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私だったのかもしれない
私だったのかもしれない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 779.0
お気に入り数: 0
投票数 : 2
ポイント数 : 0
作成日時 2024-09-18
コメント日時 2024-10-07
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
これが本当の話であるのなら、私はあなたを救うことができるかもしれない。#アドラー 派 #街角カウンセラー
1いいですね。 いまちょうど「虎に翼」NHK朝ドラの特番で米津玄師と伊藤沙莉の対談を見て、ああ、米津玄師という歌手はやはり詩人なんだな、と実感しています。 ~生まれた日からわたしでいたんだ知らなかっただろう~さよーならまたいつか! これはご存じだとは思いますが、その米津玄師によるドラマの主題歌の終わりの歌詞ですね。この歌詞には再三~さよ~なら100年先~という文句が出てきますね。この主題歌の、さよーならまたいつか!とは読んでいけば、失恋して悩む主人公が、その辛い思いからの立脚を目指すんだ!という強いメッセージにも受け取れてきます。もうそろそろ現実を見つめ直して鳥のように羽根を広げて飛んでいけ!と。考えてみれば100年先なんて二人とも生きているはずもなく、このことは、さよーならきみにはもうあわないけれども、という相手に対しての宣言でもあるのです。その考えが終わりにはっきりと読めてくる。~生まれた日からわたしでいたんだ知らなかっただろ~別れた理由を散々思い起こして悩んできた俺、俺の一体何がいけなかったのか、と。でもある日気づいたんだ。もう悩んでも仕方ない。自分の短所ばかりを責めても仕方ないんだ。僕はこれからの僕は自分の長所を活かして生きていくんだと…。 何故米津玄師を持ち出すのかといえば、彼の主題歌は地上から天上を見上げて新たな自分に旅立つを願う拡げられる詩で、あなたのこの作品は、それとは逆に生まれて飛び出してきた広い世界から、地を這って生きてきた自分の立ち位置をもう一度問い直してみようという、傷ついて地に落ちた羽虫。それは私だったのかも知れない。つまり大きな視点へ向かわせるのか、小さな視点でより繊細さの思いへと潜り込むのか。自身を見つめ直すという観点では同じ意なのです。米津玄師に負けないくらい、デキた詩だとおもいます。
1心が苦しくなりそうで、ならない、なんだか軽い詩。その妙なバランスが良いと思いました。 一連目で、羽虫を自分のことだと思う、そういった詩なんだなと予想はしていましたが、それに行き着くまでの展開は予想つきませんでした。 なんなら、自分もこの「腕」とか「身体」が自分の物ではないような感覚(それでも切っても切り離せない)みたいな詩を最近書いたので、少し驚きました。 痛みを、その原因を、自分の中にあると思い込んで作ってしまう、他者に、世界に責任を転嫁せずに塞ぎ込んでしまう、その心情の動きを的確に捉えられていると思いました。
0コメントありがとうございます。一部は事実に基づいて書いてますよ。
0コメントありがとうございます。 「虎に翼」を観てないのでわからないところもありますが、米津玄師さんと拙作を並べてもらえてなんだか照れてしまいます。嬉しいです。
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