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茫漠とした海図を手に
それは青天の霹靂だったーとでも言いたいところだけれど、実際に僕を包んだのは、それこそ最初から勘違いなどなかったような、そんなたおやかで澄み渡った安堵だった。ちょうど2年前の1月に彼女からの返信が途絶えたのは、僕に愛想を尽かしたわけでもなく、ズルズルと友人関係を続けるのは僕のためにならないとの「愛を切る愛」ゆえでもなかった。すべては僕の独り相撲に過ぎなかったのだ。 「とにかく疲れててさ、あの頃やり取りの途絶えた人が、○○さん(僕)以外にも結構いるのよ」と、彼女は言った。それは、僕が彼女の元へと意を決して出した手紙―それまでのことへの感謝に、僕を思いきって"切ってくれた"ことへの感謝、そして"○○さん(彼女)に負けないくらい素敵な女性を見つけて絶対に幸せになります。それでは、お元気で。さようなら。"と結んだ、遠方の地へと旅立つ旨を伝える手紙―を読んだ彼女が、僕にかけてきてくれた電話の中でのやり取りだった。 いずれにせよ、僕は失ったかにみえた友人を取り戻した。もっと言えば僕は、この世界で1番大切な女性の関心を繋ぎ止めることに成功したことになる。「これからは、また定期的にやり取りしよう。そっちの方が、お互いにとって安心じゃん」と、彼女は言った。もちろん僕とて、彼女が僕の熱い想いに感化されたのだと考えるほど能天気じゃないつもりだ。ようするに僕の手紙には、彼女をどこか不安にさせるものがあったのだろうと思う。僕自身、なかば悲壮感に酔うようにして書き綴った部分は少なからずあったし、我ながらあざとかったとは思うのだけど、そうすることで彼女の同情を引き出そうとしたのも事実だ。 ともかくそんなわけで、このいま僕の未来予想図はドラスティックな変化を蒙っている。北九州に骨を埋めるという当初の未来図と並んで、あるいはより強く、50を越えたあたりで故郷の三重に帰り彼女との終生の友情に生きるという、そんなもう1つの未来図が輝いている。 正直、自分で自分を嗤いたくなるときもある。成就する見込みがほぼないにもかかわらず、ただその純情をもって終生想いを馳せ続ける―そんな事態を、ただ美しいと形容して済ませるには、37になった僕はいささか年をとりすぎている。恋人になれなくとも友人でいられれば満足、というのは、つまるところ、どんな形であれ手元に置いておきたいというエゴではないのか?―そんな疑念がもたげてくる。 落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせながら、僕は思う。おそらくいま僕がその渦中にいるのは、それこそ人生が幕を下ろすその間際くらいにならないとその是非が明らかにならないような、そんな事態なのだ。だからこのいまの段階で、それが美しいだの醜いだのと考えても仕方がない。 なにより―と僕は思う。未来とは、分からないからこそ未来なのだと。いまの僕にとって、彼女が世界で1番大切な存在であることはたしかだ。けれども、それこそ北九州で、彼女を世界で2番目に押し下げるような、そんな女性に出逢わないとも限らない。ようするに、先のことをあれこれ考えても仕方がない。 少なくとも、不安ゆえに未来を確約させたいと思ってしまっているにもかかわらず、それを、純粋に愛ゆえに故郷に帰り彼女と過ごし続ける日々を想い描いているのだと、そう錯覚する欺瞞だけは避けたい。将来的に誰を愛して生きていくのかが分からない―それがなんでこんなにも不安なのかは分からないのだけど、とにもかくにも不安だ。けれど僕はその不安を、不安のままにこの胸に抱くようにして、そうして歩いていくしかない。 でもさすがに、再び彼女からの返信が途絶えるなんてことはないだろう。そうであってほしいと、そう心より思っている。けれど僕は、たとえ返信がまた途絶えてしまうことがあったとしても、それでも彼女の幸せを祈り続けていく自信がある。きっと、それだけで十分なのだ。いまはきっと、そう思えるだけで十分なのだ。
茫漠とした海図を手に ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 516.6
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2024-01-18
コメント日時 2024-01-19
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
私小説的な記述がめづらしく。 (多分)実体験に基き起草を為された御作であると感受を致しました。 断片的ではございますが、実生活のリアリズムを伴って、重量のある現在が描かれております。 若しかしたなら、私小説が人間に拠る文章表現の最後の牙城となるかも知れない、等と考えつつも。 「土地」の距離感という概念は、肉体的実在が無ければ理解し難いでしょうから。
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