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fを越えてゆこうよ
a u i に e o 先を越された 老いては個に従え いろはにほへと もう卒業します きみたちの道が険しくなって われわれの生活も苦しくなって アカの散歩も憂鬱になって 猫たちの居場所もなくなって 貝砂利怪魚と仲良くなって 胡瓜も縞馬も移動していって 星が羊雲に反撃の奇怪を与えたら ここで立ち止まってください 蛸は天高く肥ゆる馬 /中央には俎板で拵えた頑丈な壁があるのよ\ メッセージは要らない 誉め言葉も要らない 九十九里浜には要らない お金がほしい
fを越えてゆこうよ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 799.4
お気に入り数: 1
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-11
コメント日時 2024-03-15
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
前半は、言葉の乱れが激しくなる時代への対抗策として、母音や「アカ(漢字の部首?)」に意識を向けているのかなと、思いました。 後半は猫、魚、縞馬などなど、様々な動物が出てきますが、今の私の知識では何が隠されているか掴めない……イメージの面白さは伝わってきました。 最後、メッセージを手離してお金に着地するのは、美学に反するようなナンセンスさがあって私は好きです。
0熊倉ミハイさん、こちらでは新人なのでコメントいただき嬉しいです。実は、童謡「丘を越えてゆこうよ」のタイトルと藤山一郎氏の「丘を越えて」が混同してしまいましてちんぷんかんぷんになりました。fには喩意付けもしてませんが、内容も含めて時代を越えて、とかナントカの気持ちで書きました。。言葉は寝かせて引っ張り出すこともありますが、ほとんどが即興ですので書いた後は自分でもよく覚えていません。ただイメージだけは浮かべていただいたようでよかったです。コメント感謝いたします。これからもびしばし批評してください。よろしくお願いいたします。
1あ、それから、冒頭部分乱れた母音の解釈。驚きました。ぐるりと遊んでいるのですが、おっしゃるとおりに近い気持ちがあったような気もします。批評は驚きと興奮、そして刺激と発奮。勉強になりました。
1返信ありがとうございます。 なるほど、即興、私もよく使う手法です。いいですよね。であれば、それぞれのモチーフに対しての新視点・解釈など、唯一無二の世界観が構築されていきそうですね。見張っていきます?♂️ 母音の解釈は、ランボーが母音に色が見えるとして自分なりのルールを作ろうとしていたのを思い出したので、指摘しました。やはり、細かい要素まで分析するのが言葉に真に向き合うことなのかな、なんて、日々思っています。難しいことですが……。
0熊倉ミハイさん、再度コメントありがとうございます。でも即興は難しいですよね。当たり外れが多くてたいていは外れたと自分でもがっかりしてしまうことが多い。Jazzのようなものですからね。即興の佳さは譜面にはない、そのイキイキとした言葉たちってことでしょうか。推敲を拒む、というのはホント難しい作用です。お互いにがんばりましょう。
1こんにちは。まるで、アートみたいに視覚に訴えてくる素敵な詩だと思いました。イメージを感覚で理解していくような。最後の、「お金がほしい」はとても素直でニンマリしてしまいました笑
0きょこち(久遠恭子)さん、久遠恭子様。お返しありがとうございます。あなたのお名前もいいですね。実は売れる詩人の大半がその固有名詞仮名に出てくるのです。と勝手に思ってます。感覚でしょうか。詩のタイトルのように、その名前でずいぶんと損をされておられる方もいるようです。目立つばかりで実力が伴わないのも困りものですが、やはり見かけってうっちゃっては置けないものだと感じておれおれで、 、感覚的に何か掴んでいただいならそれだけで充分です。あまり褒めないでください。男性は褒められると逆に惚れてしまいます。いいえ、疑ってしまったりホニャララです。笑。どうぞ、どんどんケチで蹴散らせてもください。本音ならばそのほうが本人にとってはいい刺激になります。コメント感謝いたします。
1モダニズムの時代は終わったんですよ、といたくなる詩形だ。内容も思考を酷使させるもので、眼にも耳にもよくない。そして「お金がほしい」ではあんまりだ。俗惡すぎる。
0笑、中田満帆氏コメントありがとう。うれしいよ。モダニズムの時代は終わったんですか? モダニズムに区切りを付けていいものか、僕にはわからないし、べつに動画じゃないんだから眼にも耳にもわるくてもかまわないと思ってる。やさしい音楽カルチャーが反乱してると思えばどぎついアニメーションや映画もある。目まぐるしいのは詩も同じ。とも僕には思えてくる。お金がほしい。つい本音が出てしまいます。いやあ、このことが言いたいために書いてる節もありますね。俗物なのは性分ですよ。笑。詩人と呼ばれるならば俗物俗人でもなければホントの美しさも描けない。と思ってる。
0タイトルのfを越えてゆこうよというタイトルのところで、わたしだと超えていこうよって書いてしまいそうなので、もしかしたら意識して書いてらっしゃるのかもしれませんがその違いに掴まれました。最後のお金のところ、真面目なことをいうと本気でお金がほしいひとはお金がほしいと書くのかなと考えてみました。拙いコメント失礼します。
0佐々木春さん、コメントありがとうございます。~行く。ゆく。行きます。ゆきます。時代拝見。はやい話、歳の違いでしょうね。泣笑。ちょっと古い人間の習った教科書には~ゆきます。が多かった記憶があって、どうしてもそっち、やわらかそうなニュアンスによってしまいますが、コント55号(坂上二郎)のせいでもあります。イキます、イキます。笑
0~飛びます、飛びます、でしたね笑。それから言い忘れちゃって、お金、欲しくない人はいませんよね。いない。 でも、それ以上の欲は諦めています。普通に食べていければいいと、
0この作風をモダニズムとは思わない(ブルトン的であるという判断だろうか?筆者はそうは思わない。そのくらいしか、この作品に対してモダニズム云々を語ることに意味を見出せない)。どちらかといえば、タイポグラフィに影響を受けた60年代以降の詩型で、いまだにこういった詩型を好んで使う詩人もいる。作品の形に関しては、内容との差分によって評価されるべきだと思う。 個人的には諧謔に隠した老年の悲哀が、そこかしこに表出しているかのようなこの文体を、とても好もしく思える 自動手記的に並べられた名詞の置かれ方が、曖昧となった記憶の断片のようにも思え、それは敢えて犯されている(だろう)誤字に意味ではなく音(=発話)として残った最後の価値の手触りのように感じ、逆に身体性を感じてしまう。 きっと経験豊かであるだろう詩人の、気取らない茶目っ気に満ちた詩心を心地よく感じた
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