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洗車と教会の清掃と、星のまたたきと
洗車をしている人を見るのが好きだ。とくにポカポカ陽気の日なんかに、彼/彼女の満ち足りた表情が世界に滲んでいるのを見るのが好きだ。ある人がどんなに無愛想でも冷たくっても、もしその人が洗車が好きだと言ったならば、僕はその瞬間に彼への評価を改めるだろう。心を込めて洗車をしているとき、人は世界ってやつと深いレベルで交感し合っているのだと、そう僕は確信している。その胸には、静謐で満ち足りた、そんな波紋のような広がりがあるのだろう。かつてともに走った夜道。音楽と笑い声に溢れた、家族みなでの夏のドライブ。そういったものたちが、記憶の泉から滴っては沁みてゆく。胸に沁みたそれらをよりたしかなものにするようにして、彼は車体を磨いてゆく―速くもなく遅くもない、世界の心拍に似た速度で。昔、世界の片隅にあるような、そんな名もなき教会の清掃人になりたかったことがある。洗車をしている人を見るのが好きなのは、きっとその名残なのだろう。どこまでも1人の、1個の肉体とともにある人間として、この世界というものと向き合いたいと、たぶん僕はそう思っていたんだと思う。もっと言えば、この世界の美しさと出逢いたかったんだと思う。いまでももちろん、その願いを忘れてしまったわけじゃない。けれどなんだか、疲れている。雑多で本源的でない、そんな数々の情報や文脈にまみれてしまっているような気がして。たとえば1人、アパートの一室で、精魂込めてものづくりをしていると、気がつけば日が暮れかかっている…そんな体験から、いったい僕はどのくらいのあいだ遠ざかっているだろう?記憶とたおやかに戯れるには、名もなき星のまたたきをただ見つめ続けるには、僕は少々、言葉ってやつに頼りすぎているのかもしれない。
洗車と教会の清掃と、星のまたたきと ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 430.8
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-01-19
コメント日時 2024-01-20
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
拝読をさせて頂きました。 洗車から、教会の清掃へと意識が遷移なされる記述に於きまして、洗車=洗礼の比喩が顕ちあがる様でもあり、允に面白く思いました次第でございます。 斯様なイマージュの連続的な遊びを想起しながら。多分凡そは現実を記述なされていらっしゃるのでしょうけれども。 私達の脳裡には心象的連鎖の文脈が潜み、通底をしているのかもしれぬと思いました次第でございます。
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