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救急車をスライスすると指になる
なぜ病院の待合室はどこもかしこもモーツァルトがかかってるんだ。おかげさまでモーツァルトを聴くと不安になる、という病気にかかってしまって、そのようなわけでこの病院に来ているのだが、何ということだ、この病院の待合室もまたモーツァルトをかけているではないか、そうか、これは陰謀、医療業界の陰謀なのだ。モーツァルトを大量に聴かせることによってモーツァルト病患者を量産し、そしてそのモーツァルト病患者に大量の抗不安剤を処方することによって莫大な利益を上げようという日本全国医療学会(仮称)の陰謀なのだ、いや、そうに違いない。そう確信した俺はできだけ調子の悪いふうな体裁を繕ってから、俺の名前を呼んだ診察室のドアをぶらんぶらんと開けて軽くドクターを睨みつけた。 事の顛末はこうである。俺の通っている学校は課題がとても大変で徹夜続きの毎日、チンピラのように竹刀を振り回しながら教室を練り歩き、「おいお前ら、もっと面白いものを作れや!」と生徒達をバシバシ煽るのが趣味の超サングラスの指導のもと、何を勉強しているかといえば、まあ芸の術を習得せんがための訓練をしたりする例のあれで、いわゆる作品の講評会などはつまりは公開処刑の同義語であって、一人一人の作品を罵倒し貶し口汚く罵り馬鹿にして晒しあげてから、口答えしようものなら「学校なんてやめちまえ」なんていわれてしまう有様だから、誰もがガクガクぶるぶるしながらも、時々与えられるわずかな評価を期待してこの月末の公開処刑を実は歓びとし、少しでもこの変態サングラス(髭)の評価を得ようと日々日々作品作りに励んでいるのであった。 そんなさなか、やはり流石に徹夜が幾晩も続くとシンドイものだ。毎日、バッハとニール・ヤングとピンク・フロイドとレディオヘッドとショスタコーヴィチとバッハを聴き続けながらなんとか乗り切ってきたのだが、最近は朝方に少しばかりの休息を取ろうと思ってグレン・グールドのゴールドベルグを何回まわしても一向に眠れはしない。まあ、ゴールドベルグ変奏曲を聴いて眠れたことなど後にも先にも人生においてただの一度もないので、そもそもの処置が違っていたのであってそんな民間療法を信じていた俺が馬鹿だっただけの話なのだが、とくにグールドの晩年の演奏はデビュー当時の演奏よりもむしろ深く魂を揺さぶり興奮させるばかりであるので、一向に不眠は改善されず、近くのヤブ医者でもってハルシオンを処方してもらってから少しだけマシになったのも束の間、今度は眠りかけた時に椅子と机にひたすらぶん殴られる夢を見るようになって、いや、流石にこれは天才だぜ、おまけにハッと目が覚めると大抵、右か左かの腕が痺れきって麻痺しているものだから、その恐怖感たるや学校での公開処刑の恐怖などもはやスイーツに感じるくらいのものである。 「それではロールシャッハテストを行いますね」といわれて、ああ、例の美味しいウィンナーを我慢するやつか、と思案していると、左右対称の鮮やかな抽象画の数々を見せられたものだから、これは普段勉強している芸の術の知識の見せ所である。想像力をマックスにエルンストまで高めて「これは裸の女の人が2人、ダリの髭の先端でライオンに襲われています」だとか「これは真っ二つにカチ割られた頭蓋骨でその中に裸の女の人が3人います」などと俺の感性の素晴らしさを披露してみせたのだが、どうしてかドクターは一向に俺の天才性を見抜く力が不足しているようである。どんどん神妙な顔つきになっていって、最後には沢山の薬を出した後、その日はそのまま解放してくれたのであったが、いやはやその薬の効き目といったら凄いものだ。不眠が治っただけではなく、起きている間も終始頭がぼうっとして、ほとんど何も考えられないくらいで、一日中ゴロゴロしながらやっぱりバッハとショスタコーヴィチとヒンデミットとリカルドのほうのシュトラウスとブラームスとショスタコーヴィチとニール・ヤングとレディオヘッドとバッハをひたすら聴きまくって学校をサボってはとにかく空想にふけるという芸の術を習得するに至った。 つい最近、その芸の術の極意をもって私が書いた当時の詩を見つけたのであるが、なかなかの最高傑作であって、私は瞬時にノーベル文学賞を確信したのであるが、ノーベル文学賞の電話はボブ・ディランに倣ってひたすらシカトし続けて世間の話題を盛大にさらった後、賞金だけはありがたく1銭たりとも漏らすことなく頂戴する心積もりで、電話は常に3台携帯することにしている今日この頃である。お金にはちょっと困っているところだしそれがちょうどいいだろう。ただ、最近のもっぱらの悩みは授賞式のときに代理で出席して私を派手に賛美するスピーチをしてくれる友人が一人もいないことであり、次の診察の際に病院の先生に頼み込むつもりなので、改めてその記念すべき詩をここに清書しようと思う。 ・ 翼の生えた救急車が空を飛んでいる お皿の上にスライスされたソーセージ は指 それは世界の一億万人のPTSDを夢みてる 翼の生えたソーセージ スライスされた救急車が空を飛んだ 雨が傘をさしてしくしくと泣く アスファルトに書かれた一万の矢印記号をまるで無視して それは飛んだようだ 救急車の生えたアスファルトが空を飛んでいる それはソーセージの夢をPTSDしてやまない世界の矢印だ そうか、わたしはここでひとりお皿 それはスライスを丁寧にソーセージしながらわたしのために夜を泣くのだ ああ、首を捻られた小鳥よ あなたは私のPTSDをまたもやスライスするつもりなのか それならばいっそ わたしはソーセージをフライパンで炒めてから マヨネーズをつけてそれを頂こう
