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女の卑怯と優しさ
自分の書いてきた詩について思う。全部嘘だったという思いがどこかにある。 私がよく運命を変えるような女性に言われた言葉が、謝らなくていいだった。 反省しなくていい。 僕は考えたのが、自分が被害者で内省することが間違いだと気づいている人の言葉だった気がする。 内省的な詩が多かった、 そうなる前の私は、自分が不当な思いをしていることへの反発が強く、それが抑え込まれ、屈服を余儀なくされる期間が長く、自分が悪かったのかも知れないと考えるようになったのは、逆に言えば、その自分が正しく認識されないまま、他人に受け入れられるようになったからだ。 自分の被害性をありのままに受け入れられないまま、個性のみを尊重され、受け入れられた時、被害性を包み隠し、本当は受け入れられたかったという弱さが出てしまう。 すると、本当は自分が悪い面があったのかも知れないという内省の世界に入る。 それが理解出来る人が、謝らなくていいという言葉をかけたのかも知れない。 多かれ少なかれ人は誰もが被害者。内省の全てが誤りとは言わないが、多くそれほど有益なものだとは思えない。同時にそのナイーブさのない人間が嫌いなのだ。都合よく物事を考える合理性に、とても辛気なものを感じる。現代は、明るい顔をして皆歩きながら、辛気な時代である。弱肉強食賛美もそうだが、甘い言葉に人が反応しづらくなっている。弱さを認めるようで皆怖く、客が入らないのだ。 少年が勝つためにやれることは、少年犯罪を起こして、軽い罪に問われ、ある種の悪の道を歩むか、女を口説いて、社会生活を真っ当に送れるようになるか? 社会に仕方なさを認められることが、多くの被害者を救う。大人になって、逃げる場所は、ホームレス。あれをやると少し道外れの人と出会える。 素直に真面目に真剣につらさを抱えながら従い続けると、精神病者としての人生から逸れることは難しい。 病者の道を歩んで仕方ないわねえと、女が笑う時、不能者への嘲笑を含んだ屈辱が、敗者を遅い、復讐の前に、女は手を打つ算段を始める。私の兄はそれで逮捕され、病院に入れられて、永遠の病院生活を余儀なくされた、全て毒親の仕掛けた罠だが、それに現役バリバリの女たちが共謀した。救おうとした女性は皆無だった。実は少しいた。名前はあげられない。どちらにしろ、兄は私を一方的にいじめ続けた、兄への恨みは消えない。なぜ自分より弱者の私を守らず、両親の愛を勝ち取るためにいじめ続けたのか? 許すことは出来ない。 女は汚い。しかしその女の汚さに救われる男性がほとんどだ。弱者への同情ではない。共感の思いがこの詩を読んで私の心には溢れた、これは私にとって詩なのだろうか? 心に響く言葉、うまくまとめられているか? 綺麗に纏まれているか? 計算されているか? 整列されているか? しごく真面目で真っ当な人の書く文章だ。自分に似ている。私と同じように自分の書く文章を詩かどうか悩んでいないだろうか? どうしていい加減に済ませられないのだろうか? それはすべて毒親のせいなのだろうか? わからない。ただ似ている。そう感じました。
女の卑怯と優しさ ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 657.2
お気に入り数: 1
投票数 : 0
作成日時 2024-01-07
コメント日時 2024-01-11
性別、年齢、環境、そういった分類ではなく、その人自身に基づいて、その人が何をしたのか、 きちんと知り、自分なりに正しさについて考えていくことが必要なのだと思います。 誤解を恐れずにいえば、神様はもう年老いて死んでしまったのです。 こういう人にはこういう対応をすれば正解、というマニュアルはありません。 一緒にいて、大切にして、築かれた信頼関係からしか、心は得られないのだと思います。 どうしてそうなったのか、と立ち止まったら、次は、これからどうしていきたいのか、です。 誰も急かしたりできませんし、また逆に言えば、振り向かれることもないでしょう。 何が起きたとしても、起きなかったとしても。 自分の意志で生きようとしている限り、人は助けを惜しまない。 人間は皆同じように、孤独で弱いからです。 詩は人の心に寄り添うものです。万太郎さんがこの作品に自分と似たものを感じたと読んで、嬉しかったです。 私は小さなことから、少しずつやっていこうと思っています。 ありがとうございます。
1神が死んだ。これは正に、ニヒリズムです。 それでも私は言いたい。神は生きていると。 ありがとうございました。
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