線路の焼かれた匂いにつられて、別れを追いか
けた少年たちの足跡がテーブルについている。
なぞる。頼んでいたコーヒーが届く。産毛がテ
レビの青白い光に向かって凪いで、うたた寝を
する湯気に雨を見る。どうも待ち人は来ない。
なぞられたテーブルはショールの肌触りを予感
して痙攣する。コーヒーを一口飲む。毛虫が星
の数を数える旅に出た時に、窓が水垢を飲むよ
うにと置き手紙をしていた。私はまだその手紙
をひらけていない。床についた真っ白な足跡は
次第に喜びを忘れていく。うなじが相づちのシ
ュガーを打って、ジャズのリズムが生活を退店
した。雨粒のすべる数だけ私がいて、ふくれた
ミミズを見下ろすあなたの傘の目。忘れたくな
くても、忘れていく。覚えるのは、銀色に光る
街をゆく人。不在着信が入ってるのを良いこと
に、記憶が削れていく時間がのびていく。のび
て千切れた狭間にいる毛虫は、私の鼻唄をひと
つ残らず奪い去って、黒い雲をゆっくりと押し
ていく風船になる。苛立つジンジャーを一口。
温厚を被る私は、空に溶けたクロワッサンに足
を踏み入れた。生地が意外にもぬかるむその島
には、星を食べる珍しいクジャクがいるらしい。
さざ波に、きざんだ傲慢がちょうどよくふられ
ていて、私は泣きじゃくる憧れに手を振った。
そこは今日が終わることのない世界。ろろろろ
と鳴いた果実に座り、現在へ、探してあげる言
葉もない。どうしようもない漂流に、逆さに吊
られた後悔だけが、頼りになるもんだ。木目の
脈動が録音された、砂粒ほどのカセットテープ
に家が見える。私のやわらかい家だった。道端
のさみしさを投げ当てた痕のある電柱に、もた
れかかる弱い声がいる。煙突からはけなげな心
が漏れて、今にも私を誘おうとしている。暗い
消化扉の前に立たされた。片方の扉には今にも
消えそうな引っ掻き傷が。もう片方の扉にはも
う片方の扉のもう片方の扉があった。汚い洗剤
に浸された間接照明を見上げながら、空のコー
ヒーカップをすする。捕まえたはずのネズミが
午後の裏側に逃げ込んで、薬指が文字化けした
安定を照らす。ねえ、ねえ、と照らすだろう。
メロディに溺れる私を頭の中から救い出すと、
スウェットを着た涙がこちらを見ていた。コン
ビニ袋を手に提げながら。私は小さいお皿をこ
れからも磨くしかないのか。いつの間にかピン
クの錠剤が私の目の前に座っていて、チョコレ
ートパフェを貪っている。錠剤は、昨日駅のホ
ームで失くしてしまった恥じらいを探している
ようで、私はただ不健康な雨水をすすっていた。
私の中の雨は絶えずミミズにすすられていて、
やり直したくなる一日だった。やり直したくな
ると思っても、途端に立ち上がったこの毛虫の
身体を、全肯定する哲学を持ち合わせていない。
スプーンに映る獣が白く光る肉を喰らっている。
分かりたくもない。送迎用のタクシーがずっと
つむじの上に停まっているのだ。分かりたくな
い。あなたの水分は雨になど変わらない。疑問
が毛虫にすすられていく。死ぬように座る身体
が、銀色に輝いて、フォークになって、私はど
こまでも切れていく。コーヒーをひたすらすす
る。うっ血したドアベルを見ながら。凍る雨音
を聴きながら。どこかの携帯から不在着信が消
えるのを待っている
作品データ
コメント数 : 19
P V 数 : 1628.2
お気に入り数: 0
投票数 : 7
ポイント数 : 33
作成日時 2024-10-02
コメント日時 2024-10-12
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 7 | 1 |
前衛性 | 25 | 21 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 1 | 0 |
総合ポイント | 33 | 22 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 3.5 | 3.5 |
前衛性 | 12.5 | 12.5 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0.5 | 0.5 |
総合 | 16.5 | 16.5 |
閲覧指数:1628.2
2024/12/27 02時54分45秒現在
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おはようございます。というのも意味があっての挨拶ですが、意味を持たない相手に対しておはようございます。と挨拶しても仕方ない。ですが、人間という奴はこの意味の無さに惹かれるからこそ日常に潤いを持たせることもできるのでしょう。例えば言葉の通じない猫に毎日の挨拶をするように。 ごきげんいかがでしょうか。熊倉さん、ゼットンです。笑。「またぐ朝」入選おめでとうございます。まあ、ちょっと本気になれば取られて当然だとは思うので、べつに驚きもしない。夢という題材ですが、あの読みやすくて逆に不穏な印象が選者の方々にも受けたのでしょうね。二人という数が効いていると思いました。対象的な日常と非日常。私はそのように解釈いたしました。 ところでこの作品ですが、必要なのでしょうか。