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旋回
奥方が主人を毛嫌いしていることは、この家にきてすぐに分かった ここの主人がアロワナのワタシを持ち込み 二階の和室に置かれた草臥れた水槽に入れられる様子を遠巻きに伺う奥方の横顔に陰りを見た 主人の側で手伝いながら燥ぐ子ら、当の主人も悦に入っている しかし子らの目にもやはやり母親と同様に光がない 案の定、主人が不在になれば見ようともしない 部屋には四台の水槽が四隅に置かれその中にはワタシ同様にアロワナが飼われている そしてアロワナ達は気泡を立てながらそれぞれを伺っている ここの主人は出かけるといってもすぐに帰ってくる 長時間留守にすることなど滅多にない 朝暗がりから起き出しワタシや他のアロワナたちを眺める エサは一日一回、生きたカエルが放り込まれる 主人が割りばしでカエルをつまみ、それに促されるように大きく口を開けると その中に放り込まれる 数日に一回、主人はエサのカエルをワタシが元いたペットショップに買いに行く 外出するといえばそのくらいだ とくに働いてる様子はない 昼間はほとんどの時間、我々を眺めているか隣の寝室で布団に包まりテレビを見ているか そしてまま寝てしまっているかだ 奥方は主人と我々のことを嫌っているから、あまり寄りたがらない 夫婦は度々喧嘩をしていた そして主人と違いほとんどの時間、勤めに出ているので家にはいなかった 子らも昼間は学校に塾に忙しい それでも休日には父と一緒に水替えの手伝いをする そんな時は父を喜ばせようと張りきってよく働き キラキラした目で水槽を眺めるのだが いや、あのわざとらしい笑顔の奥にあるのものは母親とそう変わりない 主人は水替えこそ子らに手伝わせるが他の事は全く関わらせなかった もちろんエサやりもエサの買い付けも主人ひとりで行う 特に奥方に我らの一切を関わらせないのには「毒でも盛られるのでは」という疑念があるかららしい そのことで夕べも奥方とずいぶん言い争いになっていた ある日、一匹が死んだ 数日前からエサの食べが悪く泳ぎも弱弱しかった、そういえばウロコも変色していた 主人は奥方を責めていた 潔白を訴える奥方、別室で声を潜める子ら 主人はしばらく半狂乱になっていたが、また元のように我らを無言で眺めていた 亡骸は奥方への「見せしめ」と、数日水槽の中で放置されていた 水槽の中で縦に浮かぶ魚を、もう世話の必要もなくなったからか 主人の方も見ようともしなかった まるで死体がそこには無いかのように やっと水槽から引き上げられた亡骸は向かいの用水路に捨てられた やがてそこに生息するメダカやらザリガニらが食ってしまうのだろうと思った 水槽の水が抜かれ、子供らに手伝わせ階段から運び表に出され 綺麗に洗われてから また元いた位置に置かれた 数日、水もない空っぽの状態で置かれたのち 再び水が張られ酸素が送り込まれ 新たなアロワナがやってきた わざとらしくはしゃぐ子らと新しいアロワナを悦に入った顔で眺める主人 陰った横顔の奥方 またそうしてるうちに別の魚が死んだ 前と同じ繰り返し ある日、奥方が子らを残しいなくなった 四方を我らに囲まれた部屋の中央で半狂乱になる主人 子らはもう我らにも父である主人にも近づかなくなった そうして主人は諦めたのか静かになり また水槽を眺め出した 数日後、主人が留守の間に子らが何か真剣に話し合っていた そしてそれっきり子らが2階に上がってくることはなくなった 部屋の中央でポツンと佇む主人 ただ水槽の我らを見続ける 顔の奥に陰りを見た、奥方や子らにもあったあの陰だ そのまま主人は床にも就かず眠り込んでしまった しばらくすると主人の体から陰が立ち登った 影はやがて人の形となり真っ黒ではあるが奥方と子らになった 眠り込んでいる主人の側で丁寧に掃除する奥方の陰と その間を縫うように遊ぶ子ら ひととおり片付くと陰のまま我らを眺め、子らも同じように水槽のアロワナ達を眺めて回り そして元の主人の体の中に消えていった 主人はまだ眠り込んでいる 我らは主人を囲み水の中を旋回した。
旋回 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1256.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-05-02
コメント日時 2018-06-17
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
毎度投稿ありがとうございます。得体の知れぬ異界な情景を李沙英さんの作品を読んでいつも感じているのですが、本作を読んで、おっ、またキテるなあと思いながら読みました。その通底するものは家族だったり表層的な人間関係だったりすると思うのです。で、今回は漱石の「吾輩は猫である」的にアロワナ視点で描いてる。これは神視点でありながら神ではなくただのアロワナだょー的なところが面白味を生むところだと思うんです。たとえば、子のわざとらしい笑顔は奥方とおんなじだと断定するところなんかは、神視点だけども断定する心情はとても人間らしい。で、奥方が居なくなった後にしんみりとして不思議な異界展開するところ面白いと思いました。
