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B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評
◆はじめに 2017年2月にサイトが立ち上がってから、最初は傍観者的参加者として、そして期待を込めた応援者として、サイトに関わって来た。一時、運営にも参加したことがある。ネットに疎い人間には、つくづく難しい世界だということも知った。 運営の方々の日々の尽力もあり、参加者同士の場慣れや思いやりの成果もあり、詩が真剣に読まれ、コメントが付き、作者との応答が生まれたりするという能動的な空間が安定的に「出現」する場となってきているように思う。 B=REVIEWが、これからどのように大きく変化していくのか。未知数であるが、楽しみでもある。ネット上でのやり取りから派生したリアルでの交流や交友、参加者が個人的に立ち上げる合評会やネットのグループトークによる合評会・・・などが、サテライト的に増えて、たくさんの「拠点」が生まれていくことを願っている。 文字だけのやりとり。対面の合評では、ノンバーバルコミュニケーションがその場の空気感を体感させてくれる。「忌憚なき」発言をした人がいても、その場の様子でフォローに入る場合も、むしろ楽しく?「観戦」する場合もある。作者が傷つかないか、ということ以上に、その場にいる人が、そのやり取りや応対を見ていてショックを受けないか、ということも、対面の合評会では「肌」で感じることができる。 リアルタイムである、ということも大きい。すぐにその場で誤解を解いたり軌道修正したり補正したりする必要性に気付くことができる。時間差が「憶測」や「疑心暗鬼」を呼びだし、修復の難しい罅を入れてしまう、ということもある。早い段階で気づき、軌道修正を図れるか、否か。 時間差が生まれるネットの投稿の場合、見えない他者を、いかに想像力を働かせて「実感」できるか、ということが大切になっていくのかもしれない。そして、その想像力を養うものもまた、詩を読み、そして書くという行為を通じてである。 ◆ひとこと選評 @桐ケ谷忍 「泥」1/1 心象を表現する比喩の力が、体感に基づいているのでリアルに追体験できる。多くの読者の共感を得るだろう。もっとも、そのリアルさを追求しようとするあまり、行為の表現に気持ちが向かい過ぎて、情景を読者に示すという客観性から遠ざかっているところもあるかもしれない。自分自身を突き放してみる、という練習のためにも、時に俯瞰的な位置から作中の登場人物を眺めてみる、という視線を想像することも有効かもしれない。 ・仮名吹「失業したロボット」1/1 資本主義経済にとって、一番儲かる商品は使い捨ての消耗品である。人が「人材」と呼ばれ、労働力として計量化され、効率の名のもとに使い捨てられるようになっていくとき、私たちは「自ら作り出したもの」に、復讐されるに相違ない。介護が「儲かる」と考えた悪徳商人が、人間の欲望に応じて殺人兵器を作り出し、その兵器を処分するために、また新たな兵器を作り出して売りつける。現代社会の縮図。 ・穴秋一「打電」1/1 未来の話なのに、打電というアナクロニズム。デジタル全盛の時代であるからこそ、「写るんです」が重宝される、という人心の不思議にも通じる志向かもしれない。最後の転換が小気味よい。 ・沙一「ナイフ」1/1 型を作り出すような言葉の選び方、象徴的なイメージや対句の多用、儀式的な情景や命令形の多用などによって、力強さや緊張感を醸し出すことに成功していると思う。他方、全体がドラマティックな緊張感を持ってしまい、中心テーマがかえって後退して見える難がある。 @galapa 「天啓から遠く」1/1 庭先に放たれた鶏の景が浮び、そこから「猿の眷属」と大げさに堅苦しく表現することによってユーモアをにじませなつつ、裸の男女の姿が見えてくるあたりの展開がユニーク。文明圏からの離脱もまた、ある種の「失楽園」なのかもしれない。 ・stereoteype2085 「気分はもう、最後の戦争」1/2 バベルの塔とは、ネット社会における個室、であるのかもしれない。仮想空間では全世界を見下ろすような位置に立つことができる。人間を規定するもの、自由を阻害するもの、社会的圧力、そうした外圧との戦いが、語り手にとっての「戦争」であるらしい。