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接触
君と僕の最接近 五日前の卵は落ちて割れた 今はソファで膝を抱えて 二枚貝の地層に丸まって眠る
接触 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1014.4
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2018-03-16
コメント日時 2018-04-04
項目 | 全期間(2025/01/15現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
「君と僕の最接近」とはなんだろうか。そして「五日前の卵」とは。 「卵」が「君」と「僕」の間に兆しつつあった関係を仮託されたものであるとしたら、落ちたそれはおそらく割れて、こわれてしまった、ということだろうか。「落ちて割れてしまう卵」は、不意の、予測外の、歓迎しない出来事を表しているように思う。 2連目で、話者は「ソファで膝を抱えて」、「二枚貝の地層」に丸まっているという。二枚貝の地層という言葉には、不本意に土砂に飲みこまれた貝が化石と化すような、長い長い時間経過を想起させられる。それほど時間を延伸して感じられるこころもちなんだろうか。実感としてわかる気がする。 ソファで膝を抱えて眠るのは、いつもの寝床で眠れない事情があるからだろうか。膝を折らなくても横になれるソファもあるだろう。「膝を抱えて」「丸まって」の表現は、そうしなければ体の収められない幅のソファと、そのサイズがちょうどいい部屋の広さと、話者の窮屈な体と心の状態をうまく表現できている気がする。また、同時に、険悪なムードの中に、わずかにそれを弛緩させてくれるユーモアの萌芽のようなものも表していると思う。
0「五日前の卵」というのは五日前に購入した卵の意であると私は考えたのですが、そうすると卵はmiyastorageさんの言う「「君」と「僕」の間に兆しつつあった関係」としては、随分と日常性を帯びたものとして表象されていると思います。そして、そうだとするならば「君と僕の最接近」によって卵が「落ちて割れ」るという事態は、そうした日常の中で思わぬ接近に動揺した「僕」が関係性をぎこちなくさせてしまうという事象が比喩されている、と見ることが出来るように感じました。 miyastorageさんはその次の「二枚貝の地層」を「時間を延伸して感じられるこころもち」の現れとして読んでいますが、私としてはむしろ「二枚貝の地層」は「卵」の日常性と対比される形で現れているものではないかと考えました。つまり、「二枚貝の地層」とは時間の延伸ではなく「僕」にとっての安寧の過去を表していて、現在的な「卵」を崩壊させてしまった「僕」は「ソファで膝を抱えて」、そうした「二枚貝の地層」としての過去に籠もってしまうということが表されているように感じました。とはいえ、それが行われているのはソファであり、「僕」は決して幻想の世界に浸ってしまうということがなく、どこかでまだ現在との接点を保ち続けてもいるようです。 私としては、こうした事柄がこの四行の内に表されているとすれば、この詩は比喩として良いものであるように感じました。短い語句によって表されているということは内容に深く入り込まないということに繋がる場合もありますが、むしろこの詩においては「僕」の感傷がその短さと沈黙を必然的なものとしているようにも思います。また、この詩的世界においてただ耽美的な感傷にのみ終わるのではなく、そうした感傷を示しつつも同時に日常との接点を保っている「僕」の立ち位置には興味深いものを感じました。単純に「五日前の卵は落ちて割れた」という感傷も心地よかったです。
0はじめまして、こんばんは。 素敵な詩をありがとうございますネ(*^-^*) 「接触」というタイトルに託した、試みの詩作として書かれたものとして拝読しました。【「五日前の卵」は落ちて割れた】というセンテンスは、読者(君:二人称)と作者(僕:一人称)にあるはずかもしれない現在進行形でも共有する記憶でもあろうと捉えました。なので「五日前の卵」にはタイトル「接触」を生みだす何らかの役割があるのだろうと思いました。解釈には幅が出るのかもしれませんが、その共有するセンテンスの記憶の如何によっては、イベントが起こりうるのかもしれません。重層的な比喩として、二枚貝という読者(君:二人称)と作者(僕:一人称)を連ねる直喩がありうるし、やはり、卵形に眠る、というポーズにも役割があるのだろう、とも考えました。シンプルでもアクティブな詩作だしスタンスが良いとも思います。(^_^)
0この詩文を受けて私が妄想したのは 青春の恋愛によくあるパターンの話を まず想起しました。 つまり、男女が初めて触れ合います。はじめてだからか、うまく交流できなくて 衝撃的なハートブレイクを経験してうずくまるという ラブストーリーです。 しかし、二枚貝の地層という表現が とても素敵です。 以下は 貝の地層から発送した、私の勝手な妄想です。 二枚貝の地層とは、貝ばかりでてくるような貝塚古墳のような地層ではなく、 サンドロ・ボッティチェッリの描いた【ヴィーナスの誕生】みたいな貝を妄想しました。 つまり、巨大二枚貝の内側で 眠っている美女を想像しました。 ねむりから目覚めて うっすら二枚貝がひらくと、 貝の内側の螺鈿の色彩 が きらきらひかって 女神のように、すっくと立ちあがる。 そんな妄想を勝手にしてしまいました。 ただの妄想を描いていたのですが、神話だとすると 世界が一週間でできた話があったなーと 思い出しました。 ≫五日前の卵は落ちて割れた 第5日目というと、神が鳥などを作ったことになっています。 これって ただの偶然かしらと 不思議な気持ちになつているところです。 妄想がたくましくて たいがいにしろと おもわれそうです。す すいません。さきに あやまります。詩文をよごしたかもしれない。ごめんなさい。でも とても素敵な詩文だと思います。
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