別枠表示
蝶の示すような愛情
蝶のように生きていきたいものだ もくもくえんとつ 川面のきらめき 一面の花 見えてなかったね どんな世界に住んでいるのかも 言葉にできない苦痛を 時はいつしか癒してくれる 愛を失ったように見えても 人は悪い気持ちを持たない 愛情と共にあったのだから 私は影の中につくしを見つける 急いで追いつかなきゃ 追い越していく雲の向こうに 約束を結んである 失ってしまわぬように まだ何回も歌を歌えるよ 涙を流して拭いては また新しい日が待つ 今日の中に精いっぱいを見つけて
蝶の示すような愛情 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1009.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2017-03-27
コメント日時 2017-03-30
項目 | 全期間(2024/12/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
花緒さん コメントありがとうございます。好きなタイプの作品であると言ってもらえてうれしいです。 作品を書く際、どう構想し、筆を進めていくべきなのでしょう。 ①人のをまねる。 ②自分で考える。 ②を増やしていきたいですね。すると、自我というものに直面します。私は、これこれこういう表現を好み、使う、といった、主体。 では、そういう表現は、果たして本当に自分らしく、自然にしっくりくるものであると言いえるでしょうか。答えは、かなりの人が、 不自由な表現の中に押し込められている、と僕は思います。それは、発想の癖であり、言葉遣いの癖であるのではないで しょうか。そう、自我の価値ではなく、単なる癖。しかも、往々にして悪癖。そうではない人も多いし、きらめくものがある場合も 多いですが、おなじくらい、悪癖も見られます。それをどうすればいいか。答えは、表現を自由にする、です。つまり、必然的に 正しいと思った表現を、ひねるわけです。自分が正しいと思ったことを書くのではなく、もっと飛躍した表現を使う。 手癖ではない、と一般的に言われることであります。そうすると、幅が拡がる。 「現代詩」をひねり出すノイローゼではなく、書きたいことを書く詩人。 こういうことを考える自分の履歴としては、詩で触れたものは、エミリー・ディキンソン、ゲーテ、ボードレールなどの古典と、 アメリカの現代詩(チャールズ・シミック、スチュアート・ダイベック、ローラ・ライディング・ジャクソン)、ネット詩、歌詞、など という感じです。 痛い人間なので、詩もそうなってしまうのですが、結構詩というものが、好きである自分を発見します。だから、書く方も、 読むのも、楽しいです。
0同型反復が韻文的な印象を与えていると思いました。作品は、4行一連が5つ繰り返されます。2・3・4連はそれぞれ前半2行でひとまとり、後半2行でひとまとりとして読める点で同型の構造です。最初と最後の連はそれぞれ、どの連とも異なる構造をしています。最初の連は2・3・4行で体言止めを用いています。最後の連は2行と3行が接続しています。2・3・4連とは異形の連にすることで、5連はしめくくりの印象をえているとおもいます。 字数や音韻は自由に書かれていますが韻文的な作品にかんじます。意味内容にふれていない批評になりますが、以上です。
0みいとかろさん コメントありがとうございます。韻は意識していました。おっしゃる通り、始まりとしめくくりの連は、少し構造を変えてあります。韻の踏み方は、 ある種音楽性と関係があると思います。うまく因果踏めると、にやりとしてしまいます。陶酔みたいに。 しかし、それを崩しても表現に不自然さが残らないように、詩を作るために、たくさんの引き出しをそろえていかなければ、 と思っています。
0上の文章の訂正 ×因果踏めると ○韻が踏めると
0これはまた、なんというか、ひらひらひらひらした詩だなあ、と・・・ 蝶の飛翔のイメージと、ゆらゆらふわふわした感じの語感が重なりました。 歌謡体というのでしょうか、呼びかけの意識が強いのは、想定する読者がいるのか・・・。 蝶と「つくし」は、特に結びつかない。幼子(あるいは幼児期の記憶)とは、結びつく。いつくしみ、という言葉の中にも、つくし、が入っている。 「追い越していく雲の向こうに/約束を結んである」この一行が素晴らしい。 でも、全体に言葉の選択が、ゆるゆる、という感じだな、というのがあり・・・ のどかな春の空気感を出したかった、のかな、と思いつつ。 「今日の中に精いっぱいを見つけて」精いっぱい、という副詞?を、名詞として用いている、こと・・・ここで立ち止まるのですが、たくさんの発見により、充実した新鮮な日々を送りましょう、という、あまりにストレートなメッセージが置かれているようにも見え・・・。題名のあえて構えたような感じの硬質さと、本文のふわふわ感との関係に、何か意図があるのか、どうなのか・・・と、色々疑問を感じる作品でした。
0まりもさん コメントありがとうございます。言葉の選択のゆるゆる感、春に向けて書きました。僕はこういうことを書くと安心できて、 自分の世界の中にこもれるのです。ここで自分の世界、といったのは、自己の思い、外界の感覚、論理だった普通の 思考、などを含めてです。だから、この詩において、思ったことを、素直に受け止められるような人がいて、僕が思う ことと、何らかの接点があるならば、それは幸福な詩になります。ひとつ、題名は良くないですね。もっと考えて つけるようにします。様々なことが分析できました。ありがとうございます。
0