別枠表示
花の美に限界のなさを思う
心には限界をかけられないどんなに言われたって 美しい花はいつから美しいのか 懸命に生きる意志を働かせ続けて 美しい色を自ら獲得した 花びらは何枚でもいい 一枚だっていいんだぜ 咲き誇る花々が人間の心を癒す 人間も花も一人では咲けない 同じところがある 人生の花を咲かせたいなら 出来ることを増やして同伴者へ愛を送れるようになれ 不思議な力が空間に満ちている 可能性に足の裏を向けては寝られない 自らの不明を恥じて 真価を発揮するならば 限界なんてないと知るだろう 死ぬ前に一度は咲いてみたいだろう それが花の宿命 咲くことが嬉しいから 命を賭けて咲くのだ 一度きりとは限らない それも限界がないこと 美には限界がない 完全性はある それぞれの人が完成されなければならない そしてそこからさらに成長していく 限界はない 一人ではつまらなくない時間に限界がないと思うだろう 明日も生きて続けようと思うだろう 大勢の前では自らわきまえ限界を感じるだろう 他者の凄さを自らも達成したいと思うだろう 二人ならどうなんだろうか a pair of us リズム合わせて 対になろうよ 二本っきりの花は対で活けられ うつむき加減で恥ずかしがっている 誰にも無下にむしり取られないで 一つの情緒を二人で作る 肩を抱いて 抱き寄せて 生きるという過程は 情緒に包まれている 破壊や汚しに屈してはならない 手を貸してもならない 実をつけるなら 未来へ続く 命果てても孤独に消えるのではない 思い出と現実の全ては私たちを包む 広大なる宇宙の一部となって ミクロコスモスはまた生まれるだろう しばらく待て 全てを超越して宇宙になった仏は 宇宙規模でのときを待てば また新しい宇宙が生まれるときに形を成す その繰り返しが起きるはずである 宇宙は完全に消滅はせず また生まれるのだ だから死を恐れず 今の時こそを輝かせなければならない 全ての散った花びらの数だけ 幸福は増える 偉大なる愛に救われる私たち 愛を詠むなら その時と後において 永遠の幸福の中へ帰っていける 我々が生まれたのは 幸福になるため 苦と引きかえに 意志を鍛えられた 苦が無意味なのではない 苦を乗り越えられないことが無意味なのだ つまり苦を乗り越えたなら それがさとりである 智慧と勇気で道を定めたのなら 後は精一杯歩くだけだ 実践をしながら 経律論の三蔵に学ぶべし
ログインしてコメントを書く
花の美に限界のなさを思う ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 320.6
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-11-01
コメント日時 2024-11-16
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
ボルヘスの短篇集『アレフ』からの孫引きです。 「一輪の花を理解できれば、われわれは自分が何者であるかを、世界は何であるかを理解できるのではないか、とテニスンは言った。」(146ページ、鼓 直訳)。
1作品名は、「ザーヒル」です。
1こんにちは、田中宏輔さん。 花の生物学的理解は、おしべとめしべ、花粉、蜜のあたりにありそうです。 一方で、目につくのは一般的には花びら、その円形に開いた花が、幾何学的にも美しい対称性 を持っています。ボルヘスはまじめに読んだことはないですが、盲目の方らしいですね。 放射線を浴びると、花の咲き方もおかしくなるそうですよ。ゆるせないところです。 SFに詳しい田中さんなら知っていらっしゃるでしょうが、映画『ストーカー』のラストで、 足のない女の子が、念力の力でモノを動かす、というシーンがあります。 悪から善を作り出さなければいけないと、歴史の必然から思った、アメリカ人(civil war)、 ロシア人(チェルノブイリ)、みんなが、善を作る必要を感じたのですよね。 眼にすれば、どんな人も悲惨が何であるかを知っているわけです。 集団になることで感受性の狂ったものたちが、集合的な悪を犯すのは、看過できない ところです。独りになって、自らについて考え、自分の人生について反省して考えなければ、 何も前に進めることはできません。 詩人も、確かなことを知り、語り、念じなければなりません。自らわきまえる知識が、 あやふやでは、一流とは言えませんから。詩についての、語りがしっかりできるような私に なりたいと思っています。
0今の自分に酔ってるな。あとは知らん。
1酔えることの幸福はあります。醒めているのが悪いとは思えませんが、ナチュラルハイ で高揚しているのが、詩人的かなと。
1noteで有料記事書いてるからアトデナー
1限界を押し付けるのは、きまって「他者」なのかもしれませんね
1「他者」について、真面目に考えたことがなかったので、ChatGPTに聞いてみました。 「エマニュエル・レヴィナスの倫理哲学では、他者は単なる「存在するもの」ではなく、「顔を持つ もの」として、人に対して尊重と責任を喚起する存在です。レヴィナスにとって、他者は自己が超え るべき一つの限界であり、他者との関係性を通じて真の倫理的な自己を見出すことが可能になり ます。」 このように言われており、顔を想起することで、一方的な関係から逃れられるようです。 フェイストゥフェイスで話し合うかのように、コメントの会話、できたらいいですね。 花とはまさに、顔のようであります。大輪の笑顔を日常的にも心掛けたいです。
1愛について、書いているのかなと思いました。それが、宇宙と繋がって大きな円のようになって広がっていくのだろうなと。命って、尊いですね。
1より偉大なる愛の法則、と中村元さんは書きました。宇宙とつながるという視点は、持っていなかったので、なるほど、そうかと思いました。命の尊さを、否定できる論理はあるでしょうか。 無知無明でしかないですね。 愛について、マリア様に言われると、何となく感じるところもあります。
1