不要な言葉たちが沢山書かれているし、短い段落で終わる文体も画一的で一歩調子ですね。いや、あなたの事だから何か隠されているな、などと手品のヒントを探るようなこともしません。たとえ何か探り当てたとしても、それが何になるのでしょうか。無駄ではないが、意味の少ない労力になるのは関の山です。 タイトルも「フォーク」ですよ。なんのことでしょうね。と考えれば意味の無さに気づかされますね。そうか、意味の無いものは捨てればいいのだ。しかし、待てよ、この世の中に無意味なものなど存在するのだろうかと、再び考えてしまいます。そして「フォーク」ああそうか、フォークとは食べるために使う道具だが、人殺しの道具にだってなるモノだ。使い用によっては髪の毛を撫でる櫛にもなる。つまり「実存は本質に先立つ」という発想も浮かぶのです。捨て去る言葉も何かの役には立つはずだ。非日常の出来事という物語に於いては。入選された「またぐ朝」この物語の発想を断片的に表したような無意味さが見て取れます。実存に先立てばそのものの本質などいくらでも取捨選択はできるのです。意味有り気に書き込まれる言葉たちのように。
1使われている言葉がとても日常品が多くて、何か近さを感じるから好感が持てました。
1熊倉くんは他者の作品のみならずコメント欄をもしっかりと目を通し作品作りをしてている姿をしかと括目して見たり。よって私の当面のライバルは熊倉くんとし、今より芽をつぶしておきたい詩人は佐々木君と熊倉くんとす。
1ミハイさんらしさが活きてますね。今回はかわいい変態ワールドに気持ちよく誘導されました。
1なぞる。←最初にここで、お耳がいい人なのだなと、勝手に感じました。好きです。初めて読む写真集を、とりあえずただめくり続ける素敵な時間のようなものを感じました。
1作品を無理矢理映像化して A列車で行こうをBGMにして賀来賢人が陽気に朗読すればいけそうな気がします。 表現領域の拡張を感じさせる作品だと思いました
1鮮度があって今の時代を感じる。瑞々しくて本当に時代にリンクしていて、今若い人が、詩を読みたい人が、読みたいもの書かれている。心地よくて文字を読むことの官能を感じる。優れた詩作で表現にも隙がない。……ただ、何も爆発するものが何もない。これはstereoさん個人の好みだから、僕の詩にはそういうものはいらないんですと答えられれば、まあそうかと思うだけだが、音楽で例えるなら、静かなバラードを何の変調もないバラードをしっとりと聴いた印象。この詩は評価されるし、されてるし、素晴らしい出来なのは間違いない。ただ僕のような爆発するエナジーを静かな詩の中にも、一つでいい、一つでいいから投じて欲しいと思う人もいるということを伝えたかった。素晴らしい筆力だと思う。90点は越える。
1コメントありがとうございます。 「またぐ朝」の方もお読みくださりありがとうございます。確かにあれは「二人」、天使の二人と「私」「彼女」の二人を対比させているところ、みそですね。 「フォーク」という道具への観点、面白く読ませていただきました。私としては、詩の中でコーヒーを扱ったので、スプーンを出そうと思って最初は書いていたのです。が、この詩のイメージが「何も掬えない」、スプーンよりも「フォーク」だな、と思いそちらに舵を切りました。人間という形も、手と足をそのまま伸ばして、首を上にぐいと伸ばしたらフォークのような形だなと。私たちはスプーンのように綺麗な器になれない時がある、と、そんな考えでモチーフにしていました。 あとは、まあ、雨などの落下、追憶などのイメージが変化球「フォーク」のように落ちてくる、なんてのも考えていましたが。 必要な作品かどうかは、読み手に委ねられているかと思います。私も、自分にとってこの詩が必要だったり必要じゃない時があります。割り切れないものを形にしているからこそなのかな、と思います。
1私は、お弟子さん(青十字さん)があの「宣戦布告」のような詩を量産されるようになったら、降参するのかもしれません。あのようなグロテスクを追い求めています。 下手したら、お弟子さんのお弟子さんになろうとする往生際の悪さもあるので、つぶし方はよく考えなければなりません。
0コメントありがとうございます。 音の感覚、錆びないように手入れしていかなければと背筋が立ちました。 最近具体的に意識しようとしているのは、押韻の散布でしょうか。頭韻や脚韻はその場所に音が引き寄せられる、何か一種のルールがある。ならば、それらが集まってくる前段階の、持ち場につく前の音たちを撮影できるのではと思ったり。たとえば「クジャク」は、後の「泣きじゃくる」という言葉に引き寄せられてこの詩に迷い込んできたのかもしれません。ミミズと水、毛虫とタクシー(これは無理やりかもしれません)など、探せば、詩の中で韻が自由に闊歩している。(用語はもうあったりするのでしょうか。散韻?やら乱韻?やら) それが私の作品の一つの心地よさに繋がっているのではないかという、一つの仮説があります。 「なぞる」のところは、私なりの緩急ですね。それも念頭に置きながら、精進します。
