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僕たちの失敗
君が夢に出てきた。景色は紺色に包まれていて、僕らは高校生だった。主に空間と時間の連続性と離散性について議論していた。意味がわからなかった。 君の不思議なほど白い肌が紺色のグラデーションのなかで揺れて、僕らはきっと友達なんだろうと思った。 「君が女の子だったらよかったのにね……」 君はそういってからピスタチオナッツを食べて、ほうじ茶をすすってみかんを剥き始めた。とても美しい指だった。 数学は「現実」であって、すべての数学に対して、対応する「現実」があり云々、みたいな話を先生がし始めたから、僕はケラケラと笑い始めて、君は机に突っ伏して肩をプルプルと震わせていたけど、それは今年耳にした一番のジョークだった。 「宇宙の地平線の外側の宇宙は地球とは無干渉なはずだから、宇宙の地平線の外側の十分距離をとった場所はこの宇宙とは独立した別個の宇宙だといえます」 先生は、天井の蛍光灯を眺めながら講義を続けた。口が乾いているのか、この先生はひとこと喋るたんびにベロリと舌を出して口の周りを舐める癖があって君はその先生をナメクジと呼んでた。 「如何せん、別個の宇宙であるから、宇宙の地平線も向こう側、つまり観測可能な宇宙の外側には無限の独立した宇宙があると考えることができる訳です。如何せん、これが、いわゆるパッちゅワーク並行宇宙です」 「知るか!」 ガンジスっていうあだ名の丸坊主野郎は即答してチュパチャップスをチュパチュパしていた。ガンジスはいつだって挑発的なラジカル・イン・ざ・ウニバースさ。机の上にトランプの塔を建てているのだけれども、最後の2枚のところでどうしても手がプルプルと震えてしまい、それから「僕たちの失敗」を口ずさみながら、机ごとひっくり返すっていうやつを、さっきからそれを32回くらい繰り返している。 「ずいぶんと古いのね」 そんなふうに呟いた君の横顔が美しいと思った。下唇の繊細な造形。それから涙袋のちょうどよい膨み。彼女は顎に顔を載せて何か知らない歌の替え歌を歌っていた。枕草子に似た感じの歌だった。意味がわからなかった。美しく紺色のグラデーションの中で彼女の長い髪が揺れた。 「宇宙の地平線と先生は仰りますけれども、例えば、宇宙の地平線内の、つまり観測可能な宇宙のすごく遠いところを中心として、さらにその位置からの観測可能な宇宙というのを考えると致します。そう致しますと、当然の事ながらその中心から考えた場合の宇宙の地平線には、この地球から考えた場合の宇宙の地平線の外側も一部含まれることになるわけです。 この論理を再帰的に繰り返して行きますと、いくら宇宙空間が無限に広がっていると仮定したと致しましても、結局のところ、その空間のすべての点は上記のような論理展開から必ず相互になんらかの影響を及ぼし合うことができるものとして扱うことができるわけですから、独立のものとして扱うことはできないのではないでしょうか? つまりナメクジ様の仰るところの並行宇宙というのは、シンプルな論理展開の欠陥から生まれたものであって……」 君はそこまでを一気にまくし立てるようにいって、深呼吸してから、ぺろりんと下を出して口の周りを舐め出した。僕には彼女の言っている意味が全部分かった。だってそれはさっき会ったときに僕が説明したことなんだから、やれやれだと思ったよ、本当に何もかも紺色なんだから、ずっと醒めないでいたいと思った。ナメクジ。 「僕はきっと性別を間違って産まれたのかもしれない」 本当はなんて答えたらいいか全然わからなかっただけなんだ。僕はピスタチオを砕いてからオレンジジュースに溶かすと一気に喉に流し込んだ。君が貸してくれた直子が死んでしまう洒落臭いお話は正直生臭くて仕方がないから、読み終わった後にビリっと破いて生ゴミと一緒に捨てた。バーコードの上に「生ゴミ」って書いてあったから仕方がない。 「ねえ、帰りに喫茶店寄ってく?」 君が小さな声で聞いてきたので、小さくうなずき返した。それから大きく背伸びして、ガンジスを爆撃した。キングとクイーンは二つに折れて8人とも即死、ジャック以下配下のものどもはアナーキー・イン・ザ・共和国のスパイどもとして紺色の風景のなかで美しく揺れていた。 「つまり、並行宇宙は成立しえないと?」 「はい、仰る通りでございます」 「それならば、こういうのはどうだろう?もう数学とか観測とか物理とかは一旦忘れるんだ。考えられる宇宙をすべて考えてごらん?」 「先生、『イマジン』でしょうか?」 「いいえ、だれでも」 「わかりました、続けてください」 「考えられるすべての宇宙の集合を考えてそれに『究極の平行宇宙』という名前をつけるとする。となれば、その『究極の平行宇宙』の構成宇宙の中のうち必ず一つは我々が存在する、この宇宙である、というのは自明の理である。ここまで何か質問は?」 「特に興味がありません」 「よし、では次に進もう。そうすると究極の平行宇宙を前提にした場合、この宇宙がどうしてこのような物理的特性を持ち、なぜこのような物理法則にしたがっているのか、という類の質問はすべて無意味なものになる」 「つまり先生の存在もですか?」 「ああ、その通りだ」 「つまり、この授業はサボっても単位はもらえるという訳ですね?」 「君は論理が飛躍しすぎている。そういうことではない、私は物理とその数学的定式化の話をしているのだ」 「でも、先ほど先生は数学と物理を一旦忘れろ、と……」 「その通りだ、一旦忘れて、またすぐに思い出すんだ」 「まるでポエムですね」 「そう、我々はみな詩人でなければいけないからね」 「つまり、インスピレーションですか?」 「よく分かっているじゃないか。インスピレーションというのは量子力学的に表現するならば単なる確率の波に過ぎないのだ。その確率の波の多世界解釈によれば、そのすべての可能性に対して、対応する現実の宇宙が存在する。つまり我々は連続的に常に分裂しているんだよ」 「ちょうど先生の心のように」 「それもそうだが、今はむしろ君と君の友達のことを真面目に考えたほうがいい。燃やさない炎はないのだよ、ちょうど冷めない紅茶がないのと同じようにね」 「つまり私はこのままだと火傷すると、そう仰りたいのでしょうか?」 僕はすでに火傷している、とそう思った。喫茶店のテーブルに君は新しく買った本を何冊か並べて、パラパラとめくっていた。僕のコーヒーはとっくに冷めていたけれども、もしかしたら最初から冷めていただけなのかもしれない。 景色は紺色に包まれていて、僕らは高校生だった。主に空間と時間の連続性と離散性について議論していた。意味がわからなかった。僕は夢を見ていた。
