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同意
誰の同意もなくても大切なことはある 自分自身しか知らないこと 夢や翳や幻や微妙な感情 強い私ばかりが自分じゃない 弱くても大切なものはある 世の中の移り行きによって左右されるものがあるが 私自身の望みは私にしか分からない 子供の頃から転がして来たこと 小高い草の生えた丘の上に昇って下る ただそれだけの事で自分は満足だった どんなにか現実が愛しかっただろう その頃を失った自分というのは 堪えがたい だが堪えるしかない 友達たちがなぜか集まって来た 昔を思って言葉をくれた 私はほぼ完全に失われていたため 下らない言葉を話すだけだった 炎は決して失われない 消してもまた燃え出す 命があるからだ 命の炎を消していいはずはない 夢幻の光よ どこへ行くのか 私を置いて行かないで 私を待っていて 永遠ほどに長い苦痛と別れよう 苦痛と戯れすぎた私の 最後にして最初のミッション 全ての失ったものがつながることで 私は完全な一人となるだろう 私自身の同意を私自身が承認せねばならない
同意 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 341.6
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-03-01
コメント日時 2024-03-02
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
普遍性のある説得される詩だった。固い言葉で約束や形を作る言葉らしい価値を感じました。正しく進むために自らを確認するためにも詩はあるのかもしれません。
1ぼくの望みはなんだろうと考えてしまいました。
1普遍性については、いつも考えています。約束というと、僕は糸が結ぼれるようなイメージを もちます。約束って、人間的なのかな、と。詩というのは、いろんな意味合いを持ちますね。 私は、ここ20年くらい、やはり詩と生き方が連動してきました。 僕は、どうしても萩原朔太郎の詩が好きになれないのですが、身体が弱くてかわいそうな人 だったんだろうな、という点で、やや共感できるような気がしています。
1エミリー・ディキンソンによれば、美と真実が、二つの大きな価値のようですね。 異質なものが同質となる死後の世界では、個人というものが、意識の上で重なる、 そんな詩を読みました。(「I died for beauty──but was scarce」というディキンソンの詩) 美から遠く、真実を求めえない人たちも、死んだ後では、全て重なる、そう思うからこそ、 現世において懸命に生を生きているんだろう、そんな理屈を考えています。考えるということが、 何らかの形で善に至るのだろうということを、思っています。考えるということは、創発と 反省に至るしかないのではないかと。急ぎすぎたり、怠けていると、損をしたり、失敗したり するんだなあと。エミリー・ディキンソンは、詩について、完全な満足には至らなかった のでしょう。躍動する言葉と感情、苦悩の哲学。 苦悩自体は悪いことではないでしょう。考えるとっかかりが、世界の中にはある。 その世界の地域性ではなく、普遍性にこそ通じていないと詩ではないのかもしれない、と思います。 地域性ではなく、人間としての共通の面に、理解のカギがある。表面性よりも、真実性に、 自分を誇ることこそ、全ての人が、望むことでしょう。つまり、自己の真実とは、考える ということだと思います。考えることをすることこそ、人間的である。その考えは、 無明を取り払ってみれば、真理に従った観点から考えることができる。考え方の間違いは、 直していける。その間違いとは、見極めることで直すことができる。全ては空である、 一見突拍子もないようですが、観音様がそう見極められたので、それに従って、また自分自身で、 全ては空という考えを続けて行けば、分かってくるものだと思っています。 僕自身は、仏教に真実を頼っていますが、考え続けていると、そんなところに至るようです。 僕自身の子供時代を振り返ると、確かに美によって失敗している(父親に、僕の顔の悪口を 言われた)ので、ディキンソンもそんな美についてのこだわりを持っていたのだろうな、 と想像します。
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