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友達
嘘をつけない友達よ ぼくはきみを気に入っている きみと一緒にいるとき ぼくは自分が嘘を好きじゃないやつだと 錯覚するんだ
友達 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 2514.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 92
作成日時 2019-09-07
コメント日時 2019-09-29
項目 | 全期間(2024/12/04現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 28 | 0 |
前衛性 | 2 | 0 |
可読性 | 12 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 23 | 0 |
音韻 | 7 | 0 |
構成 | 20 | 0 |
総合ポイント | 92 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 9.3 | 2 |
前衛性 | 0.7 | 0 |
可読性 | 4 | 1 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 7.7 | 2 |
音韻 | 2.3 | 0 |
構成 | 6.7 | 0 |
総合 | 30.7 | 5 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
はっきりとした言い回しで、又空白が強調されているようで、逆説だとか訳だとか、その人の人間性を感じたり、共感性を起こしたり吟味の余地があって好きです。
0「気に入っている」という、なんか妙に上からな言い方が癖になりそうな詩です。「友達」を真に好きではなく、自己中心的な価値観でしか対象を見ていない主人公の内面が面白いなと感じました。
0「ぼく」から同性の友人へ向けたものだと全く意識することないまま読みました。そのため「気に入っている」には初見では一切引っかかりませんでした。むしろ、同性に向ける言葉として強すぎる「好き」を避けたのだろうか、と感じさせる読後感に、「ぼく」の本心を垣間見たような気になっています。 この詩はいわばギムナジウムもののような感覚で伝わってきました。つまり、僕には「ぼく」が「きみ」を真に愛しているようにさえ感じました。 自らにはない「きみ」の「嘘」に対する誠実の感覚に単に強く惹かれているばかりでなく、「きみ」といる一時にはその感覚が自分にまで流れ込んでいるように感じていることの告白とは、精神的な合一的な感覚の告白と言ってよく、よって一大告白だと思います。自分の誠実を「錯覚」だと表現することは、「きみ」の心性への強い憧れの裏返しで、「きみ」のことを本当に尊く思っているのだなと感じました。
0P.C.のための補足ですが僕自身は同性に「好き」を使うことに対してフラットです。「同性に向ける言葉として強すぎるという気恥ずかしさと判断の下であえて『ぼく』は『好き』を避けたのかな」と思ったという意味です。よろしくお願いします。
0平易な言葉を使う詩が最近はやっているが、この作品を「詩」と呼ぶことに私はためらいがある。 自身の日記の片隅にでも書いておけばいいポエムの一つだろう。 「詩」が多層な感情を想起させる言葉の群れだとするのなら、この作品からは文章以上の意味は見いだせない。だから私には この作品の「詩」としての価値があるとは思えない。
0・投稿作品は「現代詩」に限定しない。PCスクリーンや携帯ディバイスで読了可能なテクストであればジャンルは不問。詩、エッセイ、評論、歌詞etc.それらすべてを「クリエイティブライティング」とし、投稿ルールに接触しない限りはひろく受け入れる。 とビーレビはガイドルールに記載するぐらいあらゆるクリエイティブライティングを受け入れる姿勢を取っています。左部右人さんに噛み付くつもりは断じてないのですが、平易な言葉を使う詩が最近はやっているというのは私も感じます。 けれど自身の日記の片隅にでも書いておけばいいポエムの一つだろう。は余りにも言い過ぎだと思うのです。 ビーレビのユーザーに限った話しじゃないのですが投稿なさってる方々は皆、遊びじゃなくて真面目に詩を考えて創作してるはずです。 投稿なさってる方の力不足なのもあるでしょう、左部右人さんの思い描く詩が誰もが作れる訳じゃないのです。 いずれにしよ、投稿なさってる方の事も考えてコメントして欲しいです。どんな詩だろうと、誰一人として安易に考えてないはずだと思うのですよ
0窓辺さんのコメントに、私も猛省するところがあります。皆さんの投稿作品、それぞれに良さがあると思います。わざわざ、粗を探して指摘して不快を与える可能性があるのであれば、それはお互い避けて、参加者全員で、それぞれの投稿作品にある良さを見つけて称え合うことが大事かもしれません。 はんぺんさん、すみません、作品に関係ない話からコメントしてしまい。本作、率直な心情が表れているところが良いと思います。