それは自らとの戦いでもあり、世界への挑戦でもある。家族のため、という大義名分を掲げての「戦争」を主張する「父」を、語り手はエゴイズムであるとして打ち殺す。父殺しのテーマと戦争の性質を問う姿勢とを重ねていく意識に惹かれた。 ☆仲程「Fuoco Intrappolato/閉じ込められた火との約束」1/2 読み心地の良さは聞き心地の良さ、でもあるのだろう、文体が自らのスタイルを持っている。自然に流れている。情熱の発露を火の鳥の羽ばたきに重ねていくのか。青春期の青臭いような情熱、あるいは義憤に近いような燃え盛る思い。その存在を忘れるな、と呼びかける歌のように感じた。 ☆帆場蔵人「冬の幻視」1/2 「蜻蛉がつぃーつぃーと」・・・音の響きからtweetと重ねてイメージした。表層的に、写真や短文が薄い一葉となって拡散されていく世界。その美しいけれどもどこか冷え冷えとした世界で、体温のある言葉を、目に、耳に、人の心に、届けることは可能か。そんな問いかけが、背後に響いている気がした。 ・所謂「ふわふわ」1/3 ふわふわ、という好意的な質感を予感させつつ、不安定な平均台を歩く景が描かれる。綱渡りをするほど、世間を「わたっていく」ことは厳しくも不安でも無いにしても、風がひとふきすれば容易に転げ落ちてしまう不安定さを持っている。擬音や擬態語がニュアンスを醸し出している反面、直情的な素直さにつながっているようにも感じられるので、擬態語が生み出す心理状態を、比喩で表すとしたら・・・というような実験を試みてほしい。 @岩垣弥生「冬の魔物」1/3 一連目の舞台設定が、詩的なレトリックに傾き過ぎているので(ほぼ一行ごとに洒落た比喩やカッコいい表現が入っている)少し肩に力が入り過ぎているというのか、軽さやきらびやかさの割には力みが見えてしまうのが残念な気もしたが、二連目から生き生きと物語が始まっていく展開に惹かれた。ワッツの「希望」という絵の少女を思い浮かべつつ。壊れた信号が「残された力」のすべてを注ぎ込んで、見つめ、守りたいもの、という切実さに、読者は自然に感化される。 @あいこ「かぶりもの」1/3 仮面、ペルソナ、と書くと固いイメージになるが、かぶりもの、と記されるだけで、ぬいぐるみのような柔らかさを想起する。単語の持つ力を改めて感じた。幸福な一面しか見せないSNS上の交友関係。仮面を脱いで、自らの気持ちに素直でいられたらいい、そんな願いを綴った作品であるように思った。 ☆かるべまさひろ「ダダミラクル」1/7 「鬼」は欲望だろうか。大人になるために、大人である、ために、自らの夢や希望、やりたいこと、したいことを抑え込んでいる間、鬼、は小さく縮んでいる。僕と君、とあるが、現実の僕と理想の僕との睦みあい、であるようにも思った。一人寝の夢の中で充たされる、はかない充足。その自閉的な世界からの独立が意味するものとは・・・。切り替えと構成が見事。 ・みうら「三島由紀夫が好き」1/8 恋人同士の微妙で誘い合いながら控えあっているような関係性を、適度な飛躍と幅を取りながら進んでいく前半と、固有名が無防備に取り出されてからあとの、乱暴に言葉を置いていくような後半の落差について考えた。身体でしかとらえられないことを得ようとする丁寧さと、体の喪失を願う虚無感が裸出する性急さとの対比か。 ・羽田恭「今日の豊穣」1/9 色彩で鮮烈に描かれていく。混沌を牛は超越しているのか。あふれ出す、ということは、不要なものを放出することでもあるわけだが、要/不要、清濁を決めるのは人間の側であって、あふれさせ、与える側ではない。創生神話の中で、排せつ物が食べ物へと変容する不思議を歌ったものが多数あることに通じるものがあるかもしれない。糞尿もまた、植物の糧となる。 ・ふじりゅう「消火器の裏」1/10 題名がユニーク。腹蔵なく話をしよう、というような表現があるが、隠しごとなく話をしよう、というような意識を感じた。「僕はプルトニウムで人間」という、ある種、舌足らずな表現が読者を困惑?させるわけ、だが・・・人間が生み出した(呼び覚ました)人間には扱い切れない、命を死滅させる力を持つ物質。缶コーヒーを開ける、つかの間の幻想と、開けてはならぬ蓋を開けてしまった、という取り返しのつかなさ、缶コーヒーに脳を移植するというようなナンセンスを持ち込みながら、何億年の命の果ての旅路がこれか、と歎息している語り手の姿が見えるような気がする。 ・左部右人「腹痛」1/10 身に馴染まない言葉を飲み下すときの、胃腸の不調。故郷から離れて一人暮らしをしている設定の語り手が抱える孤独と、社会でさらされる飲み下しがたい言葉に痛苦を覚えている感覚とがリンクしているように思う。 ・蔀県「触る」1/14 詩を書く、あるいはイメージするとき、思考や感覚を具体的にとらえたいと願うことがある。目で触る、耳で触れる、そうした体感的なとらえ方が、論理を超えて体に響く言葉に結びつくのではないかと思う。詩を書こうとする、その日常を観察した作品と読んだ。 ・およそ紺にて「落ちるものたち」1/16 ネット空間に馴染んだ世代は、「わざわざ本を買って」ということになるのかもしれない。情報化された文字と、紙という物質を通じて伝わってくる言葉と。月のように形の変わる、落ちる言葉、感情の起伏の激しい言葉を、拾い上げた愛玩的な対象に「押しつける」というあたりに、語り手の孤独が表れているように感じた。短いながら、言葉の選択がよく吟味されている。 ・なないろ「他人の人生を笑うな」 短文を重ね、動詞を重ねて作り上げる、きびきびした文体。自分で自分を笑い飛ばすエネルギーも内蔵させつつ、「空間を埋めながら/声も出さずに」笑う、という不気味な開き直りのようなものが、肯定的に作用している。命令形だが、自身に呼びかけている叱咤激励の言葉であるようにも読める。 ・Sunao Radio「ウィリー」1/16 流れるような文体の美しさに惹かれた。猫と人が不可分に溶け合っていく。君、と僕との距離感は、意識が「僕」に向かわないことの寂しさと連動している。「ずいぶん昔」に君が猫を見つめていた折には、「君」の「猫」への憧れがあったのかもしれない。今は、「君」が猫のようになってしまって、「僕」から(人から)距離が離れてしまっている。 ☆るるりら「ゆび」1/16 人を指す、ということと、人をなじる、非難する、ということが連動している。ならば、人を指す(射す、刺す)のではなく、希望を、夢を、憧れを指す指を持ちたい、いや、自分自身に、既にその「人を刺さない指」は備わっていた、ひそかに、靴の中、靴下の下で・・・自制と自発(自己啓発)を伴う作品は、えてして教訓的になりがちだが、最後のユーモラスな終わり方なども含め、教訓ではなく発見に留まっているところで、押し付けがましさから逃れているように思う。緩やかに広がりを持つ地平への期待を想像させる、豊かさを持った作品。 ・Yuu「フィロソフィー」1/17 「アリフレマジック」・・・ありふれた生き方、普通の生き方、それが生きる「哲学」なのか。同調圧力への、柔らかな抵抗。人の量産が始まる、出荷される、というフレーズと、フレッシャーズスーツに身を包み、黙々と企業説明会に向かう若者たちの姿が重なった。 調子の良さに流れているきらいもある。 ・こうだたけみ「夜明けに蝶のとどく」1/19 題名から詩がイメージされていくところが素晴らしい。一息に語り下ろすような言葉のつなぎ方、流し方、整え方。ノイズのちりばめられた一日。蝶…ポエジーが飛来するか否か。一日の時間の過ぎる速さ、空疎さに比べて、実体のある蝶の印象。 ・agath「木の舟」1/19 うつろな小舟を人の体にたとえる、あるいは寝台、棺桶になぞらえる。その中で繰り返される陶酔の営み(生命の生産ではなく、快楽の為だけに行使される忘我)緩やかに長く流れる時間を永続性の中でとらえたいということなのかもしれないが、クライマックスをむかえないまま抱き合い続けているような冗長さも感じた。 ・kikunae「失われていく、」1/20 電線に呼びかけるという童話風の始まり。交換ノートなど学生時代を思い出させる小道具、カブトムシは子供時代の思い出だろうか。(子供時代が)既に「五年も前に、」失われた、というよりも絶滅した、そんな強さで奪い取られているように感じた。「世界は静かに特別を失って」いる。それこそが、童心(ワクワクと心が躍る、新鮮な感動に満ちた世界)の喪失、その実感なのだと思う。 ・夏生「午後の電車」1/21 一定のリズムで刻んで一句詩行。本文だけ読むと眠くなるような感覚も覚えるが、午後の電車にガタンゴトンと運ばれていく、そのリズムが醸し出す眠さでもあるのだと思う。