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公園と神様
高校生の頃、僕はよく学校をサボって公園に行った。サボるといってもいじめだとかそういうことでは全然なくて、単に僕には朝がキツかった。高校まではスクールバスの一本だけで行けるのだが、そのためには遅くとも7時には家を出なければならなかった。中学生の頃はそんな時間に起きればむしろ早起きになるくらいだったから、それは当時の僕には考えられないほどの極限の早起きに思えた。 中学生の頃まででも、僕は朝が妙に弱かった。それでも義務教育なら親にも子を学校に行かせる義務があるわけで、母は毎朝僕を叩き起こしてくれた。しかし高校生になるとまた話は変わって、今からするとどんな理由による判断だったか僕にはかえってわからないのだが、母は僕を必ずしも無理やり学校に行かせるというわけでもなくなっていた。 そんなわけで、僕は無邪気に学校をサボった。当時、部屋まで声を掛けに来た母に休むと言えば、案外簡単に話がつくのでかなり拍子抜けだった印象がある。だが何かの病気なわけでもなくて、単に寝不足なだけだったから、昼前にはもうすっかり元気になってるというのも実によくあることだった。そんなとき、僕は今朝の自らの判断の軽率さをよく後悔した。 軽率な理由で得た休日に意味を持たせなければならないと僕は感じたのかもしれない。あるいはそうではなかったかもしれないが、自分のことなのに余り多くの事は覚えていない。しかしとにかく、休んだ日に僕は必ず一度は家を出た。それからは、図書館まで自習をしに行くか、公園を目指して簡単な散歩をすることが多かった。公園は身近にたくさんあって、マンションの下にあるのを中心にして、それぞれの方角にひとつずつあるが、僕はよく、小さな頃に父親が連れて行ってくれた北にある公園へ行った。歩いていける距離なはずだが、両親が離婚して以来そこにはほとんど行かなかったように思う。そこには忘れられた小さな頃の思い出が砂利や石の欠片になって、何かを思い出させてくれるのを僕は密かに期待していた。またそれ以上に、ただ自然に触れ合うというだけの意味でも公園はとても心地良かった。 そんな公園に行ったいつも通りのある日のこと。 午前10時の公園は、当時の僕には自由そのものの気配があった。ひとけがほとんどないだけで、休日とはまるで違った雰囲気だった。そこで僕はほとんど優しさに包まれたような気になったのだが、この幸福な公園にはしかし小さな穴が空いていて、自由の感触やノスタルジーははっきりとした像を結ぶより先に風に吹かれてどこかへ去っていくようだった。詩的に言えば、穴が空いていたのはたぶん心の方だった。砂利は僕に何かを思い出させるのと同時に、時の流れを質感でもって知らしめているようでもあったし、そもそも当時ここには僕ひとりではなかったはずだ。そんな記憶とのズレが違和感になって、寂しさの一因となっていたのは間違いないだろうと思う。 しかし、ただそれだけではなかった。何か他のものが、心の穴をさらに拡げてゆくのだ。ありふれた郷愁に浸るだけなら、ここじゃなくてもいいはずだ。だから、何かの組み合わせが僕をこんな気持ちにさせたのだ。自然とは心地よいものではなかったのか? その日僕は、というより、その日"も"僕は、公園に期待していたものの全てが得られない感覚に戸惑いを覚えていた。今からすると望み過ぎなようにも思うのだが、当時の僕にはそれが分かっていなかったのだ。あの公園に惹かれた理由の3番目、それはこの不可解な感覚のうちにあった。それは一言でいえば孤独だったのかもしれないが、僕にはもっと複雑で得体のしれない気持ちに思えた。ただ、絶望とは言い過ぎになる感覚だとは分かっていた。それでも、視界の開けたような明るい気持ちではなかった。しかし、そのある種の行き場のなさに、僕はどうしてか縋りつかなければならなかった。寂しさのようなものを核にしたある不可解な感情は、非常に強い陰性を帯びており、僕の中で、磁石と同じやり方で他の感情をその周りに引き付けた。それは磁極の縞模様を作りながら実に多くの感情と不可視のうちに結合していき、やがて「感覚の大きなひとつながりのもの」に成長して、心理的な背景の全てを支配してしまっていたようだった。そして、カーテンが風によってはためくように、そのひとつながりの感覚は正体不明の外力によって大きく揺さぶられてしまうのだ。それは時としてほとんどやみがたい衝動となって、あの公園に僕の足を運ばせていたようにも思っている。……とにかく、その日も僕はそこへ行って、その感覚に取り憑かれてしまっていた。または逆かもしれないが、僕にはよく分からなかった。うっすら汗をかいたのが、風に吹かれて今さら体を冷やしていた。 そんなときだ。僕は誰かがこちらをじっと見ていることに気がついた。私服の警察かもしれないと僕は警戒したが、すぐに、率直だが失礼な言い方をすれば、働いている人の風体ではないように感じられた。髭を生やした中年で、少し髪も長い。こういう格好が許される職業は比較的少ないだろう。見えていないふりをして緩やかに反対側に歩いて行ったが、向こうから声をかけられた。 それが、神様との出会いだった。 いや、恐らく彼は神様ではないと思うが、少なくとも自分ではそう名乗ったのだ。彼ははじめ僕に話しかけると、まず公園の美しさについて色々と語るのだった。僕はその通りだと相槌を打つが、彼はそれからすぐにギュっと目つきを変えて、私は神様なんだよと言ったのが、不思議なしぐさで妙な説得力があった。僕は信じたわけではなかったけれど、心臓から空気の抜けるような感覚を紛らわすことができる気がして、少しだけ彼の話を聞いた。 蜘蛛の巣だらけのアスレチックや広々とした散歩道を、歩いたり立ち止まったりしながら、僕たちは話をした。