お世話になっております。熊倉ミハイです。包丁ナイフカッターズ様とのコラボMVの宣伝をさせていただきます。
今回は二作品、自身の過去作である「神さん」、Bメロに詩のパートを提供させていただいた「酸素ソング」です。よろしければ、ご視聴ください。
【神さん】
https://youtu.be/5GQZ8abslFI?si=vaZ063UjhADYb21z
【酸素ソング】
https://youtu.be/HG9do-aKA1c?si=QBk8MZOOaR1jq1uG
【本文】
「神さん」
僕の神は質素な味噌汁を遊泳している。
おっちょこちょいな自然を吸っている。
僕は彼の舌の筋から滑り生まれた、
一人の若い詩人である。
神はいつも言葉を口説いては、
毎日言葉とセックスしている。
(コンドームは着けないし、なんなら食べてる)
僕も言葉には欲情するけれども、
後悔が胸を覆って直視できない。
神も当然仕事をしなければならないが、
安い予言売りに身を置くばかり。
ちなみに僕は明日からタヌキになるらしい。
神は時々、僕に成りたいと言ったりする。
でも、魂胆は分かってる。
彼はひどい性病持ちだから僕の体を乗っ取るつもりだ。
そうやって僕をそのタヌキみたいな体に容れ込むつもりだ。
すべてお見通しだ。
だから、明日は家にハニー・トラップの言葉たちが家のドアを叩くだろうけど、
僕は部屋で詩を書き続けるよ。
「酸素ソング」
見ないふりすればするほど足りない自由と有難み
遠回りで全部戻って行き止まり
オリジナルな杜撰なパワーゲーム
見ないふりで放っときましょ
感じないなら無かったことにしよ
何が間違いで何が正しいかなんて
肺にある空気次第でまた変わるじゃない
違和に染み込んだ生活の風化
砕いて! 逃げる海に誠実な感情を聴かせて!
くだらない言葉が夜を充たせても
湿った指と崩れていく僕ら
愛の泡が弾けた音だけ
鮮明に聴こえてしまった者たちの歌が__
「間違いじゃない未来なんて無い」
って誰だっけ
そんじゃバイバイ
未来の僕たちは
酸素みたいなソングで
空になって
馬鹿になって
どこにいたって
歩いてるはずがひょっとして大往生
【詩解説】
楽曲に関しては、どちらの楽曲も包丁さんの手腕が凄まじく発揮されている。特に「酸素ソング」のギターイントロはしびれてしまう。余談だが、最近包丁さんの「ドクドキ」という曲も自分の中で再燃している。非常にオススメである。(時間が経ったときに、ふと聴きに戻るとはまってしまった)
今回の詩について考えていることを書こうと思うが、まず、如何せん「神さん」はもう一年弱前の作品で、当時の意図の仔細を覚えていない。ただキッカケは、「ダダ・シュルレアリスム新訳詩集(塚原 史/後藤 美和子【編訳】)」に載っているギヨーム・アポリネールの詩が、あまりに宗教性が強く、「これがダダなのか!?」という疑問、不満、怒りからであった。内容は、「神との合一」である。その詩から、否定精神、無秩序の感覚を覚えなかったのだ。さて、「神さん」では果たして神性の否定は果たせていると言えるだろうか。
さか たけおさんはコメントで、神の尊さという共通認識を、日常の言葉と併せることで払拭しようとしているところを評価してくださった。確かにこのような狙いはあったと思うし、その狙い通りの感想を引き出せた。だが、当時の私の返信は少し別の考えもあったらしい。それは田中恭平さんのコメントで、日本的な神と西洋的(キリスト教)な神の「ごった煮」という意見に通ずる。
要は、今の日本人の信仰する神は、行ったり来たりする感覚ではなく、「行って帰ってこなくなってしまった」存在のように思う。都合よく、好きな時に自分の胸のドアを叩けばそこに神がいる、そんな仏壇のようなものを心に仕舞っている。その神の「影」のような存在と「合一」(西洋的)しているのが日本人の宗教性のように思う。真の神はどこかに去って行ってしまった。
「神さん」に登場する「神」は、「影」として一人歩きし暴走してしまった存在だろう(まさに「バベルの塔の狸」のよう)。だから「僕」は、新たな神との邂逅を望み、詩という外部でもあり内部でもある世界に潜り込んでいく。つまり、「神さん」は「神」自体を否定しているのではなく、自分が合一してきていた「偽りの神(影)」を疑った作品である。私は、自身が真の神と合一できていると豪語していた、アポリネールの傲慢さに怒りを覚えたのだと思う。
私は作品を読んだだけであり、普通に暮らしているだけであり、コンテクストなどには当たれていないため、アポリネールガチ勢の方がいましたら、又、現代の宗教に明るい方、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
そう考えると、MV「神さん」で歌詞がリズムよく反復されていくパートは、「神への抵抗」の演出のように思えてくる。「それ以上私の格を落とすな」と時を巻き戻す神。しかし逆効果で、めちゃくちゃ「セックス」している事などが強調されることとなった。ポエトリーソングとして、とても面白いと思う。
長くなったが、次に「酸素ソング」。この作品はこれまでと違って、楽曲データを先に頂き、Bメロの17秒間の空白に、詩を添えられるかどうかの依頼だった。もう一つ、「何が間違いで何が正しいのかなんて」という一行目は例として包丁さんが書いていた。ならば、その続きでいこう、と書いていった次第である。
「酸素ソング」はアップテンポな曲だったため、早口の方が映えると予想した。音源を聴きながら実際に言葉を口に出しながら書いていく。構想というものはなかった。代わりに曲の途中途中、初めは語尾が思い浮かんできた。二行目「じゃない」、四行目「~て!」「~せて!」、最後、a音で開いて終わると気持ちいい、などなど、言葉の端々がせりあがってくる感覚に身を任せた。後は、Bメロという役割、「しゃがみこむ」イメージ、サビに「ジャンプ」するためには、とその他の歌詞で使われている単語、イメージに合わせていく。
この詩を書いた当時、化石の本をパラパラと見ていたのもあって、「風化」という言葉が引っ付いて来たりしている。「湿った指と崩れていく僕ら」という、絶妙に意味の取れない部分は元々、「湿った指が崩れる僕たちを導いたんだ」となっていた。洞窟の中で指を舐めて、出口の風を探るアレである。しかし、ここだけは尺の都合上削らざるを得なくなり、そうなると胡散臭さのある「導き」という言葉を削ろう、と、この最終形に至った。
色々、ボツなどを覚悟していたが包丁さんのお気に召されたようで、大幅な添削などはなかった。とても貴重な経験をさせていただいた。今後、元ある作品に言葉を添える、そんな依頼が来る場合もあるかもしれない。その依頼に応えるためにも、作風のバリエーションは常に広げていかなければと思う。どんな作品にも、似合う言葉を出せるように。(END)
作品データ
コメント数 : 3
P V 数 : 349.0
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-11-25
コメント日時 2024-11-26
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:349.0
2024/12/27 08時20分21秒現在
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詩の制作お疲れ様です。
1詩の制作お疲れ様です。
1コメントありがとうございます。
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