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輪廻の亡者#2
亡者は人となる 人は亡者となり得る 故に 亡者は人である 生者とは何なのか 生者というものは宗教的な実現を目論む者である そして 皆の想像力で賄われたものだ だからこそ 真に信仰する者 尽くす者が存在せぬ以上 我々は永遠の亡者として生きる それ故 亡者こそ人であり 生者とはなり得ぬ それこそ 人が宗教戦争を起こしたからに過ぎず 神を唯一とせん その信徒は 如何にも 祈りと祈りの戦いである ましてや 聖都奪還などがいい例である それ故 一方が負ければ もう一方が邪教と蹴落とし正しき道に導くか 殺すか ある一種の心理が働いた それ故 神に働きかける人もおらず むしろ 神を働きかけるばかりである カトリックの免罪符でさえも 神を利用した最大の横暴を働いたとしても得られる その金銀 それらは神の信託で得られた物に非ず それらは堕落によって得られた物に過ぎず それを知ったからには 尚 生者としての道はなく 皆 亡者となったのである いずれも 亡者からに生まれたからには 亡者として死す そして 亡者として蘇る いずれも この繋がりである これは輪廻とはなり得ず 輪廻とは 生命の循環を指すが 亡者がこれを持つに相応しいか問われると 些か首を捻ってしまうのだ 今や 生者にも非ず 寺の坊主でさえも亡者でありつつのこの世 それであるからこそ 輪廻の扉はもう開かず 叶わずの願望機でありよう 煉獄に住みおう亡者の その声声は 如何にも弱々しきも 来世に期待せんと その声 住まうは煉獄でありと 御託を並べ 生を憂う時なり それ故 亡者は亡者でしかなり得ず 生者が亡者にしかなり得なくなったのだ 悲しきかな 今や憂うだけで叶わずことを知っているのに 何故か憂う 何か不満を被れば 他者を貶める 如何にも亡者にも筆頭せす行動を見せた これこそ真実であり この世の真理である 故に人の心理と言えよう
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輪廻の亡者#2 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 335.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-12-08
コメント日時 2024-12-09
項目 | 全期間(2025/01/18現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
此の度は、歌誌「帆」自由詩掲載欄へとご投稿を賜りまして、允に有り難うございます。 未だ、ご応募受付開始よりは間がございます。 暫し、(凡そ、冬季=年始頃・即ち後一箇月程後に始動との計らいでございますから、その時分迄。) お待ち下さりますと嬉しく存じ上げます。 御作を、拝読させて頂きました。 宗教的思弁の程を、鍛え抜かれた文体に拠りまして起草なされていらっしゃられ、独自性の白眉を感受致しました次第でございます。 「生者」と「亡者」の対立項を、生物学的には「生きて」おります存在一般(多分、人類に的を絞ってお考えなのでしょう)へ打ち建てになられ、 謂わば存在的循環(仏教に於きましては六道輪廻)へと二項図式をなす 「息吹する、靈の循環」の対峙‐屹立を希望なされる様な御作であると、受け取らせて頂きました。 推し量りますに、基督教原理主義的であり(つまり聖書の言葉に真實がおありになられる、とう原理)、之は非‐俗世的ピューリタニズムとも通底を致しましょう (翻って、俗世的ピューリタニズムとは、資本主義とも関係を呈していらっしゃるとも、考えられましょう)。 還俗を説く、諸諸の民衆主義的思想へと訣別をなされる様な、平たくも申してしまいますならば超越的思想を、 現世の上に於きまして一種、特殊な文体に基づきまして仮構なされていらっしゃり、その挑戦を趣深く拝読をさせて頂きました。 此の文体に拠りまして、幅広く展開を為された世界‐観、世界‐像をより、ヴァリエーションの豊穣のさなかにて起草して頂けましたなら、 更に面白くなるのではないでしょうか。 宜しければ、次回作に於きましては、その様なポイントを念頭に置かれまして投稿を為されてみて下さいますと心嬉しく存じ上げます。 それでは、復のご挑戦をお待ち申し上げております。 此の度は、ご応募ご投稿を賜り、允に有り難うございました。
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