二〇二一年十三月一日 「断章」
ジョンは五千人程の男女の中に見えなくなった──。誰も彼もが灰色のヴェールを被っている──、凍って粉々になった残骸は〝意識〟と呼ばれ、人々の中に動かしがたい様相を呈して来た──。
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急報』中国人の洗濯屋、諏訪 優訳)
二〇二一年十三月二日 「断章」
二つの生命体が昆虫人間の恐ろしい乾燥熱から脱がれようと地殻の割れ目に入りこんだ──。暗殺者は、葬送のシンフォニーを笑いを浮べて聴き、氷のように冷たい狂気の大馬鹿者の足をひたすら待っているのだ──。存在する為に、彼は動物園の中で捕えられたのだ──。檻はうなりを上げて、すぐそばまで来てる──。漂泊者はぶつぶつつぶやきながらほこりっぽいアラブの街を去っていった。
「彼はどこだ」
投映塔は聞き、嗅ぎ回り、都市のすみからすみまで調べた──。アメリカの夜明けの言葉は私の目前で色あせた──。涼しい病院にはバラの壁紙が貼ってある──。〝ミスターブラッドリー、ミスターマーチン〟は洗いざらしのシャツを着込み、外へ出た──。星や駐車場やカビ臭いキチン宿──。君の頭脳を占領している異なった太陽──。記憶を巡り青ざめた光──。
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急報』色彩復活、諏訪 優訳)
二〇二一年十三月三日 「断章」
フランシス・ジャム。彼は常に、自分を實際以上に貧しい、單純な、つつましい人間のように相手に思いこませたがつている。(あるいは思いこませようと努力している。)
(ジイド『ジイドの日記』第一巻・1902・三月二十七日、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月四日 「断章」
ガリエールの死んだ時、レイモン・ボヌールに手紙を書いたが、その返事として、素晴らしい手紙が届く。だが、次のような氣にかかる文句がある。「フランシス・ジャムから、私の生涯の哀しみの一つとなるような手紙を受け取りました。」
何か重大な事件がある毎に、ジャムには本當の親切さが缺けていることが新しく暴露される。
(ジイド『ジイドの日記』第二巻・1906・四月八日、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月五日 「断章」
かなり重要な手紙をジャムに書く。
(ジイド『ジイドの日記』第二巻・1906・火曜日、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月六日 「断章」
ジャムにこんな無造作な手紙を書くのは、實に辛い。だがほかにどう書きようがあろう?……彼の鼻はもう香の煙にしか利かないのだ。
(ジイド『ジイドの日記』第二巻・1906・十一月二十三日、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月七日 「断章」
今でも、まどろむ前や、眞夜中にふと眼が覺めた時、運惡くジャムのことを考えると、まるで眠れなくなる。
(ジイド『ジイドの日記』第二巻・1910・十月二十日日、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月八日 「断章」
ジャムから、彼の沈黙以上によそよそしい手紙が來る。不幸なことに、明らかにこれは、友情が急激に目覺めて書いたものというよりは、最近の詩を私にほめられた悦びで書く氣になつたという代物。この手紙によつて、私たちの間にはたしかに單なる誤解以上のものがある、つまり、私が密かに怖れていた通りに、多くの文學が、傷つけられた文學があるということを、あまりにもはつきりと感じさせられる。
(ジイド『ジイドの日記』第二巻・1911・二月、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月九日 「断章」
詩人であり──藝術家ではない。
私はここに閑人の修辭家として、何か微妙にして徒らな区別をつけようなどとするものではない。藝術に対する礼賛を詩の軽蔑にまで推し進めた一派(ここに於ては私はマラルメ同様エレディヤもそうだと言う)のあとに來たジャムが、こうした極端を制御するために、藝術に対して殆ど完全に盲目的な態度を持さねばならなかつたことを、私は非常に重要なことだと思う。何ものも彼の自信をみだすものはなかつた。なぜならばそれ以外のものを見る眼を持たなかつたから。私はアンリ・ドゥ・レニエやヴィエレ・グリファンがより少く詩人であるなどと言うのではない。(ところでそう言おうと思えば言える。)だが彼等はたしかにより藝術家であつた。フランシス・ジャムは詩人であつた。そして、それでしかなかつた。
(ジイド『ジイドの日記』第五巻・断想、新庄嘉章譯)
二〇二一年十三月十日 「断章」
(…)リーは身動きした。とじたままでいようとして、まぶたがぴくぴくした。しかし意識と明るくなる光とが、むりにその目をあけさせた。彼女は二枚のモスリンのシーツのあいだで、もう一枚のシーツでいようとするかのように、薄く平たく横たわっていた。とはいえ、白いシーツなら、朝の小鳥のさえずりも聞かず、朝食の匂いも嗅がないはずだ。リーは寝返りをうって、生というつらい重荷が自分を満たし、自分にのしかかり、その焼けつくような虚無感で自分に襲いかかってくるのを待った。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』1,深町真理子訳)
二〇二一年十三月十一日 「断章」
(…)ピエーとセヴリーヌのふたりは、顔を見合せて、笑いあった。衰えるものは何ひとつ見のがすことのない若々しい朝の光も、若いふたりの顔には寛大だった。
(ケッセル『昼顔』三、堀口大學訳)
二〇二一年十三月十二日 「断章」
シャルロットが、同情して、
──あの畜生みたいな男の相手をして、さぞ困ったでしょう?」とたずねても、セヴリーヌは答えずに、かえって、熱っぽい笑いを見せた。アナイスの家の女たちは驚いてお互いに顔を見合せた。彼女たちは今、昼顔がそのときまで、一度も笑ったことのないのに気づいた。
(ケッセル『昼顔』六、堀口大學訳)
二〇二一年十三月十三日 「断章」
教えたり説教したりすることは、元来、人間の力に余るのかもしれない、とリリーは思った(ちょうど絵具を片づけているところだった)。高揚した気分の後には、必ず失望が訪れます。だのに夫人が夫の求めに簡単に応じすぎるから、余計に落差が耐えがたくなるんですよ、と彼女は言った。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・8、御輿哲也訳)
二〇二一年十三月十四日 「断章」
それにしても、どう違うのだろうか? 夫人の魂、夫人の本質とはどのようなものか? たとえばソファの隅に落ちていた手袋を見て、その指のねじれ具合から間違いなく彼女のものとわかるような、そんな夫人ならではの特質とは何だろう?