救急車をスライスすると指になる ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1151.9
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-04-01
コメント日時 2018-05-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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技巧 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
貴音でございます。 今回の詩、私は大好きでございます。 感じたままに伝えたいと思います。 まず構成は私が以前、投稿したお子さん、SUNgです。 と同じ。 長い語りがあって、後半に短いパートがあっての二段構成。 語りの部分は気の病んでしまった芸大生の独白として読みました。 仕事でそういった人たちと関わるんですが 選挙ポスターが私を睨みつける、選挙カーが私の悪口を耳に住まわせる なんて言ったりする人が居たりするので、結構リアルな感じです。 耳に住まわせられてる人は気の毒で、耳かきしまくって血まみれになっちゃったんですよ。 このリアル感もしかして、SURVOFさんもそういった系なのかなと思っちゃうほどです。 仕事としてそれとも患者として…って感じです。 後半のパートの所は コロコロと言葉が組み替えられて行くのが面白いです。 テクノチックな所が良いです。
0ブログで読んだときから好きでした でもなんでかいまは最後二行だけは好きじゃないです 大好きな作品です これからも勝手に楽しみにしてます
0初めてコメントさせていただきます。 とても面白く読ませていただきました。 冒頭で一気に引き込まれました。 語り手の思考が流れてゆく様子をリアルに感じることができました。 語りは、言葉としては語り手の妄想を伝えるだけですが、読み手には、 語り手の俺を観察する作者、苦い顔の医者(少し語られますが、語られなくても伝わってきました)、街の人と言った、語り手の視野の外にいる他者を強く意識させられました。 後半のパートですが、代名詞が多用されていますね。 もし、狙いのようなものがあれば教えてください。私は、代名詞を使うとき、安直だと受け止められるんじゃないかと不安になって、よく迷うので…
0カオティクルConverge!!貴音さん♪ コメントありがとうございます!気に入っていただけてとても嬉しいです。リアル感がだせているというのはとても嬉しいです。後半のパートはテクノチックというのも嬉しいですね。実は、本当に機械的に言葉を入れ替えることで作った部分なんです。ほとんど言葉遊びです。もう少しドライというか、シュールにかければよかったんですが、個人的にはあと一歩という感じで、なかなかうまく行かなかった悔しいパートでもあります。
0ささん ブログのときからチェックしてくださったんですね!とてもうれしです。ありがとうございます!後半の詩の部分はちょっと自分でも十分に納得いっていないところなんです。改めて読んでみると確かに最後の2行の部分、もう少し違う方法もあったのかもしれないな、と感じています。
0おおいしさん とても嬉しいコメントありがとうございます。特に冒頭の入りから一気に読者を引き込みたいという部分はかなり気を使って書いたつもりです。文章は導入が命だと思っているので、とても嬉しく思いました。 それから「語り手の視野の外にいる他者を強く意識させられました。」というコメントもとても嬉しく思いました。これまで少しボリュームのある作品を立て続けに投稿しているんですが、文章の視点として例えば「僕の顔」なんかは完全に自分が自分に向けた視線なんですけど、今回はもっと客観的な視点で語り手を意識できたらな、、という感じだったんです。 後半のパートの代名詞の多用はなんなんでしょうね、笑。個人的にはあえて「安直に」書いた「詩」として最後に書いたつもりで、その安直さで文章全体を引き締めようと思ったんおですが、割と普通の現代詩っぽくなってしまったのかな、、という反省点があります。いかにも安直に書いた、、って感じがもっとだせれば狙い通りだったんだけどな、、と、今後の課題にしたい部分でした。コメントありがとうございました!
