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ラ・ラ・ラ族
お義母さま あきの こごえです 朝風に 精霊バッタの羽音が そっと 雫を 天に すくいあげています 何が終わったのでしょう もう はじまりはじめの空 むかしむかしの反対のはじまりのはじまり めちゃくちゃダンスを夢中で踊る子供らの真似をしたがる 私のからだは重いです けれど 私と共に たふたふと生き物のように動くものがあります 天女の羽衣が 頬を そっと かすめました 透けて見えたのは しろいレースのアンブレラをさした少女のような貴女 素足が 五ミリは 浮いています あなたの お父さまがいらっしゃいます どこへも 逝かず 六歳のままのあなたのそばに ずっといらっしゃったのです ゲンバクのことを人々が忘れると だれかが言っています わすれられるものなら忘れたら いい 口にしたくなければ 口にしなければ いい とてつもないひかり ただただ臭かった廣島の町 着ていた服どころか皮膚までも 剥ぎ取られて 食べるものもなく 彷徨う人々 毎日毎日 煎餅布団と寝た貴女は しつこいくらいに いつも わたしのふとんが ふかふかであるように心配してくれた 高窓から さしこむ光に 綿毛が舞い上がるように 浮いて かろやかに歌うのは 少女のままの貴女 うつくしい裸族としての朝 わたしも空をとぶ
ラ・ラ・ラ族 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1436.5
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-08-20
コメント日時 2018-09-20
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
原爆についての言及がありますが、今作はそのようなメッセージ性を伴う作品として捉えてもよろしいでしょうか。ならばこの作品は過度に道徳的、倫理的メッセージにかたよらない、まさに日常の描写の中にモチーフとして原爆を取り込むに留めた(まさに原爆が投下された日も、何でもない「日常」が瞬く間に壊された日でもあったですから)とても優れた小品だと思います。最終連の詩情あふれる描写と、タイトルのどこか仄かなユーモア(と、とらえていいのかどうか)が物悲しくも、切なく、哀感を伴います。また、タイトルがこの作品を読むにあたって、読者をリラックスさせることにも成功していると思います。
0stereotype2085 さま 原爆というなかなか重いテーマで書かせていただいています。 義母が被爆者なのです。年少のときに お父さまを亡くされてます。 人間は、人の間と書くくらいですから 人間関係が人間を構築するし、 親子という最初の関係がなんらかの形で 欠いていると、のちのちまで 表現のしようのない深い穴を持つように思います。 昨年の夏あたりに、とても深い穴を義母は持っておられると私が感じる出来事がありました。以来、わたしは詩らしい詩が 書けなくなっていました。 せめて、私のイメージの中だけでも義母とお父さまを会っていただきたいと思って書きました。義理母を思って書きましたから、メッセージ性はあると思います。がしかし、実際には こんな神の声みたいな生意気なことなんて 義母に言えるはずはありません。 タイトルについても、どこか仄かなユーモアがあると思っていただいて、嬉しいです。 当初は、るるりらというハンドルを もじった うかれぎみな表題にするつもりでしたが、自爆すぎてイタイと考え、とある素敵な映画のタイトルを おかりし表題としました。 この感想の書きにくいにもほどのある詩文を読んでいただき、感想まで書いてくださり ありがとうございました。この拙詩のようなモノを、どなたが詩文として読み解いてくださったと実感できたことは、わたしには とても大きな喜びです。 ずっと悩んでいました。(といっても本当に考え込んでいたのは、ここ一年ですが) 義理母に喜んでいただくようなアイディアなんて なにひとつないと、ついこの間まで 思い込んでいたのですが、おかげさまで いま ちよっと 義理母の心の深い穴に ほんのすこしかもしれないけれど、義母の心に すずやかな風が吹くアイディアを思いついたので、努力してみるつもりです。読者にリラックスしていただけた このわたしは、ふつうに 大きな心で なにかやれそうです。ありがとうございました。
0仲程 さま 何度も読み返してくださったのですか?嬉しいです。 わたしも また読み返しました。(作者だから あたりまえか) 技術とか、感性とかは んー。そーいう おつむは あまりつかってないです。 でも 読んでいただくと ほんとうに力が むくむく沸きます。ありがとうございます。