信じられないことなのだけど、神様は日本の政治に興味が強く、当時の民主党を散々なふうに罵ったり、また、競馬でめちゃくちゃに負けた話を聞かせてくれた。特に馬への関心は一層強く、怪我をしてやむなく安楽死となった馬の話のときなどは、心なしか声が震えて目も赤らんでいるようだった。全く慈愛に満ちてはいるが、人間らしい神様だと僕は思った。 自動販売機を見つけて、神様はのどが渇いたなと言った。僕は別にそういうわけでもないのだが、気前よくなぜかビックルをおごってくれた。(……どうでもいいことだが、ビックルは当時はまだ容器が瓶で、最近見かけたときペットボトルになっていたのが少し寂しい。)それを僕はゆっくり飲んで、腸内細菌の話をした。神様は別に物知りというわけでもなくて、腸内環境と健康に重要な関係があるという話をすると、とても興味を持ったようだった。 かなり大きめの公園をゆっくり一周と少し歩いた頃に、そんな散歩も終わりになって、神様は不意にまたあの目になった。そして少し早口で、君は聞きたくないとは思うが、これくらいは言っておこう、と切り出した。それは他愛もないようで、重大でもあるような、僕の未来のことだった。神様は、僕の身長がもうこれから先はこれっぽっちも伸びないこと、大学では数学に没頭するが身にならず諦めてしまうこと、それから、今から何年後かにまた怪我をする馬がとても可哀想だという感想などを告げ、そして最後に、その心臓の悲しい感覚はずっと満たされることがない、と言ったのだった。 僕は預言にかなり驚くとともに、それらをとても不快に思った。しかし神様はそれは知っておきなさいと言うのだった。僕はなにか少しだけ食い下がったはずだ。そうすると、神様は全能性を証明しようと言って、ひとつの石を見せてきた。それは確かに、僕が小さい頃この公園で拾って、ダンボールの宝箱に大切にしまっていたが、いつの間にか箱ごと失くしてしまったあの石に似ているような気がしたのだ。訝しげに眺める僕に神様はそれを手渡して、一方的に別れを告げた。神様は僕の家と反対側へ歩いていったが、呼び止めるのもおかしかった。取り残された僕は、立ち尽くすしかなかったが、仕方がないので図書館へ行くことにした。風が強く感じられて、それは10月のことだったのだが、ジャケットを着ない制服姿には少し肌寒いほどだった。 神様の話はしょせん話半分だった。それでも、最近確かに怪我をした馬のニュースをみたから、全くの嘘でもないかもしれない。あの石はあの日確かに引き出しにしまっておいたはずなのだけど、数年前の震災で我が家にも多少の被害が出たときにはもう、どこへ行ったのか分からなくなっていた。それは本来あの頃の僕が持っておくべきものだったから、これで良いのだと思っている。
公園と神様 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1960.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 4
作成日時 2019-09-14
コメント日時 2019-10-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合ポイント | 4 | 4 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 3 | 3 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 1 |
総合 | 4 | 4 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「上げ」的コメントをしてしまい大変恐縮なのですが(よってこんな事は今後はしないつもりですが)、詩と言い張るには長すぎでしょうか?
0長い分には問題ないと思います。 自分が原始仏典を愛読する人間なのもあり、長い詩に慣れているのはあると思いますが。 (聖書や仏典には長い詩といえる表現が結構あるのです) ただ、神様と出会った事だけをクローズアップしてもよかったかなと。 神様と出会うまでを思い切って削ってしまってもよいかと。 詩と言い張るには長すぎかと問うのは、無駄が多いと自覚しているのでは。 神様をより印象的すると、よりいい作品になると感じました。
0確かに言われてみるまで気がつきませんでしたが、前半は説明文的で、しかも、それにしてはやたら長いように見えてきました。(実ははじめは、前半をメインにするつもりでした。) 長さについては他に、詩性とエッセイ性について知りたいとも思っていました。この詩ははじめはnoteに投稿したもので、僕にしては評判が大変良かったので、こちらにも自信満々で投稿したのですが、あまりうけなかったため、その理由を知りたかったという気持ちがあります。ただコメントいただいてから読み返すと、あれは詩として良いとかそういう以前のお話で、「前半がライトノベル的な味付けの独白で、後半にちょっとギミックがある」のが、向こうのカルチャーにたまたま少しかすったのかな、という気がしてきました。いずれにしても、大変勉強になりました。コメントありがとうございました。
0正直、前半で挫折しそうになりました。長さの問題ではなく、読みづらさを感じた為です。(特に「その日僕は~」から)自分の読解力のせいかもしれませんが。しかし、神様の登場からは一転、軽快にぐいぐい読ませていただきました。やたらと人間臭い神様が魅力的でした。前半をもう少し工夫すれば最後の「石」につながるノスタルジーがより明確になるのでは、と思った次第です。
0前半と後半が別れすぎていて繋がりが薄いというのは確かにあるかもしれません。ただ僕は前半も、ああわかるなそれ、と思いながら読み進めたのでそれほど苦ではありませんでしたが。
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