丁寧な観察が光るが、白線が「やせ」ている、鳥は「ニセモノ」、明日の顔した(馴染まない、よそよそしい)「過去」、「酷のあるゴッタ煮」など、その感覚が必然であったのだとは思うが、寡黙であるがゆえにその必然性が今一つ伝わってこないもどかしさも感じた。 ・5or6「消息」1/25 散文というのか、記録文という文体だが、「ごめんね、と一言だけつげた」「野菜を食べなかったからだ~一番励ましたい人に辛く当たったりした」といった、実際にあったに違いないリアリティーを持った言葉が、むしろ詩語として突出してくるように感じた。 ・社町迅「ハクセキレイ」1/26 「夢去り」という古風な歌い出し、「寝具潰れている」という訥々としたリフレイン。許されざる恋の顛末だろうか。それでもなお、「あなた」の「覚悟」を放り投げてでも「あなたをやわにひさいでいる」「男の重み」は、男の悲しいさが、であるのかもしれない。 ★スミカゼイツカ「白い世界」1/26 安定したリズム、手のひらからあふれ出す水(涙の喩か)。言葉を使いこなしている感覚と、廃墟と化した心象風景を彷徨い歩く感覚。その廃墟を流してしまう、という行為は、過去との決別ともとれる。踏みしめて、かえって生を感じ取るという生きる方向への志向。すべてが白く洗われた風化した世界であるがゆえに、廃墟だが清浄さを感じさせる。自分もまた、その白い砂の一部になるということを知りつつ、生きている今を確かめようとする意識、化石となった心臓が再び拍動を繰り返すのを願うような、再生への祈り。風化したものへのオマージュと再生を祈りながら、詩的彷徨を続けようと意志する作品だと思う。 ・北村灰色「赤いドレスの少女だった君へ」1/27 色彩が鮮やか。水の中の葬列、沈黙の地下鉄、いずれも死者を運ぶ列。世界は劇場、その中で鮮やかに演じ、去っていく人影を映像として追う、カメラの冷徹な視線を感じた。 ◆推薦 @桐ケ谷忍 「泥」1/1 @galapa 「天啓から遠く」1/1 @あいこ「かぶりもの」1/3 @岩垣弥生「冬の魔物」1/3 ◆優良 ☆帆場蔵人「冬の幻視」1/2 ☆仲程「Fuoco Intrappolato/閉じ込められた火との約束」1/2 ☆るるりら「ゆび」1/16 ◆大賞 ★スミカゼイツカ「白い世界」1/26
B=REVIEW 2019年1月投稿作品 選評 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1690.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
作成日時 2019-02-16
コメント日時 2019-03-24
優良への選出、ありがとうございます。継続の励みにいたします。
0選評ありがとうございます。「ひとこと」選評とされながら、作者が意図したところとほぼ同じ指摘を十分にいただけたので大変うれしいです。
0ひとこと選評をいただきありがとうございます。 蝶をポエジーと捉えていらっしゃるところがとてもまりもさんらしいなと、勝手に思いました。うれしかったです。
0>混沌を牛は超越しているのか。 と、言うより何も考えてないだけかと。 その時その時を全力で”牛”をやっている結果、そう思えなくはないのかなと。 >あふれ出す、ということは、不要なものを放出することでもあるわけだが、要/不要、清濁を決めるのは人間の側であって、あふれさせ、与える側ではない。 確かに。 牛は牛のまま、牛乳を出すだけですね。 そんな訳で、一言選評感謝です。
0丁寧に読んでいただいて どのように感謝をあらわせばよいか、よくわからないのですが、ありかとうございます。 自己啓発というほどではないのですが、たしかに 自制と自発でした。 次回は もっと はっちゃけたいです。指だけでなく 全身で書いたなと おもわせる詩が書きたいものだと思わせていただけました。ありがとうございます。
0まりもさん、一言コメントありがとうございます。ほぼほぼ僕の狙い、要点をとらえていただいていたので嬉しいです。
0返信遅くなり、失礼致しました。拙作「午後の電車」の選評をありがとうございます。ご指摘から再考し、次へ繋げるよう精進致します。
0まりもさん、選評ありがとうございます。
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