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『私が書いた最も美しい手紙』『人生はキャラメルコーンの中にも』
1『私が書いた最も美しい手紙』 ●●先生へ お久しぶりです、先生。また短い間ですけどお世話になりそうです。これは私信であり犬笛です。ただし感謝を込めた! 最近、私はあなたとの20年に及ぶ私たちの関係について考えています。あなたは私に何をしたか。あるいはこう言って良ければ、私はあなたから何を受け取り、何に感謝すべきか。 私は、あなたと月に一回会う。私は自分の調子を簡単に——そう、あまりに簡単に!—— 目の前の主治医に告げる——私には病気のことなどどうだっていいと言うように。そして、私は自分の好きなことを話す。大好きな文学や、今、自分が興味を持っていて感動した本——私は本から多くを与えられました——そして自分が心血を注いでいるピアノのレッスン、フランス語——私が18歳から夢見ていた偉大な文学者の国の美しいエクリチュール!——、最終的には、私が人生で二度も諦めた大学受験まで!病識もなく、自分には自閉症の苦しみなど無いかのように振る舞う楽天主義の私も時に——年に一回でしょうか? ——主治医のあなたに聞く。 ——先生、私の病気はよくなっていますか? 私は知らない。自閉症が何なのか。——私は長いこと病名すら知らなかった!リスパダールが何のためににあるのか。そしてあなたは真剣にな面持ちで私に答えた。 ——君は出会った頃に比べるとずっと良くなっている。しかし、あなたの場合は薬のため でなく、自分の訓練や努力の賜物でよくなったんだ。 私は自分を確認する。成長を、報われた苦しみを、栄光の予感を!しかし私はその時はまだ感謝という感情は無かった。自分一人の満足と虚栄でしかなかった。 どこで道に迷ってしまったのだろう。いつあなたに何かを求めることやめたのだろう。私は——病気のことは気にしていなかったが——あなたが自分の一番の理解者だったと思っ ていた。 私には人には言えない苦しみがある。何も与えられなかったという確信に満ちた傷跡が。 それは私を無気力に陥らせ、その後の全ての人生を損ねてしまったと私は思っていた。あなたはそれを医師として重んじてくれなかった! 私は人間を一枚の紙だと思っている。人間性という色彩と精神という文字が書かれた不可思議な紙だと。私には紙に記すべき素晴らしいものは何もなかった。私は両親と教師から 何も与えられず育った。日常の最低限の生きていく術すら得らず。私は教育という啓蒙の言葉が与えてくれるあらゆるものを知らなかった。18歳の時から紙に記す言葉を求める人生が始まった。 私は18歳、初めて親元を離れ学生寮で一人暮らしを始めた。そして今までの短い人生で目にしなかった光景に打ちのめされるのだ。朝、眼を覚ますとそれは自分がわかっていなかった、その時に至るまで誰も教えてくれなかった「普通の人々」の「普通の生活」を目にするのだった。 朝起きたら顔を洗わなければならない。それは自分の人生は18歳にしてここまで損ねられているという真実だった。私は歯を磨く習慣も自閉症を克服しようとする最近まで思うように身につかなかった。そしていつか私はあなたに言ったはずだ。小さい頃靴下を履く習慣がなく、何も教えられずに水虫になったのだと。そして冬の日には足が冷たさのために学校の行き帰りが地獄だったと。 私は思う。あの時あなたは私の苦しみを受け入れるべきだったのだ。何か励ましの言葉をかければよかったのだ。ただ一言。はい、わかりました以外の何かを。あなたの人間性をかけて慈愛と愛情に満ちた言葉を! 何も与えられない苦しみ。私の——左派の自覚的愛国者——としての苦しみ。私は高校教育で古文——愛する祖国の文学——を与えられなかった。いや、存在そのものを教えられなかった。大きく勘違いした教師たちの歪んだ優しさによって。同じように国家への忠誠を誓ったあなたが何故この恥辱——国辱と言うのです!——がわからない!大人になって勉学に励むことの大変さが!私は精神障害者でもあるのに!あなたは古典文法——素晴らしく美しい日本語の成り立ち——を勉強することなく万葉集を読め、などと私にいうのか!方法論の違いなどどいう言葉のトリックでごまかせると思うのか!自閉症を回復した私の言語能力による責任追及の力をあなたで試させないでほしい。できればあなたへの感謝を美しい花々で包んで送りたいのだから! 2『人生はキャラメルコーンの中にも』 魔導士はキャラメルコーンの最後のピーナッツを食べ終え、私にこう言った。詩人さん、私がピーナッツに生まれ変わることがあっても、キャラメルコーンに入れられるのは嫌だわ。あんな屈辱的な扱いを受けるなら、ゴミ袋に詰め込まれ、ロケットで宇宙に粗大ゴミとして打ち上げられた方がマシよ。私は宇宙で、悲しいピーナッツ仲間とともに、二千光年のお星様になるの。そして人々は祈るの。私も屈辱の人生を、キャラメルコーンのピーナッツのように送るのではなく、果てしない闇の中で孤独な魂として生きるんだって。 一つの教訓。人は資本主義社会の中で、くだらない存在として人生を消費されるくらいなら、孤独とともに、精神の自立を勝ち得るべきである。人は時に、キャラメンコーンのピーナッツのような人生を送る。人はスナック菓子からでも教訓を得る。そうでなければ、私たちの言葉は新聞のお悔やみほどの価値もない。
『私が書いた最も美しい手紙』『人生はキャラメルコーンの中にも』 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 461.4
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-09
コメント日時 2024-03-09
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文