僕たちの失敗 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1849.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 13
作成日時 2019-11-02
コメント日時 2019-11-21
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 2 | 2 |
前衛性 | 1 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 6 | 2 |
技巧 | 3 | 2 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 13 | 6 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0.7 | 0 |
前衛性 | 0.3 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.3 | 0 |
総合 | 4.3 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
揺るぎない信念に基づいた構築、先生の論は平行宇宙世界?ですか。理路整然としていて、読み応えがありました。ただ君は女の子に生まれれば云々は、紫式部のおまえが男の子に生まれていればの逆バージョンでしょうか。
0エイクピアさん 先生の論は平行宇宙論ですね。自分平行宇宙論ってすごい嫌いなんですけど、でも小道具として良さそうなので使ってみました。小道具にすぎないんですけど、どうでもいい小道具をメインに据えて無駄に書き連ね、かつ一番書きたかったことは最小限に留めるっていう実験をしてみました。自分としては書きたいことがはっきりしている分、なかなか客観的に読めないんですよね。なのでコメント嬉しく思いました。 >ただ君は女の子に生まれれば云々は、紫式部のおまえが男の子に生まれていればの逆バージョンでしょうか。 ここのセリフはこの作品で一番鍵にしたかったセリフなんですけど、もしかしたらあまりうまく機能していないのかもしれません。作品のテーマとしては以前に投稿した「ストロボ」や「E# minor」などが系統としては近いです。もう少し会話の流れをわかりやすくするなど、ちょっと工夫が必要だったかもしれません。
0本作、もう一工夫あれば傑作だった気がします。 自分は最初シュールなギャグテイストとして読んでいまして、しかしながらそれは本作が本当に伝えたかったものではないように思います。つまりなんらか隠されている。 >「君が女の子だったらよかったのにね……」 これです。これが本作の全てな気がします。 本作において平行宇宙はどうでもよくて、平行宇宙であれば君との関係がどうのこうのといった話ではないように思います。そして、平行宇宙でないからこそ君との関係が云々という話でもない。 小難しい話に全く宿っていない高校生特有の甘酸っぱさとの対比、を狙った作品なのかもしれないと考えております。 ただ、深く掘り下げる楽しみは平行宇宙の話が阻害してしまいます。読み解く際にどうしても目が散ってしまうからです。 読み解かない場合、平行宇宙が邪魔してしまいます。さら読みでもじっくり読みでも、真意にたどり着くための重要なキーワードが隠れすぎていて、平行宇宙がよくわからないと感じる作品なのかな、という方向性へ向かってしまうのではと。無論、ナメクジ先生の話は本作に必要不可欠です。が、にしても主人公が影に隠れてしまっているあたりにもったいなさを覚えます。 ひょっとしたら読み違えているのかもしれません。好きな作品ですので、もう一度よく読んでみたいと思います。
0ふじりゅうさん いやそれほど読み違っていないです。どちらかというとかなり狙い通りに読んでくださっています。なのでとても嬉しいです。 >これです。これが本作の全てな気がします。 そうなんです。たったこの一文のためにこのどうでもよいグダグダを書きました。平行宇宙なんて本当どうでもよくて、なんか小難しそうで、しかも何も分かってない感じで書ければ素材は何でもよかったんです。 >自分は最初シュールなギャグテイストとして読んでいまして、しかしながらそれは本作が本当に伝えたかったものではないように思います。つまりなんらか隠されている。 シュールなギャグテイストで読まれることを前提にはしています。ただ、本当に伝えたかったことと、このギャグ要素がうまくつながらずに水と油が分離するみたいになってしまった感はあるかもしれません。 主な狙いとしては ・夢のなかの出来事のように書くこと。あるいは半覚醒状態のときにみた夢を書くこと。 ・つまり、論理的に書かれていながら、根本的に何かがおかしい状態になっていること。論理的会話が論理的なようでまったく論理的ではない状態になっていること。 ・「彼女」との関係性をその「夢」のなかに埋め込むこと ・夢から醒めたときに感情だけ薄ら残っているような、ちょうどそれと同じ濃度で「彼女」への感情を読後感として読者のなかに呼び起こすこと ・つまり、夢から醒めて、薄ら夢の記憶が残っているような感覚を読者に追体験させること ・残像のようでありながら、夢から覚めてもなお残る「彼女」に対する感情を描くこと でした。ちょっと実験しすぎたかもしれないな、とは思ってます。
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