0おかしな話なのですが、左部右人さんがはっきり嫌いだという発言した事を批判するつもりもないのです。好き嫌いなんて、誰にでもあります。寧ろ、私としては偉いなと思うのです。これが、どういう意味なのかは、ご想像にお任せしますが。 あと、私もはんぺんさんに謝らなくてはいけません。ごめんなさい。 嘘をつけない友達よ、で始まってる事に何か意図があるんじゃないかと感じました。「嘘が」ではなく「嘘を」となってるのでニュアンス的にどう見るべきなのか少し考えました。 はんぺんさんが、どこまで考えてこうしたのかは全くわかりませんけどね(笑)
0窓辺景色様へ フォーラムか迷いましたが、本作「友達」にも関連しますのでこちらに書かせてもらいます。 >投稿作品は「現代詩」に限定しない。PCスクリーンや携帯ディバイスで読了可能なテクストであればジャンルは不問。詩、エッセイ、評論、歌詞etc.それらすべてを「クリエイティブライティング」とし、投稿ルールに接触しない限りはひろく受け入れる。 確かにその通りですね。加えて、本作「友達」が私にとって『「詩」としての価値がない』のかも繰り返し読んでいると分からなくなってきました。「気に入って」~「錯覚するんだ」までの自身へのアイロニカルな視点なんて、面白いかもしれません。私の読みが不足していました。本作「友達」に関しては、安易に書いてしまったなと反省しています。はんぺん様に謝罪します。 ただ「安易に考えていない」からこそ、私は「投稿なさってる方の事も考えて」最初のコメントのようなスタンスをとっています。私なりの敬意です。出来る限り主観を排したコメントを、と思ってはいますが良いものは良く悪いものは悪い、という態度で作品を読みコメントしようと、私は考えています。私の読む力を鍛えたい、という思いもありますが。 ですので、「好き嫌い」でコメントをしているつもりもありません。最初のコメントにおいて本作を「嫌い」と書いたつもりもありません。 しかし、このような返信をいただくということは、もう少し批評について考える必要があるのかもしれませんね。貴重な学びの機会を、ありがとうございました。
0左部右人さんのコメントに対して少し言葉不足でしたね。好みじゃないものに無理に寄って詩の考察?するだけじゃなくて「嫌い」って言ってしまっても私としては大丈夫じゃないのって意味です。もちろん、言い放ったままじゃなくてこうした方がいいと提示までした方が良いですけどね。投稿する方も批評する方も匙加減がなかなか難しいですけどね。
0こんにちは。 何度も何度も読んで、難しいなあと思いました。私は嘘をつける側なので、場合によってはついてきたし、嘘わらいもしてきました。そうした私自身の来歴を基準に読むと、単純には「すごい友だちだなー、正直なんだなー」と思うわけですが、考えてみるにそれは「嘘がつけない」とか「嘘をつかない」にあたるのかな、という感じで、ちょっと違うかなと。 「嘘『を』つけない」というのは、周りから見ても本人からしても、「ここは嘘をついていたほうが対応としては(良くはないけど)適当だ」と思える場面でも、つくことができない、ということではないでしょうか。だから、先に「嘘をつこうとする」動きがあって「つけない」が実際にはでてくる。《ぼく》にはそれが見えてるんだと思います。 でも、どんな場合でも「嘘をつけない」というのは、相当生きにくいだろうと思います。小さな例で言うと飲み会に誘われたとして、手帳で確認するフリをしながら「今日は予定が入ってますので残念ですが行けません。また次回誘ってください」てことも言えないわけで、ストレートに「いやです」とか言ったり表情に出るのだから、人間関係がスムーズにつくれない可能性はかなり大きい。そこだけで言うと、嘘というのはある程度は人間関係を円滑にする役目をしている、と考えられます。 これはストレスを感じながらも、嘘でごまかして、うまく人間関係を維持している側からすれば、「馬鹿な奴」になったり、進んで仮面を被ってる人から見たら腹立たしく感じることもあると思います。でもそういう人間関係の形成や維持の仕方というのは社会的な構造からの要請みたいなところもあるんじゃないかと言えば言える(これもまた嘘ではないにしてもつくられたものに過ぎないのだけど)。ともかく、その点では、「嘘をつく」というのは好きでも嫌いでも、生活していく上でのメリットはあるんだから、それを承知で「しない」というならともかく、「つけない」となるとかなり損をしているとも言えるし、生きづらいとも言えます。それでも一緒にいて、それを見ていると、損してるよなあ、と思いながらも、そんなふうにありたいなと感じるかもしれない。そこは錯覚であって、錯覚でないのだけど、ここは微妙で「気には入ってるけど嫌いだ」というのもあるように受け取ることもできる。つまり、「つくならつけよ、臆病者、それだって自分に嘘ついてるのとそんなに変わらないじゃないか」と言っているようにもとれます。 一方、これが「ぼく」「きみ」の関係が他者との関係でなく、自分のなかの「ぼく/きみ」の関係であるならば、そういう相反する性格を認めていて、気に入っているという結びつきがあるというのは、偏りが少なくていいように思います。
0皆さんコメントありがとうございます。 様々なご意見頂けてうれしいです。(正直、ファーストインプレッションだったとしても、これを詩として見て頂けない方がいることには驚きましたが。) 平易な言葉を使うことが最近のはやりなのかは知りませんが、個人的に使う言葉は出来るだけわかりやすくあるべきだと思います。ひとりよがりにならないよう注意を払っているつもりです。
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