0「奥方」というのは貴人への敬称らしい。なので、「ほとんどの時間、勤めに出ている」女性の二人称として用いるのは少し奇妙な感じがする。あるいは、この二人称によってアロワナの立ち位置が端的に示されているのだろうか。 ペットを飼う、という行為には主客転倒するところがあると思う。例えば人間と犬だったら前者が主人なのが建前。後者は前者の庇護なしでは生きられないし、また庇護するがゆえに、前者は後者の生殺与奪さえも自由にできるような部分がある。しかし実際には、人はその行動を飼い犬によって制限されるし(遊びに出てものんびりできない、旅行に行けない、etc)、また進んで彼(女)の犠牲になることも厭わなくなるであろうあたり、ペットが王のように君臨するカリカチュアを思わせる。 ここでアロワナは王として君臨している訳ではなさそうだ。ただ家族の崩壊過程の語り手を勤めている。「吾輩は〜」のようであると言われればそんな気もする。個人的には、あの話で覚えているのは、最後に猫が井戸に落ちて溺れ死に、しかしなぜか法悦境に至るところ。アロワナは代替可能な存在として描かれている。死んだら捨てられて、新しいものといれかわるだけ。またアロワナの心情はひとつも描かれていないあたり、作品の在り方がそれを代替しているのかな、と思う。確信はない。 代替可能と書いて思ったのは、例え嫌悪によって繋がる間柄だとしても、家族に代替は効かないということ。この家族が崩壊に至る機序には、この父親、母親、子供達と彼らの演ずる役割が必要だったのであって、結果はともあれ、お互いの存在は「代替不能」であったはずだと思う。最後に現れる妻と子供の影は、主人の体から立ち登るあたり、代替不能なものを損失したという認識の擬人化のようなものだろうか。 失って初めて分かる、のような概念は珍しくないし、実際に体験してみるのが何より理解の早道なんだろう。立ち上がった影の、極めて日常的な所作が、主人にとっての家族の価値を担保しているように感じられる。
0三浦果実様 コメント下さりありがとうございます 先に、こちらは私の身の上をに基づいて書きましたものです アロワナはうちのペットのアロワナの「ぎょぴちゃん」 私は個人的にそう呼んでまたがアロワナの内のどれがぎょぴちゃんかというと数いましたので特定はできませが、まあ総称で 奥方は私、主人は前の夫で子らは娘息子ということになります 9年前、いよいよ夫婦が崩壊を迎えようとする最中、私は夫の留守でいない時なんかにぎょぴちゃんの水槽側を掃除しながらよく無言でぎょぴちゃんらと語り合っていました それが何かはよく思い出せませんが これからの家族のこと そしていつかは「ぎょぴちゃんの事を書くから」と 遠い国からはるばる我が家にやってきて小さな水槽の中で絶えた一匹一匹 光を失った人間家族を見届けるぎょぴちゃんはペットだけど 家族を見守る侍従みたいな存在でもありました 主人に世話されてましたが。
0miyastorage様 コメント下さりありがとうございます 奥方という呼び方にしては確かに貧乏臭いというか所帯じみてますね 当のモデルが私ですから尚更です ぎょぴちゃん(アロワナの名前)の目がいつも一点でこんな環境にありながらもやはり生き物 生気を帯びていまして 家族を静かに見ている様が侍従っぽかったと とはいえ裕福でもなく ぎょぴちゃん自身も世話してもらわないと生きられないのでおかしいですが。
0静かな視界様 コメント下さりありがとうございます 私の身の上につきまして書きました 言い訳です(ごめんなさい) だいぶ私情が出そうになります とかく作品に個人的私情を出すのはイカンのですが 身の上につきまして(ごめんなさい) 夫婦破綻の原因書き出したらキリがないどころか私情もへったくれも文学そっちのけになります 情けないことに 感情が先走らないようにいかに文学的に表現するか 最大の目標です。
0仲程様 コメント下さりありがとうございます シメの部分、最初主人が死ぬというオチにしてましたが これでは私の願望だけになってしまう 実際にお父さん(主人)死んでないし 考えに考えぬいて 実際に水槽の回りを掃除機かけてたかこと よく子供達が遊んでた事を書きました。
0部屋の四隅に置かれた水槽、というのが、妙に気になりますね。 古墳の四隅に、守り神として描かれた玄武や青龍の絵・・・悪霊が古墳に入り込むのを守る、と同時に、生霊となって墓から現れ、現世の人に災いをもたらさないように、という、結界の意味もあった、と聞いたことがあります。 そんな、守り神的な(自らを封印するための)アロワナであったような気がしました。 若干、長いので中だるみ感があるのが、残念。 萩原朔太郎の作品に、水槽の中にいたタコが、どうも居なくなったらしいのに、まだ気配だけ(魂だけ?)存在している、ような、なんとも不気味な作品があるのですが・・・ご存知かもしれませんが、あのインパクトは、参考になると思います。
0すいません!! せっかくコメント頂きましたのにこんなに遅くなってしまい申し訳ございません!! この四隅に置かれた 水槽につきましてですが事実に基づいて書きましたので そのまま用いました 置いたのは元の夫で(登場人物でいう主人)この四隅に置く理由はとくには聞いてませんでしたのでなんとも言えませんが そういわれてみればそういう捉え方もありますね しかし「真ん中のスペースが空く」くらいの意味合いでしょう多分 中だるみにつきましては否めません表現力の乏しさにあります 萩原朔太郎作にそのようなものがありますか そのタコ、本作の奥方(モデルは私になります)に似てます 気になりますね調べてみます。 ありがとうございました。
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