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カラス
眼下に広がる世界はグレー 全ての物が無彩色 青、赤、黄色 、緑色。 僕にとっては同じ色 モノクロテレビが僕の真実 色があっても分からない 僕には濃さしか分からない 羽を開いて飛び立って どこに行っても世界はグレー 過不足ないけど味気ない だってこの世はモノクロだから
カラス ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1032.2
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 26
作成日時 2019-10-04
コメント日時 2019-10-04
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 10 | 10 |
前衛性 | 3 | 2 |
可読性 | 2 | 2 |
エンタメ | 2 | 2 |
技巧 | 1 | 1 |
音韻 | 5 | 5 |
構成 | 3 | 3 |
総合ポイント | 26 | 25 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 5 | 5 |
前衛性 | 1.5 | 1.5 |
可読性 | 1 | 1 |
エンタメ | 1 | 1 |
技巧 | 0.5 | 0.5 |
音韻 | 2.5 | 2.5 |
構成 | 1.5 | 1.5 |
総合 | 13 | 13 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
>青、赤、黄色 、緑色。 自分にとって世界はモノクロームであると主張していながら、語り手は「青、赤、黄色 、緑色」といった色の名前を知っている。 >僕にとっては同じ色 色の名前を知っているだけでなく、色という概念も知っている。 つまり語り手は色という概念を知っていて、語り手が見ている世界が彩度を持っているのだと読むことができてしまいます。 ここから先の読み方はふた通りあって、ひとつは語り手は色彩を知覚できる(あるいは、できた)ものの、眼前(眼下)の風景が無彩色に見える、ということを書いた、という読み方。もう一つは、本当に彩度を知覚できない語り手が眼前(眼下)の風景を語ったというもの。 私個人としては後者の路線でよりリアリティーをもったモノクロームの世界の描写をみてみたいという思いが残ったが、先ほどあげた部分で、語り手が色の概念を知っていること推測できてしまうことにより、そのリアリティーが一気に削がれてしまっているように感じて、迫力が一気に失われてしまう。 一方前者の路線で読もうとすると >過不足ないけど味気ない という語り手の心情を描写する言葉が多すぎるて、この表現の切実さが迫ってこないように感じてしまう。 これは人それぞれの好みだと思うが、私個人の好みからいえば、本当に色彩という概念を知らない&彩度を知覚できない視点からの風景を写実的に説得力のある仕方で描くことによって、むしろ、色彩という概念を知っているけれども世界が無彩色にしか見えなくなってしまった語り手の心情をより切実に表現できるのではないかと感じた。 そのほうが >過不足ないけど味気ない といった言葉に説得力がでるのではないか。
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