作品を読む
平和とはなにか? 実はここにメッセージはひとつもない。
ものを書くとか、ものを語るということはどういうことなのだろう? 人間が蟻のように会話もなくミュニケーションもなく、心を通わせることもなく、ひたすら労働に従事し、それを10数年間続けることは生真面目で立派なことなのだろうか? 私の知っているサラリーマンは、適当に休日を作り飲み屋に通い、憂さ晴らしも出来ているようなイメージだ。 精神障害者はどうか? 続かない理由の多くが、適当を許さない環境にあるように思う。 本人がなにを望んでいるのか分からない。 真面目な人が多い。 私が詩を通して伝えたいものは特にない。 要するに、歌を歌うように、詩を書きたいし、作品を作りたい。 特別な目的もなく、ただ気持ちいい。不快感を胃薬を飲んで吐き出すように、綺麗に綺麗に上手くまとめて吐き出す。この不快感がなくなった時、私の歌や作品はただの綺麗な作品になるのだろうか? 私の歌を軽薄だという人がいる。メッセージがない。言葉の遊びに終始している。 詩でもなんでも、自分が心地よく生きられればいいし、晴れ舞台を欲したのだと思う。 第三の目が入りやすい場所。そこでは自由な空気が流れる。 特定の癒着関係に流されることなく、そこで居心地の悪い思いをしている自分を解放出来る場所。 30年以上前から私は引きこもりや、子供の同意なき入院、社会的孤立、貧困層の拡大など、現代的な社会問題を体現していたと思っている。自分がなにか、時代の先を行っていたような自負があったし、作品で表現していたものも、古典的でありながら、前衛性の強いものだったと思っている。 病院に行くと、両親が無断で来ている。今回も三度目の同意なき入院となる可能性がある。 悪意や殺意、気持ち悪いと思う自分が抱えている不快感。それを皆で共有したい。 えげつなく迫りたい。 戦争中は、グロいことを皆で楽しむのが普通だし、それが健康だ。 私は現代という社会において、ずっと戦争の中を生きている気がする。 女性には当然馴染めない。私のえげつなさが女性には耐えられないのだと思う。 駅の路上で私が詩を読むと女性がうへっと、思わず逃げていく。 許せない、そんなことを言うなんてという感じだ。 しかし、それが真実だったらどうする? 私が人に愛されるのは、死んでからかも知れない。 「同意なき入院」国賠訴訟子どもと精神保健 期日報告会 https://www.breview.org/keijiban/?id=12153
平和とはなにか? 実はここにメッセージはひとつもない。 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 663.6
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投票数 : 0
作成日時 2024-01-28
コメント日時 2024-01-29
個性や価値観というものが過剰に問われている現代の弊害として、「真実を見ない」ということが、確かにあると思います。 たとえば、幽霊はいます。妖怪もいます。戦争もあります。身近な殺人もあります。なんなら魔法もあります。 そんな非科学的な、と、自分の許容できる世界に閉じこもり城壁を造ることは個性でもなんでもなく、それこそ現代的に一般化された「イデオロギー」の中に取り込まれていく没個性に過ぎない。 世界はどう映っているのか、その真実を認識・表現できるのはカメラでもAIでもなく、人間でしょう。だのに皆、自分の知れる範囲の事実だけが好き過ぎる性分だなぁと思います。そういう私も、身を引き締めなければと常々思いますが。 「平和イデオロギー」、改めて読んでもいい詩です。
1熊倉ミハイ様 恐縮です。 実際に褒められると自己満足が、他人に広がったようで。 どっかで自信が無いんですよね。 自分が面白いと思っている。要するに本当は他人に不信があるんだと思うのです。 他人からすれば僕に不信がある。 難しい。ありがとうございます。
1メッセージではなく、あるのは叫びなのかなと思いました。
2トビラ様 歌というものはそういうものだと私は思います。 なにをどうしろとか、運動歌のようなものもあっていいと思いますが、基本は吐いて出すもの。それが詩だと思います。 頭にきます。晴れの場で昇華したいと思っても、根にあるものが解決しないとダメなんだなぁと悟りつつあります。逃避行的なものも考えましたが、人の話を聞く人間にそれは向かない。 行動に起こさない人間が問題に立ち向かうには、法を通して戦うしか無いのです。 行為に向かない。イマジネーションの世界に生きている人間に、一人暴動によって立ち向かうのはとても難しい。納得出来ないことに体が動きづらいのです。 今日は公明党の政治家と会ってきました。弁護士が味方しないなら、政治家。今はとりあえずそこまでです。ありがとうございました。
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