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サルビア
障害がある子に産ませてしまった持念は一生ある 差別もなくならないだろう でもだからといって はなさないでほしい もっとはなしてほしい はなさないで はなしてほしい はなさないで はなしてほしい はなさないで はなしてほしい もっと もっと 世間の目からすると はなしたいだろう だけどはなさないで もっとはなしてほしい 家族の立場からすれば はなしたくないだろう だからはなさないで もっとはなしてほしい どうとでもとれる世論と どうとでもとれない世間の間に 小さな川が流れていく 小さな川を越えられないまま はなしてほしい家族と はなさない家族が 互いに口を閉ざしたまま サルビアを見つめている 見つめている
サルビア ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1238.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-10-04
コメント日時 2018-10-09
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
はなさないでほしい もっとはなしてほしい 話す、離す、放す、と頭の中で様々な漢字に変換しながら家族、それぞれの複雑な気持ちがまじりあっている。 小さな川、隔てられていても善意も悪意も好奇心も、届く。でも越えられない。 微妙な距離感ですね。 とざされた口がいつか言葉を紡ぐとき、それは誰に対して向けられるのだろうか。しずかな語りのなかに沢山のものがあるのを感じました。
0ありがとうございます。サルビアの色が赤く見えた事に嬉しく思いました。 沢山の思いを汲んでくださり感謝します。
0サルビア。この詩の中身はツイッターで前もって拝見しておりました。「はなしてほしい/はなさないで/はなしてほしい」という矛盾するリフレインが筆者の葛藤が描かれていて良いです。「互いに口を閉ざしたまま/サルビアを見つめている/見つめている」とのラストも切なくも物悲しく、しかしどこか一筋の希望を見い出すようで好印象でした。
0冒頭の詩句に口舌しがたい思いを感じました。 あとの行は 口舌しがたさの艱難や煩悶をうまく表現されているなあと思います。 余談となりますが、フラの曲に「プアリリリフア(サルビアの花)」という曲を思い出しました。その曲の場合はラブソングなのですが、べつにサルビアである必要なんのかなあとおもうような歌詞なのです。正直、本作品も なんでサルビアなんだろ。と最初はおもったのです。ですが、5or6さんのこの作品を読んでいると、とつぜん「あっサルビアの必要あるわ。」と思いました。 「プアリリリフア(サルビアの花)」という曲の歌詞には、 遠くにいく恋人の心を【放さない】とか 八重に編み込まれた縄のように 私を貴方からひき【放す】ものはないという意味の歌詞があります。 サルビア類の花姿って、つななっていて ちょっと縄みたいなんです。 この詩も 【はなさないで】【はなしてほしい】とか、愛憎がまるで あざなえる縄のようです。そして思いました。ああ この詩って、サルビアだなあと。 作者の意図と わたしのサルビアへの思いは違うかもしれません。ですが、サルビアが この詩のおかげで より好きなりました。ありがとうございます。
0ありがとうございます。サルビアの歌は調べていませんでしたがまさかHOME MADE 家族が題材で歌っているとは驚きました。まあ、家族をテーマにしているので花の選択は正しかったのかもしれません。花の姿も改めて見たらるるりらさんの仰る通りですね。また発見ができました。最後の余韻も感じてくれて感謝です。
0冒頭部分、僕の家族とも(関係性など差異はあると思うのですが)近しさを感じる言葉に一瞬、複雑な感情が浮かびました。そしてそれとは、おそらく無関係に、この詩を読み終えたとき、むかし、通学路にサルビアがたくさん植えられていたことを思い出したのです。学校帰りの僕たちは、その蜜の甘さを享受しつつ、まだ子供だった僕には、道路沿いをうめつくすようなサルビアの姿と赤さが、少し怖かった――すっかり忘れていた感覚が、ふいに戻って、ふいに消えました。 そんなすごく個人的なこともあり、とても印象に残る詩でした。
0「スーパー踊り子豚野郎」のイメージからすると本作「サルビア」がとても重たい内容を孕んでいる印象があって何度か目にするもコメントが出来ないでいた。5or6さんの作品は気楽な気持ちで書いていらっしゃる(「スーパー踊り子豚野郎」がそうだと思われる)ものや、重たいもの(「リチウム」などに感じました)であったとしても、私が持つ印象として「あえて書いていない言葉」の存在を強く感じるのだ。本作に沿っていうと、 >差別もなくならないだろう >はなしたいだろう >はなしたくないだろう といった推量の助動詞にその、あえて黙っている言葉を感じる。そのことを違う言い方をすれば詩情ともいうし行間にある言葉というのかもしれないけれど、5or6さんの行間にあるのは言葉じゃなくて黙っている顔がある。私にはそうみえる。黙っている、あえて言わないでいる人格として迫ってくる。その印象の輪郭が本作ではとても強い。「リチウム」もとても強く感じたけど、本作のがもっとだ。先の推量の助動詞の話に戻すと、それぞれ置かれた助動詞の後に続く言葉が本作では優しい。 >差別もなくならないだろう >でもだからといって >はなさないでほしい >もっとはなしてほしい >はなしたいだろう >だけどはなさないで >もっとはなしてほしい 推量の助動詞のあとに続ける相反する願望。私には優しさとして伝わってきた。本作が表現していること(すみません、こんな大層なことではないかもしれませんが)人間には二面性があって、その善悪の二面性を孕みながら家族であるという、「諦めと諦めきれなさ」から滲む優しさだと思う。
0どうとでもとれる世論と どうとでもとれない世間の間に この箇所が印象に残りました。 はなさないで、はなして、も、繰り返され、ひらがなで、繰り返され、目に飛び込みやすい文字ではあったのですが、私は、どうとでもとれるという言葉が、「その通りだな」と、すんなり入ってきました。そう、どうとでもとれるんです。 誰がどの方向から放った言葉なのか、態度なのか。 板挟みになっているのはどの心なのか現実なのか。 難しいことはわかりませんが、生きづらいと浮き彫りにされた「今」がここにある。 そんな気がしました。
0ジレンマ、という言葉を使わずに、そのもどかしさがひしひしと伝わる作品だと思います。 はっきりとした答えが出せずにいる人間たちの間に、鮮やかなサルビアの輪郭だけがくっきりと浮き立っていて、とても活きているという印象を受けました。
0世間の目、家族の立場、はなしてほしい、はなさないでと言う両極。世間の目や家族の立場は詩の後の方で出て来るので、最初の部分で、はなさないで/はなしてほしい、と詩行が出て来ると、何のこっちゃと思ったり、不謹慎にも笑ってしまったり、でも相当重い内容を扱っているということは伝わってきました。
0花したい 花さない 花して・・・サルビアと名で終えるのが鮮やかに余韻を与えながら詩情を生んでいると感じます。 現実の過酷さ、凄まじい差別に暴力にさらされている当事者たちのことをわかったことを言うことなどできませんが、最近ではパンドラの箱やNスペなど。そうしたものを通しながらでも皆が自分なりに考え続けることがやはり大事かなと。わかりませんが、そんなことを思いました。残念ですが想像する以上にこの国に残る排外の感情、恥や世間と呼ばれるものの壁が厚いのだろうと。
0みなさん、ありがとうございます。 批評を読みますと意識の外側が見えて嬉しいですね。ただ悪口を書くのが批評と勘違いしている方々も会って話し合えば良いですよ。 花さない、花してほしい。 これ凄いですね。気づかなかった。 確かにみうらさんの読み通り、黙っている事多いです。基本無口です。 コミ症ですみませんね。 ビーレビューテンお疲れ様でした。
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