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弾け音(ね)
パチン 弾け音ひとつを存在の証に パチン 世界の片隅で今日も だれかが音を立てて消える ある人は未来に絶望して ある人は寂しさに耐え兼ねて 無意識に口にする 「消えてしまえたらどんなに楽だろう」 今は自分殺しが流行で 一生懸命に生きるのは難しい 親に規則に縛られて こどもですらその小さな音を望んだ パチン 弾け音ひとつと存在の交換を 空に 解き放たれる自由を だれもが追い求めて消える ある時は叶わぬ恋をして ある時は夢に圧し潰されて 無意識に叫んだ 「消えてしまえたらどんなに楽だろう」 今は自己疎外が流行で 自分を慈しんで生きるのは難しい 夢に未来に縛られて 僕ですらその小さな音に手を伸ばす パチン 弾け音ひとつを置き去りにして きっと どの時どの世界にも 二度と現れることはない パチン 弾け音ひとつと存在の交換を 空に 解き放たれる自由を だれもが追い求めて消える
弾け音(ね) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 820.3
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-27
コメント日時 2018-09-04
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
とてもシンプルな独白作品だと思う。吐露される世界観に共感はするのだけれども、言葉に抉られたり共鳴するまでには読めない。なぜならば、未来に絶望する人も寂しさに耐え兼ねている人も、年間の自殺者が3万人ぐらいいて一生懸命に生きることが難しい国であることを私は既に知っていて、私も時には消えてしまいたいと思う時があるから。つまり、作品を読んでいると、言葉が既視感に覆われてしまいました。もちろん、読んでいる私の勝手な感想です。でも、「パチン」の置かれ方は本作の中で活き活きした響きの効果として読めました。 モノローグな作品が大衆性を拒否しながらも普遍性を具えた芸術作品として、誰かしらが後世に伝え残ってゆくような作品、それを創作することは、かなり難易度が高いと思う。 でも、モノローグこそが詩だとも思うのです。私もモノローグ作品を書いてはいつも失敗しています。多くの酷評を受けました。なぜだか、酷評されると嬉しくなりました。なぜなら他人に理解してもらうことが難しいことを作品にして表現しようとしている自負があるからです。 すみません。結局、自分語りなコメントになってしまいました。書いた後に、初投稿の方へのコメントなのに、言葉が過ぎてしまった感を持ちましたが送信ボタンを押します。次回作も必ず読ませて下さい。楽しみに投稿をお待ちしております。
0追記 hitorismというハンドルネームが気に入っております。
0内容の重さ、に比して、言葉が軽さを保とうとしている、そこのギャップをどう読むか、ということなのかな、と思いました。 「シャボン玉」の歌(歌詞)は、亡くなった愛児への思いを美しいイメージに昇華して歌ったもの、だとか。 本作の「パチン」にも、このシャボン玉のようなイメージを持ちました。同時に、スイッチをパチン、と切る、というイメージも重なり、ネット社会から自らを消す、そのパチン、であるようにも思いました。 〈今は自分殺しが流行で〉〈今は自己疎外が流行で〉歌を口ずさむような軽さでリフレインされるこのフレーズ、本当はそんなことをしたくない、それなのに、自らせざるを得ない所に追い込まれている〈自分〉を自ら揶揄するような、自分を突き放すことで(一種の道化的な存在と見ることで)がんじがらめの現実から逃れる自由を得る、という心の働き、であるように思いつつ・・・〈生きるのは難しい〉と、わりあいに一般的な言葉で、さらりと言い退けてしまうようなところが・・・その先、を知りたい、あるいは、その奥、へと踏み込んでほしい、という読者の思いと相反する部分なのかな、とも思います。このあたりが、今後の課題となってくる部分ではないでしょうか。
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