0その瞬間、止まった時間 滴のようにまるくふくらみ円を描いて 油滴の虹をとりこみ、とりこみ 渦を巻いて巻き込み、落ち込み 深い穴へと滑り落ちる 落ち切った底で水の壁に背をもたれかけて 水のスクリーンに映る世界のすべてを あなたは見つめて見つめ続けて やがて一気に 上昇する 花火のように弾ける時間 そこから流れ出しあふれ出し 全てが再び動き出して 水のスクリーンに幻燈のように浮かんでいた もろもろの薄物が 華やいでひろがりあなたから離れ 絡んでいた糸も綱もいつのまにかすべて薄れ 闇の中で花のように咲いている 見ていた歌い手も火の粉と共に舞い上がり ふりそそぐあなたの光の中で踊る 戯れる その手をそっと 取ってください 色とりどりの夜の灯りが 薄らいで消えて霞み始める地平線のそのまた向こう 朝が 少しずつ領域を広げようとしています
0この詩が開く地平は、出来事が、いろんなものの記憶とつながること。また、人同士の関係が、 自由闊達で、思い入れを含んだ美しさを目指すことの意志のようなものでかかわりあっていること。 夢幻、精霊バッタ、原爆に対抗するための幻視、こういった小さい声が、残されていること、 日常生活の中に、あらゆる連想が、裸族でさえ、思われる、人間の力というのはこういう風なことを 考えられる力であるということ。また、一つの夏が、多くの亡くなった人を後に残しつつ、去っていきます。 重たくなっていくのは、人間の生命維持のために必要なことが増えていくからですから、すべての人が力を 出せば、何らかの向上につながる。生きて死ぬために必要なことを、仏教などの宗教は、教え諭して くれます。詩で新しい景色を見せてくださり、ありがとうございます。
0まりもさま うつくしい詩で返してくださり もったいない気持ちでいっぱいです。 とても嬉しい。ありがとうございまいす。 実は、この詩を書く前に、 もう一遍の別の詩を書いたのです。その詩は、 なんともうしますか詩の話手が語る手法でして、爆風で飛びながら喋る形をとった作品でして。 なんとも気色の悪い作品でした。 それこそ一気に上昇し、花火となる描写を 私にしては、かなりえぐい感じのリアルを描こうとしてました。そして、すっかり へこんだりしたのですよ。 いただいた本詩の場合は、「見ていた歌い手」とあるので すばらしい芸術作品を鑑賞するときの なんともいえぬ至福に包まれる感じがして 私を幸せにしていただけました。ありがとうございます。
0黒髪 さま やっぱり貴方のお書きになる文章は、含蓄があります。レスをいただくとしばらく恍惚します。 この詩が開く地平~なんて、言葉だけで 私は 目を瞑ってしまいました。 人同士の関係が、自由闊達で、思い入れを含んだ美しさを目指すことの意志のようなものでかかわりあう~なんて、理想郷です。わたしの詩のことだったかと ほんとうかしらと疑ったけれど、そういわれてみれば 自由きままに書いた箇所が多数ありました。てへ。 夢幻~て、詩などの文芸でないとほんとうは味わうことができないのかもしれません。 たとえば 映像という文化の場合は、読者の経験で培われた脳でのイメージでの再現ではなく、映像化した人物のセンスのものとなり 言葉が読者の血肉にはならない気がします。 精霊バッタ~て、私は好きです。虫自体のフォルムの美しさとか。ちょっと、小泉八雲が好きそうな名前の響きとか。私の好きなモノが、爆に対抗するための幻視になりえるのでしょうか?そうなの?すくなくとも そのような凄いことを黒髪さんは感じてくださったのですね。 生きて死ぬために必要なことを、仏教などの宗教は、教え諭して くれてるのですか?不勉強なので 学んでみます。やる気スイッチが入りました。 ありがとうございます。
0こんばんは(おはようございます)。数年前に他界した叔母は、長崎の出身でした。それを本人から聞いたのは亡くなる数年前のことでしたが。彼女の話では、長崎では原爆投下の前にビラが撒かれたそうです。大阪大空襲の前にビラが撒かれる場面が、故・今江祥智の児童文学作品(たしか『ぼんぼん』)にあったと思うので、撒いたのは米軍でしょう。非常に大きな爆弾を落とすので逃げるように、というような内容のビラだったそうです。彼女はそれで歩いて山を越えていったと。そして翌日山の上から来た方を見下ろすと……ということでした。幸か不幸か、私は親戚からそうした話を聞くことができたし、子どもの時分には戦争や空襲の話を聞くことができましたが、いまは少なくなっているかもしれません。「語り」は目の前で声や表情、身振り手振りとともに聞き手に伝わって想像を促す力をもっているから、そういった体験を通して知ることができないのは大事なことを失っているように思えて、薄寒さを感じます。些かずれましたが、そのような時代にあって必要な作品だと思いました。
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