0ちょっと疲れてる芸大生にロールシャッハテストを受けさせるのはマジで事態を激しく悪化させるだけだから止めろ。と、実際に疲れてる状態でロールシャッハテストを受けたせいで切実に辛い思いをしたことがあるリアル元芸大生(博士)の私が通りますよ。学校に通っているか独学であるかを問わず、意識的にあえてお決まりとは違う視点からものごとを捉える修練を積んできた人が、ロールシャッハテストのただのインクの染みを見て変わった答えを出したからと言って薬を大量に出す医者は、その結果を論理的に予想できないという意味で頭がおかしい。ちなみに私は臨床心理士の先生に「ただのインクの染みが見えます」と答えると満足されなかったので、「あえて別のものにたとええなければならないのなら、瀧口修造のデカルコマニー(ggrks)を思い出します」と言いました。すると「いや、もっと別の何かをお願いします。もっと別のものがあなたには見えるんです!」と言われたので、ああそういうご期待に沿わない限りこの茶番は終わらないんだなあと思い、求められていそうなことを言ってあげたら、統合失調症の疑いがあるとの所見をいただきましたよ。幸い、その所見を受け取った精神科医はそれを一笑に伏し、正しくもうつ病の診断を出してくれたおかげで、そう経たないうちに学業にもバイトにも励めるようになりましたが。というわけでこの詩で頭がおかしいのはロールシャッハテストをやって過ちに気づけなかったドクターのほう。終わり
0原口昇平さん コメントめちゃくちゃ面白かったです!ありがとうございました。ロールシャッハテストで何がわかるんじゃい?って感じありますよね。テスト受ける側が作為的に病的な答えをするというのは想定できるんですが、原口さんのエピソードみたいに糖質っぽい答えを求められるとなると、もう何がなんだか、まるで悪質なテレビ番組みたいです、笑。そんなことがあるんですね?まあ、この作品の主人公はひどい不眠が続く上にそれなりの陽性反応が出はじめているんで、ロールシャッハテストしないお医者さんでもきちんとした薬だしたと思います、汗。
0花緒さん コメントありがとうございます!<つい最近、>あたりからの破綻ぶりは意図したものでもあり、また話をきちんと着地させるのが面倒になったということでもあり、また着地させたくないという心理の表れでもあり、宙ぶらりんなものへの愛着でもあります。最後の詩、いかにも凡庸な感じ、伝わって何よりでした!最後の詩がうまい作品になってしまうとちょっと狙いと違くなってしまうので。。。(といいつつ、うまい詩が書けるのか?といえば、書けないですので、そんな自分への自虐も含めて)
0翼の生えた救急車、からの連、四連になっていますが、三連で止めた方が、広がりがあって良かったのではないでしょうか・・・。 シュルレアリストの思考実験的な面白さがありますね。 「わたしのために夜を泣くのだ」ここで止めた方が(まあ、甘いといえば甘い、ですが・・・)カッコよく決まる、ような気がしました。
0まりもさん 最後のパートの詩はもともとは「シュールレアリズムな感じで書き始めたんだけど、明らかに失敗している詩」あるいは「明らかに何かが間違っている詩」にしたかったんですが、なかなかうまくいきませんでした。と同時に4連目書いているときに自分が書いている物語世界からもう既に醒め始めてしまったんですよね。その感覚をそのまま出したいというのもありつつ、、なのですが、やっぱり着地としてイマイチ決まらないというか、決まらないなら決まらないでもっときちんとコケている感じが出て欲しかったですね。オチの部分は毎回大きな課題です。コメントありがとうございました!
0後半の詩の部分を読んでいる時、私の頭の中にはアフターダークの翼の生えたトースターが飛んでいました。古き良き時代のマッキントッシュ。
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