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梅雨の夜(つゆのよ)
梅雨の夜のことです。僕は猫を埋めました。 土は掘れば掘るほど冷たくなっていきます。 それはどこどなく、川底へ沈むときの感覚に似ていました。 猫はとても水が嫌いだったので、僕はなんだかとても可哀そうになりました。 けれども僕の後ろに立っている人は、そんな感傷を認めてはくれないでしょう。 だから僕は猫を穴の底に寝かせました。 何かの幼虫がウジウジと動いていて、それが唯一の救いでした。 冷たい場所だけど一人きりではないからです。 それからなるべく優しく、そうっと土をかけました。 土はまるで非難するようにスコップの上にずっしりと伸し掛かっていました。 この土は、いくつの死を迎えてきたのでしょう。 いくつの情念を抱えてきたのでしょう。 いくつの虫や葉や肉を食んできたのでしょう。 死はあまりにも無感情に、ただただ僕の腕を震わせました。 「帰るぞ」 彼は一言呟きました。 僕がのろのろと振り返ると、彼は既に車へ向かっているところでした。 「命はいつか終わるものなんだ」 ゆっくりと山を下りながら、そう彼は言いました。どこかで聞いた言葉でしたが、これほどしっくりとくる言葉もありませんでした。 気づけば外はざあざあと騒がしくなっていました。 猫の上にかけていたった土が、水嫌いの猫を守ってくれるようにと僕は祈りました。 手のひらにあった猫のあたたかさや重みが、足元へ抜け落ちていきます。 彼が急にブレーキを踏みました。 ズルズルと車が滑って行って、やがて止まりました。 「ごめんな、ごめんな、ダメな親でごめんな」 彼は声を震わせていました。 車の中がじっとりと濡れていきます。彼はハンドルに顔を埋め、くぐもった声で言います。 「殺しちゃってごめんな」 つゆのよのことです。 父は猫を洗おうとして、猫を殺しました。 嫌がる猫の首を引っ掴んで桶に押さえつけて体を洗いました。 猫がピカピカになる頃には猫は死んでいました。 静寂を雨音が塗りつぶす 溺れるような夜でした。
梅雨の夜(つゆのよ) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2135.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 22
作成日時 2019-09-15
コメント日時 2019-09-23
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 8 | 8 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 4 | 4 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 10 | 10 |
総合ポイント | 22 | 22 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 2.7 | 2 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 1.3 | 2 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 3.3 | 0 |
総合 | 7.3 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「です、ます」調で書かれていることが、描かれている出来事との距離を作り出していて、その距離感ゆえに、語り手の感情がむしろ痛切なものとして強く迫ってくるのを感じました。そして親が猫を間違って殺してしまった、自分が猫を埋める、というエピソードがさらに、もっと大きな人間どうしの話を連想させ、例えば、ちょっとしたすれ違いから親しい人を深く傷つけてしまって、本当に大切だった関係を失ってしまった、あるいは場合によっては相手を死に追い込むこともあるかもしれない、そうした本当にやるせない自分の過去の心の傷にまで深く響いてくるのは、やはりこの距離感のゆえではないかと思います。雨の降る夜に自殺未遂のような大きな交通事故で重傷を負った私の大切な友人のことを思い出しました。もはやここにあるのは語り手の感情ではない、私の感情である、と、そう感じるのです。
0読み入りました。 小さい頃インコに水浴びさせようとして、水死させてしまったことを思い出しました。 語り部が「だからどう思う」と言わないことが、読み手の心を動かすことになっているんだと思います。
0はじめまして。心に迫る詩だと思いました。私はまだ、自分にとても近い人が亡くなるという体験をしていませんが、 >死はあまりにも無感情に、ただただ僕の腕を震わせました。 「僕」の怒りや悲しみといった感情がこもっているこの二行を見て、スッと大切な人が死んでしまったような、冷たさが身体中に走りました。 >けれども僕の後ろに立っている人は、そんな感傷を認めてはくれないでしょう ここでは、この人が父であることも、この人が猫を殺したのだということはわかりませんが、読み返すと、「父」は殺してしまった事実から早く遠ざかりたい、忘れてしまいたい、立ち去りたいという気持ちが伺える気がします。 「僕」は「父」を直接は責めていませんが、この詩の最後で淡々と事実を述べ、おそらく水嫌いだった猫が埋まっているところまで雨が激しくふり、 >溺れるような夜でした。 と終わるところに、「僕」の猫が殺されたことへの怒り、死の残酷さを表しているような気がします。 すでに言及されているとおり、「僕」の感情が直接多くは語られていない分、「梅雨の夜」「雨」「土」「車」などの表現に滲み出ている、痛みに近い感情が読者に伝わってくる気がします。
0展開を予想させない作りなのは評価に値しますね。これ、もし親が謝るとこで終わったり謝った理由が他のものだったとしたら酷い作品になってた。ちゃんと成立する展開。 一つ致命的な点を挙げれば、題名。「なつのよる」でなく「なつのよ」と読ませたいからカッコでルビを示したのでしょうが、そんなことしなくてもルビを振れる機能がビーレビにはあるんですよ。投稿画面をちゃんと見てもらえればわかります。用意されているものを使わず、しかも使った場合よりも程度を落としてしまう。作品次第だけでなく作者の評価も落としてしまう。あの程度のものできない輩なのかと。それは気をつけたほうがいいすね。
0■survof様 感想ありがとうございます。ご友人のお話、大変な思いをされたんですね。 私も誰かの激情に巻き込まれてあるものを喪った経験があり、そのつらさを未だに思い出しては溺れるような痛みを感じております。誰かが悪いと言い切れるものでもないのがこの手の話のつらいところで、survof様とそのご友人、それから自殺未遂をされた方の事情はそれぞれ存じ上げませんが、今現在の平穏を祈っております。 ■蕪城一花様 感想ありがとうございます。 誰かの何らかの悲しみや、許せない心にに寄り添えるような詩を書きたかったのでうれしい言葉です。 ■つつみ様 感想ありがとうございます。 細かいところを見ていただいて嬉しいです。特に父親の感情については、読む人に伝わるように試行錯誤したので、そこを読み取っていただけると有難いです。 ■渡辺八畳@祝儀敷様 感想ありがとうございます。 当初は親が謝るところで終っていたので(!)セーフですね(;'∀') ルビについては機能は知っていたのですが、詩にルビを付ける、ということ自体があまり好きではなく…。 梅雨の夜、つゆのよ。と候補として迷っていたのですが、ルビを付けないということだと素直に「つゆのよ」で平仮名タイトルにしてもよかったなあ。とご指摘を受けて思いました。 ありがとうございます。
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