戸に身を隠す 誰だぁ また名無しの権兵衛さんがいるぞ と 愉快だった幼い頃が 蘇ってくる 誰でもなくて俺だった記憶が 仄暗くて静かな場所にやってくる 底のほうで 腑に落ちる。 再び聴こえてくる祭囃子 その調子に合わせて踊りながら戻っていく ひょっとこ面の俺だ。
腑に落ちる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 915.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-08-01
コメント日時 2017-08-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さんの評に、テーマがまず鮮やかに切り取られている、と感心すると同時に、ひょっとこ面の意味合いを、個人的にもう少しよく考えたい、と思いました。 この作品のユニークさは、まずはクロコとして、祭りを盛り上げたり、下支えしたりする「立場」から逃げ出した自分、を、見ている自分がいる、というところ、ですね。 そして、現代社会や会社組織などの喩であるのか、と思いながら読み進み・・・そこから逃げ続ける自分が、むしろ逃げることによって〈祭り〉の「賑やかし」となってしまうばかりか、人々が〈塊、追手となる〉(そのように見えて来る)悪夢のような事態にまで発展する・・・その時に思い出すのが、〈愉快だった幼い頃〉であり、〈誰でもなくて俺だった記憶〉である、ということ。童心を思い出したところで〈腑に落ちる〉。何が、腑に落ちたのか。自分の望む者に、いつだってなれる、成りたい者に成れる、という、自分の未知の可能性を思い出した、のではあるまいか・・・。 腑に落ちた語り手は、ひょっとこ面をつけて、共同体に戻っていく。クロコとして、影の存在として祭りに参加するのではなく、そこから逃げ出すことによって皆の慰み者になる、のでもなく・・・自ら、祭りを盛り上げる仮面をつけて、よし、祭りに参加してやろう、俺が笑いの主役になってやろう、と、自らの意志で「祭り」に戻る。 会社でも日常でも、バカバカしすぎることなのに、必死に全力投球しないと乗り切れない、そんな・・・これは祭りだ、とでも割り切らなければやっていけないような狂騒が、日々起きているのではないか、という気がします。その「祭り」に、どのように関わっていくのか。意図的に演じる道化。その俺を、終始一貫して見つめている、書き手としての俺。 言葉のリズムも心地よいですし、よく吟味され、凝縮された作品だと思いました。
0この作品、すごく良い、と思ったのですが・・・アーカイブで見たら、三作目ですね。 うっかりミスの投稿であれば、8月投稿扱いにしていただけるかもしれません。
0すみません。完全に自分の注意不足です。1コンペにつき2作ですもんね。 以後、気をつけます。 花緒さん、まりもさんが、しっかり読んで頂けたのに逆に恐縮です。すみませんでした。
0花緒さんと、まりも、さんの評に、胸が熱くなりました。自分の詩が、しっかりと、かなり具体的に読まれていることに感動しました。詩を書き提示して、それを読み解くことに、魅力がたくさんあることを感じました。今回は凡ミスで投稿規定からはみ出てしまい、改めて失礼しました。
0徐々にでいいから さま 祭囃子、追手、名無しの権兵衛、黒子…日本に生まれた者として、これらの言葉に懐かしさや郷愁をかきたてられました。情景が目の前にひらけて、するりと詩の世界に入ることができました。 <誰でもなくて、俺だった記憶>。人は歳をとるにつれ、本来の自分では立ち行かなくなります。あの場所とこの場所での自分が異なっていることに気付きます。生きていくことは、本来の自分から遠のくことなのかな…と考えさせられました。 祭りは大人も子どもも、誰をも開放的な気持ちにさせます。歳をとるにつれ、本来の自分…<愉快だった幼い頃>は抑圧され、様々な表情のお面を、その場その場で付け替えるようになります…<ひょっとこ面の俺だ>。祭りの、開放的な非日常の雰囲気によって、ある瞬間にお面が剥がされ、幼い頃の本来の自分が現れます…<底のほうで 腑に落ちる>。 深く読めているか、あまり自信はありませんが、読めば読むほどに新たな気付きがあり、白黒だった情景が色づけられていくような作品でした。
0和風にしているところまで匠みな一品ですね。日本社会に生きるオトナの姿を戯画化している作品です。 しかし、タイトル通り「腑に落ちる」かどうか は疑問です。形式は完璧なので、内容的な疑問ですね。 結局は、 逃げている黒子から、踊りながら戻っていくひょっとこまで、の枠のなかを抜けられず、暗くて静かな場所でないと本来の自分を思い出せない主人公なわけです。なので、太宰治的な自虐なら文学的な感じが滲むと思いますが、本作のように、ちょっと弱めの普通の日本社会人のメンタルを、ややハードボイルド風に語られても、微妙に腑に落ちないわけです。 この(「底のほうで」しか腑に落ちない)主人公である語り手が、もう少し己の弱さに自覚的でないとラストに違和感(平均にすぎないものをなにかプラスなものに置き換えようとしている感じ)が残るわけです。 一人称をもっと作者に特化するか、三人称にして「俺」と言わせるかして、 もっと精密に読者への配慮をすべきだと(わたしは)思います。というのは、 このままだと 一人称が普遍化されて暗示的な風刺が読者にむけられている作品なのですが、語り手一人称が自虐的にそれを引き受けているので(俺も読者さんあんたもみんなひょっとこだよ。それが大人さ)というマイルドに緩和された日本的な「腑に落」ち方を誘う作品にもなっているからです。 平均的であることが単に平均的であるにすぎないという認識を超えて、平均的であることを正当化する意識を見せられると、そういう感覚のない読者は座り心地の悪さを感じ、他方で平均的な弱めの自分を、正当化したい人たちには「腑に落ちる」作品になるわけです。本作は、若干その匂いが感じられるので、私には微妙な違和感が残りました。 おそらく題名をミスっているせいでしょう。そこが残念です。 題名を『腑に落ちる』ではなく、『日本男児 名無しの権兵衛』 にすれが、本作は名作だったと思います。 以上です。 *
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