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ただ移動するだけだということ
人は成長する。否が応でも。生きている限り、必ずなんらかの経験をし、そこからなにかを学ぶからだ。成長しない人などいない。たとえ、誰かや自分自身の期待通りに成長しないことはあったとしても。 ものつくひと氏の「おひっこし」を読んだ。この作品はすべてがひらがなで書かれており、作中の語り手が誰かに話しかけている、そんな作品だ。 この語り手は一体どういう人物なのか。一段落目を引用しよう。 「おひっこしをします どこへいくか、きいてくれますか どこへいきましょう いきたいばしょではないのです いきたいばしょはありますが いばしょがないのでいけないのです なので、いばしょがあるばしょをえらびました さいわい こんなわたしにも ともだちがいるのです いっしょにわらって、ないて、たまにしかってくれる そんなともだちがいるのです」 なぜこの語り手の言葉はひらがなで表記されているのか。考えられる可能性は次の二つだ。 a. 語り手は子どもである b. 語り手は子どものような大人である 冒頭ではどちらの可能性も考えられるが、この段落の終わりで「さいわい」という表現があることから、b. なのだと推定してよいのだろう。(実際にはc. として「大人のような子ども」の可能性もある) つまり、語り手は本当はもう子どもではないのだ。にもかかわらず、子どものふりをしている。 なぜか。その理由こそが、この作品全体のテーマだといえる。 この作品の語り手(子どものふりをした大人)は、当然のことながら、現実的な意味での「引っ越し」の話をしているわけではない。「おひっこし」はある種のメタファーだ。ここからここではないどこかへ移動する、ということ。それも、現実的に移動するのではなく、精神的な意味での移動をするということ。 語り手は言う。 「いきたいばしょではないのです いきたいばしょはありますが いばしょがないのでいけないのです なので、いばしょがあるばしょをえらびました」 このことが意味するのは、語り手が「なりたい自分にはなれそうもない。だから、どこかで妥協した」ということだ。なぜなら、「ともだちがいる」から。 より具体的に言うならば、志望する就職先や学校に行けなかったから「本当はここじゃ嫌だったのに」と思いながら第二志望で妥協する、といったような。 二段落目で語り手は言う。 「いつもどるか、きいてくれますか もどりはしないでしょう はなれたいわけではないのです わたしたいものがあるのですが かなわないので あきらめたのです」 未練がないわけではないのだ。いや、むしろ未練しかないのだ。だがいつまでもしがみついているわけにはいかない。「おひっこし」をしなければならない。 三段落目で語り手は言う。 「おひっこしをします さいごになりますが、きいてくれますか もう あうことはないでしょう なにもないへやをみても なにもおもわないのです まどをあけたら きもちのいいかぜがふいて どうやらわたし しんだようです」 語り手は、「しん」でしまったのだ。「おひっこし」をする前に。あるいは語り手にとって「おひっこし」をすることは、即ち「しん」でしまうことなのだ。 なのにそこにはなぜか悲壮感はない。「まどをあけたら きもちのいいかぜがふい」ている。 そう、それは間違ったことではないのだろう。「おひっこし」をすることは、「しん」でしまうということは、きっと世間的に正しいことなのだから。「ともだち」はみんなそう言ったのだ。いつまでも夢を見ているんじゃない、と。それは、本当に心の底から心配して。 最後、語り手は言う。 「おひっこしをします もう あうことはないでしょう あなたのかおをみても なにもおもわないのです わたし しんだようです」 ここで、語り手が一体「誰に」語りかけていたのかが明らかになる。「あなた」とは誰か。それは、過去の「語り手自身」だ。 語り手は現実世界で選択の局面に立っている。「妥協」して「大人」にならなければならないと周りからも言われているし、自分自身でもそう思い始めている。 だから語り手は過去の、まだ子どもだった自分に言い聞かせるのだ。「おひっこしをします」と。あなたのいばしょはもうないんだ、と。 それは成長なのだろうか。もう子どもではなくなるということは。現実世界に適応していくということは。 語り手の中では、恐らくまだその答えは出ていない。心地よい風を感じながらも、自分はもう死んだ、とも感じているのだから。 だから「おひっこし」なのだろう。私はレベルアップしたのだ、と胸を張って誇れない。ただ場所を移動するだけなのだ、としか思えない。 しかし、それでもやはり自分の中のなにかは「おひっこし」することで「しん」でしまうのだ。 そのことに気づいてしまったとき、人はやはり成長してしまっているのかもしれない。 たとえそれが、自分の望んだ成長ではなかったとしても。
ただ移動するだけだということ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1488.7
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投票数 : 0
作成日時 2019-04-13
コメント日時 2019-04-13
確実なテキストがあって、それに対する評で詩が展開している。平仮名表記の謎を追及しています。興味深いです。 >ここで、語り手が一体「誰に」語りかけていたのかが明らかになる。「あなた」とは誰か。それは、過去の>「語り手自身」だ。 こう言う、切り込み方、断定は小気味よく、散文的かもしれませんが、狙いは詩化にあると思いました。
0エイクスピアさん、コメントありがとうございます。 ただ、これはタグにもあるようにものつきひとさんの「おひっこし」という作品に対する「批評」です。批評のような詩じゃないです。100%完全に批評のつもりで書いたものです。
0ごめんなさい。お名前間違えました。エイクピアさん、失礼しました。申し訳ありません。
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