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2019年の花魁。沖縄にて
脳の花弁が開き、天涯には情婦の瞳が。 ヨロ ヨロシクデス ヨロ ヨロシクオネガイシマス 竹ガムランが頭に反響する2019年の五月雨。原始の鼓動がコピーライティング化され、ドームで覆われた街では僕らは決して雨に濡れることはない。もちろんニュースで流れるシリアのテロは対岸の火事、他人事で誰も注視することはない。 三線の音で琉球娘はハイサーイと踊り、手招きをする。蝶々を顔にペインティングした男色家は水平線に埋もれ、沈んでいく。駐屯地のミサイルの行き先を僕らは知らないし、知るつもりもないし、その軌道はきっといつだって身勝手だろう。 僕は若草の香り漂う庭を抜けて大好きなあの娘に会いに行く。僕はあの娘が大好きだ。ミロのヴィーナスは昭和の、平成の孤児である僕らを知らない。だけど彼らもヴィーナスを知らない。だからおアイコだろ。別に構いはしない。子々孫々根絶やしになっても極東の風はいつだって「神がかってる」と、みんなが幻想を抱くだけだ。僕は根無し草だ。花魁は子孫を浴びては、顔中が真っ白く濡れてゆっくり瞬きする。誰も知らない、誰も見たことのない、誰も触れたことのない場所で。彼女は僕だけを愛して、見つめて、目を逸らすことがない。伽藍堂の僕を見据えては唇を開く。 アイシテイマス ダイスキデス ソシテ モウイチドアイタイデス アイシテイマス ダイスキデス ソシテ モウイチドダキシメタイデス 死人が天国とか浄土とか呼ばれる場所で踊っているのが見える アイシテイマス ダイスキデス ソシテ モウハナレタクナイデス ワタシハシアワセデス アナタニアエテ シアワセデス アナタニアエテ シアワセデス モウナニモノゾミマセン モチロンオアイテハアナタダケ 僕は薄気味の悪い幻覚、官能美を見せられているような気がして、いつも逃げ出す。大好きなのに、あの娘から逃げ出す。無為の日々、非生産的な毎日。何かを生むとしたら男たちの不毛な雄叫びと諍いだけだ。金メダルの貰い手が誰かなんて人様は興味がないし、銀メダルの落下する地点なんてものにも関心がない、空梅雨を抜けた五月の雨景色。 ワタシタチハアナタヲアイシテイマス アイシテイマス ズット アイシテイマス ズット モチロンアナタダケヲ ホント、生きていたいです。
2019年の花魁。沖縄にて ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1388.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-09-06
コメント日時 2018-09-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
これはだいぶ良い作品だ。stereo氏は従来メタルの歌詞のような語句を多用する作風だが、主張の激しいそれらが衝突して語句ごとの持ち味を打ち消してしまっていることも多かった。 今作はそれが無い。語句語句がちょうどいい間隔を保って存在している。そうなんだよ、テキストのすべてが光っている必要はないしむしろそれは良くない、適所適所で的確に光ってこそだ。 カタカナで綴られる愛の言葉もエモさはくすぐるし、それらの最後に「ホント、生きていたいです。」とひらがなが入ってくるのが演出としても上手い。
0渡辺さん、コメントありがとうございます。元来辛口というか、辛辣な批評を入れることも厭わない渡辺さんに褒められて、笑えることに若干舞い上がっております。少しずつ喜びを噛みしめて、一つ一つの分析、ご批評に言葉を返していきたいと思います。 「語句語句がちょうどいい間隔を保って存在している。そうなんだよ、テキストのすべてが光っている必要はないしむしろそれは良くない、適所適所で的確に光ってこそだ」とのお言葉ありがたく頂戴いたします。そうなんですよ。この詩を作っている時、自分の元来の作風から離れていく感覚、離れようとする志向があって、同時に「現代詩ってこういうことね」という手応えのようなものもあり、その部分をお褒めいただいて、その手応えが今確信に変わりました。これは今後の作品、作風に大いに影響するでしょう。ありがとうございます。幾つもの詩のストックがあったので、その日に作った今作を投稿して「良かったのかな」と思ったりもしましたが、「手応え」を優先して良かったと思います。 「カタカナで綴られる愛の言葉もエモさはくすぐるし、それらの最後に『ホント、生きていたいです。』とひらがなが入ってくるのが演出としても上手い」とのこと。演出めいたことは適度に僕は大好きな方なんですが、その点にも賛辞を受けてとても嬉しく思います。渡辺さんからの賛辞を受けて、また手応えが確信に変わったこともあって、この作品は今後僕の詩の作風をある程度方向づけるものになるでしょう。ありがとうございました。