0コメントありがとうございます。 確かに、攻めた転調、過度なリフレインなど、爆発の仕方は色々ありますが、そんな見せ方をしていませんね。 この詩はやはり、「待つ」ことに徹していて、その待つものが来ていたり、または自分から迎えに行ったりすれば、爆発もあったのかもしれません。 頑なに待つという、何かしらの信念がそこにある。爆発を期待させれたのは、stereoさんの感情を相当じらせたのだなと、ポジティブに受け取らさせていただきます。
0言葉のつながり(組み合わせ?)とリズムが素敵な作品だと思いました。 一つ一つの言葉と文章を重ねていく末に何か流れが作られて静かな鼓動が立ち上がり、大きくなっていくみたいな。でも大きくなり過ぎずに続いていくような。 偉そうな言葉ですみませんが完成度が高いなと思いました。(相変わらず薄いコメントしかでなきなくてすみません…) この場でしか熊倉さんの作品を読んだことはありませんが、今回の作品は特に何かを実験しているような、そういう作品なのかなと思いました。
1私と言う統括者が比喩をばらまいているようなそんな印象を持ちました。詩における比喩の大切さを思います。少年、待ち人、置き手紙、ジャズのリズム、ミミズ、苛立つジンジャーなど拾って行くと、詩の世界が広がると言うよりはむしろ、詩の世界に溶けて行く比喩が強く意識されました。今日が終ることのない世界はネバーランドみたいなものなのかもしれません。
2詩て記憶媒体なのかな。もちろん。そのままではない、どうしたって過去のある地点を描こうとしても既にそれは再体験なのだし。敷き詰めらた言葉は概ねがひっくり返せば引っかかりなく落ちるのだけれど、なかに凹凸がある言葉たちが存在している。かといって、それだけだと作品としては成立しない。余白がないようでこの凹凸以外の言葉が不思議とじゃまにならずに場をつくり、楽しませてくれている。ただ、本当に必要か、というのは自分もそうだが常に再検討しなくてはそれに溺れそうでもある。作者の力量で成立しているけれど、下手に真似ると危ないかも、ね。良かったです。
1コメントありがとうございます。 佐々木さんの言う、大きくなりすぎず、一つの鼓動が続いているという感覚は、変容していくリフレインの効果なのかなと思いました。繰り返し、ずっと同じ感情に立ち戻っているはずが、見えてくるものは徐々に変わっている。そんな淀みの中に身を置いた詩なのかなと。 差し支えなければ、何かを実験している、と思った点を具体的に一つでも挙げられたら、喜びます。
0宿題が出てしまった...そうですね、熊倉さんのようにうまく言える自信はないのですが、例えば使われてる語彙はこれまでの作品と全然違うなと感じました。熊倉さんの作品には(おそらく言葉をよく知ってるからだと思いますが)普段はあまり使わない言葉、そしてそれ自体で意味や視覚で強さを持たせたような言葉がでてくるように思いますが、この作品は平易な言葉を選んでいて、名詞も形容詞もそれだけで強い意味を持つようなものは避けているような、むしろそのつながりによる(音も含めた)広がりというか継続性というかそういうものを試してみたんじゃないかなと思いました。ただ全体の5/6くらいのところ(詩の部分を指す表現として正しくないかもですが)あたりは熊倉さんの語彙が顔を出しているような、意図的かどうかはわかりませんけど。そんな印象を持ちました。先生、以上です!
1星を食べる孔雀は素敵、月を思ったのかなと感じた。
1なるほど…ありがとうございます。 平易で、日常的な語彙というのは、二つの点によって扱いが難しいと思われます。一つ目は、固定観念がこびりついていることでしょうか。空、は上にあるものですし、海、では息ができないなどなど。それらを面白く、美味しく調理するには何か枷のようなものを外さなければならないと思います。 二つ目は、その枷の外し方が開拓され尽くされていることでしょうか。奇をてらう表現を求めようとしても、何か別の既成の表現に似てしまい、パンチが弱まる。 これらの難所を克服するために私は、まず自分の使わない語彙を好き放題してみるという実験をしてきたりしました。自分に馴染みのない言葉はまっさらに見えるので、扱いやすい。そうやって表現の筋肉を鍛えて、最後に平易な語彙たちに立ち向かう、そういった流れです。 たとえが適切かどうか分かりませんが、エキサイティングな運転をマリオカートで練習し、その感覚で実際の車を運転してみる、といったことをしているつもりであります。 なので、今までの作品が自分の筋肉をいじる実験で、今回で自分の中にある平易な語彙たちに真っ向勝負をしかけた、つもりだったので佐々木さんの言った「実験」という言葉をつっつかせてもらいました。 返信、ありがとうございます。
1日常を異化する内容と言えば、少しく簡便化しすぎた言い方なのかもしれません。そして表現自体が、産毛が凪いでとかうたた寝をする湯気、毛虫が星を数えるなど、異化を超えた、異化の日常化を描いた詩だと思いました。ただその中で「忘れたくなくても、忘れていく。覚えるのは、銀色に光る街をゆく人。」の様な詩行から、記憶に対する不信の念、人の群れなのか、「人」が単独者なのかと私自身少しくいぶかしく思いました。
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