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散文『絶望と希望/二人の村上/1995年から2022年へ』
日本。極限まで追い詰められた人間たちによる連帯。そこに初めて生まれんとする希望。人間は危機の中に希望を見出してしまう生き物だ。私はどこかでそういった心理学の断片を読んだ記憶がある。日本人の曖昧な優しさ、そして消極的な倫理観。私は執筆において自分と自分を育ててくれた日本人にかけてみようと思う。かつての日本の文学者の苦楽を私も味わうのだ。血と汗による執筆によって。カミュの『ペスト』。あの書に書かれた人間の連帯は日本でも可能だ。しかし現実の日本人は陰謀がもたらす幻影に、感じとる器官と精神を犯されているのだった。村上春樹と村上龍。二人の村上は95年以降、絶望と無気力と、希望の物語を書いていた。それでも二人の文学的戦いは現実の前で勝利したとは言えない。95年の現実は絶望であった。それに反するように一部の優れた小説家は希望へと向かった。精神の暗黒の中で暗黒にとどまる以外の選択肢は希望を求める旅しかなかったのか。私はそうだ、それが正しかったと反歌を唱える。あまりに過去から離れた2022の終わりに。いつもそうなんだ。私もそうだったから。最低のところまで落ちてから人は希望のニ文字を思い出すのだ。私たちは希望という言葉を普段なんとなく使う。たまに他者とのふざけ合いの中で、そして深夜に一人心の深奥で。私たちは,今に生きる日本人には,絶望も希望もなんと身近になったことか。私のイメージ、九十年台の終わりに孤独な自閉症の若者が深夜のコンビニで雑誌を読んでいる。 私は自閉症との苦しい戦いの中で日本語とかつての日本文学に助けられた。言葉たちは私を励ましてきた。一つの真実。日本文学は可能だ。
散文『絶望と希望/二人の村上/1995年から2022年へ』 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 388.2
お気に入り数: 2
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-02-19
コメント日時 2024-02-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文