0近未来SF的な要素を感じる作品でした。 現在の状況(シリア情勢にしても、沖縄の基地負担にしても、なにも変わることがない、というような諦念も含めた、逆説的な怒り)と”がらんどう”の僕、の空虚感。〈子々孫々根絶やしになっても極東の風はいつだって「神がかってる」と、みんなが幻想を抱くだけだ。僕は根無し草だ。〉というフレーズが、特に印象に残りました。 花魁、これは、機械仕掛けのダッチワイフのような、高性能アンドロイドのようなイメージ、でしょうか。〈子孫を浴びては、顔中が真っ白く濡れてゆっくり瞬きする。〉これは、ザーメンを顔面に浴びている、的な状況を、暗喩も含めて描いた情景かなあ、と思いました(間違っていたら、ごめんなさい) 2020年のオリンピックも、現在からその時に至るまでの世界情勢も、俺は知らねーよ、という無関心の蔓延する社会、その空虚感と・・・それまでに世界大戦が起って、全ての都市が放射能防御のドームに覆われている近未来社会(女性は子供を産むことが出来なくなっており(あるいは死に絶えており)、男性は高性能AIで淋しさを紛らわせている、というような物語を背景に感じたのですが・・・妄想を飛ばせすぎている、かもしれません。 全体の構成や、現在の事象と将来的な事象との接続具合、明るい文体で虚無的な世界を描いていく、というバランスの問題、そのあたりが、いまひとつ、うまく掴み取れないような感も残りました。
0まりもさん、コメントありがとうございます! 元々この作品の時代設定は、例によって2085年であり、「近未来SF的な要素を感じる」というご指摘は、まさに僕も納得、まりもさんも大正解なのです。ですから「花魁」は「機械仕掛けのダッチワイフ」のような存在、仮想空間の存在にもなり得たのですが、実はこの詩においては私情を排し、感情を退け、人間味でさえ商品化され、広告化された、この時代の人間の娼婦という位置づけです。「生身の人間ではあるだろう。だがしかし感情抑制を受けた娼婦が『花魁』、つまりは『高級娼婦』になるかもしれない」、との僕の考えも含まれています。「子孫を浴びては…」の部分は暗喩も含めてその通りです。ただこの国の子孫は根絶やしになっていない。まだ希望があるとのニュアンスもそこには含意されています。まりもさんが背景に感じた物語性、とても好きです。実は僕は仮想空間の花魁を描いた「花魁の残り火」という短編を書いているのですが、その作品のバックボーンがまりもさんの感じられた物語性に近いものを持っています。ですからこの作品にも物語性は充分に潜んでいると思います。 最後に要約させていただきますが、①全体の構成②現在と将来の接合具合③虚無的な世界を明るい文体で書くそのバランス。以上の三点がうまくつかみ取れない印象がしたとのこと。①については非常にバランスが取れていて見て美しい、展開や文面も美しいと自負しているのですが、まりもさんがそう感じられたのならばまだまだ精進の余地ありかもしれません。②については先にも書きましたが、元々の時代設定が2085年であったため、読み手を納得させる、スムーズに引き込む書き漏れがあったといえばあったかもしれません。これも伸びしろの一つですね。最後の③虚無的な世界を明るい文体、ライトな筆致で書くというのはミスマッチ感が出ていて、いくら世界が荒廃しようと人は笑うし、お腹もすくし、泣きもするという僕のスタンスが投影されていて、むしろ良かったのではないかと僕は感じています。荒廃した近未来があっても普通に泣き笑い、お腹も空く、というの実は私たちが今現在体験しているのかもしれませんよ。では長文になりましたが締めくくらせていただきます。子細に渡る読み取り、ありがとうございました!
0オリンピックとか戦争とか現代社会が抱える問題が散りばめられていますね。完全に私事ですが、現代社会の闇を訴えるというテーマは本来、苦手とする部類です。環境問題とかアフリカの子どもたちとか、戦争への無関心とか、罪悪感は感じるけれど実際問題私にどうしろってのさーという、開き直りの感想しか出てこないからです。ところが。この詩にはそんな嫌な感覚がなく、むしろ染み入るように受け取れました。おそらく、SF的な設定である面白さ、花魁(あの娘)と僕という個人的な物語を含んでいることが その理由かと思います。こんな風に社会背景をバックボーンとしていても、描き方によっては、悲しみ、面白さ、虚しさ、美しさと色々な面を見せることができるんですね。そして、この詩に良い意味で人間臭さを持たせているのは、最後の「ホント、生きていたいです」でしょう。本音を響かせる閉じ方は共感を誘い、詩を印象深いものにしていると思いました。
0あれ?この作品いいじゃんと一読して思ってコメ欄みたら渡辺さんも褒めてるし、やっぱこの作品はいいんじゃん、と思いました。日記です。人に見せる前提に書かれた日記だと思うんです。優れた散文。悪くない。やっぱ、ステレオさんって一応、エモーション持ってるのか。
0ヤエさん、コメントありがとうございます! 現代社会の闇、とか現代社会の抱える問題を扱っているのに、嫌な感覚がなく、染み入るように受け取れたとの感想、嬉しく思います。僕は自分で言うのもおかしな話なのですが、それらの問題を作品に取り込みながらも、厭世的に、傍観者的態度で描くのが得意で、何より「好き」なんです。普段情報として入ってくるそれらに、そこそこの関心は持ちますが、それを表層、皮のようなものとして扱い、その時々の核心に迫っていく、という描写を好んでします。その手法が特に上手くいったこの作品の、コメントをくださった四名の評価が高く、僕のスタンス、技法の一つは間違ってなかったなと少し得心しています。「社会背景をバックボーンとしていても、描き方によっては、悲しみ、面白さ、虚しさ、美しさと色々な面を見せることができる」との評価。僕の試み、狙いをしっかり把握してくださって、ヤエさんの心にヒットしたんだな、と思うとひたすら嬉しいです。「ホント、生きていたいです。」はやはり効果的でしたね。初めは真逆の表現だったのですが、真意をくみ取るならこちらの言葉だろうと思い選びました。「本音を響かせる閉じ方は共感を誘い…」とのこと。これもしっかりとした技術の一つとして取り入れようと思います。ありがとうございました。
0三浦さんコメントありがとうございます! でしょう! いいでしょう。この作品。書いた内から手応えがあったので、ストックしてた詩よりもこちらの方を選んで投稿させていただきました。「やっぱ、ステレオさんって一応、エモーション持ってるのか。」って。持ってますよ。一応。ってか一応ってなんですか。一応って。笑けてくるじゃないですか。この作品は僕のエモーショナルな部分が特にいい方向に作用しましたね。自分でもとても満足しています。優れた散文との評も嬉しく思います。ありがとうございました。
0最終行をあえて一般的表現の短文にすることで、かえって多くの読者の心の奥に突き刺さるところが絶妙だと思いました。
0拝読しました。私達は世の不幸を対岸の火事として、ただひたすらに現代を生きているけれど、どこかで見て見ぬふりをしている自分を知っている、嘆いているという姿を、官能の間に浄土(のようなところ)を見て逃げ出してしまう主人公に重ねて見ていました。相手の女の言葉がカタカナなのが、遠くに、希薄に聞こえているのを表現するのに上手いと感じました。それで結局、主人公が命にしがみつくのも素晴らしかったです。ありがとうございます。
0仮名吹さん、コメントありがとうございます! 実は最終行、まず思いついたのは「ホント、死にたいです。」だったんですよ。厭世的になって官能に溺れる詩の主人公が自分に倦み、呆れ、そういう心境になるだろうとの感覚が僕に芽生えたので。しかしそれは締めくくりとしてあんまりだろうと思い考察した結果、やはり「死にたいです」の言葉の裏にある真意は「生きていたいです。」という、生への執着だろう、と気づき変えました。結果としてとてもインパクトがあり印象深いものになりましたね。憔悴し、うなだれながらも「生きていたい」。これは多くの人が共鳴、共感するところだろうと思います。心の奥に突き刺さるところが絶妙とのお言葉、べた褒めじゃないですか。本当に嬉しいです。ありがとうございました。
0じゅうさん、コメントありがとうございます! そうなんですよ。人の不幸を対岸の火事として見ながら素知らぬフリをして生きている、というのはこの情報が溢れ、情報のスピードが異様に早く、タイムラグなしで伝わる時代においては往々にしてあるし、処世術の一つとしても人が取り得る態度だとも思うんです。何しろ一見、平穏無事に生きている人でも、仕事や家族、人との付き合い、ライフワークなどで手が空かないところはままあるわけですから。悲しいことに処世術の一つでもあるんですよね。素知らぬフリというのは。しかしやはりそれらの不幸が頭の片隅に残っているのも事実で、じゅうさんの言葉を借りれば「どこかで見て見ぬふりをしている自分を知っている」わけで、自分を苛む感情が芽生えるのもあり得る。まさに官能に溺れている自分を「発見」することによって、怖くなって逃げ出すのも心情としても起こり得るだろうと。その強い自己嫌悪にも似た何かに苛まれながらも、最後はやはり「生にしがみつき」「生きていたいです。」と来る。人間の一部本質的な部分にも迫れたのではないかな、と思います。カタカナ表記も遠くに、希薄に聞こえてくるのを表現するのも上手いとの評価、これは意図した部分でもあったので、とても嬉しいです。ありがとございました。
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