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・9、御輿哲也訳)
二〇二一年十三月十五日 「断章」
もし神が現れたら、どうしよう? どんなものなんだろう? ぞっとさせられるような無限の姿、一つの顔、深い沈黙、一つの声、落ち着かせてくれるような優しい愛撫? 現れたとして、彼がいることに気づくだろうか? 気づかなかったら、無駄に、誤って死ぬことになる。
部屋の中は静まり返っていた、階下の町のざわめきが微かに聞こえてくるばかりだった。
(サバト『英雄たちと墓』第Ⅳ部・5,安藤哲行訳)
二〇二一年十三月十六日 「断章」
すべては偶然の産物だったのだ。
(フェリスク・J・パルマ『時の地図』第一部・8、宮崎真紀訳)
二〇二一年十三月十七日 「断章」
なにを書いてもいい、可能性は無限大なのだ。
(フェリスク・J・パルマ『時の地図』第三部・42、宮崎真紀訳)
二〇二一年十三月十八日 「断章」
あさましい、みじめったらしい、げんなりする、あわれっぽい。ありとあらゆる形容詞をつけてみるが、どれもぴったりだ。
(アーシュラ・k・ル=グイン『革命前夜』佐藤高子訳)
二〇二一年十三月十九日 「断章」
帰ってきたいのなら、前進を続けなくてはならない、というのが、『真の旅は帰還である』と書いたときの彼女の真意だった。
(アーシュラ・k・ル=グイン『革命前夜』佐藤高子訳)
二〇二一年十三月二十日 「断章」
「個人的には」と、ホーガン社長はいった。「わしは寄せ波にプカプカうかぶプラスチックびんを見るのが好きだ。よくわからんが、なんだか自分が永久に残るものの一部になったような気がする。きみに伝えてもらいたいのは、この感情だ。さあ、戻って短報の仕事を片づけろ」
(フレデリック・ポール&C・M・コーンブルース『ガリゴリの贈り物』朝倉久志訳)
二〇二一年十三月二十一日 「断章」
深い愛情の絆が必要よ。それは私には与えられない。自分が体験したことのないものを与えることはできないわ
(P・D・ジェイムズ『原罪』第二章・18、青木久恵訳)
二〇二一年十三月二十二日 「断章」
ジェラールに軽々しく扱われたのは、自分で自分を軽々しい扱いに値する人間にしていたからだ。
(P・D・ジェイムズ『原罪』第五章・63、青木久恵訳)
二〇二一年十三月二十三日 「断章」
美は批判力を堕落させる。
(P・D・ジェイムズ『死の味』第三部・4、青木久恵訳)
二〇二一年十三月二十四日 「断章」
「いや、シェイクスピアの再来かもしれない人間は、この劇団にはひとりしかいない。それはビリー・シンプスンだ。そう、小道具のことだよ。彼は聞き上手だし、どんな人間ともつきあう方法を心得てるし、さらにいえば心の内側にせよ外側にせよ、人生のあらゆる色と匂いと音をネズミとりのようにとらえる心をそなえている。それに非常に分析的だ。ああ、彼に詩の才能がないことは知っているよ。でも、シェイクスピアが生まれ変わるたびに詩の才能をそなえているとはかぎらない。彼は十以上の人生をかけて、劇的な形をあたえた素材のひとつひとつを集めたのではないだろうかね。寡黙で無名のシェイクスピアが、つつましい人生を重ねながら、いちどの偉大な劇的ほとばしりに必要な素材を集めたという考えには、なにかとても胸を刺すものがあると思わないかね? いつかそのことを考えてみたまえ。
(フリッツ・ライバー『『ハムレット』の四人の亡霊』中村 融訳)
二〇二一年十三月二十五日 「断章」
(…)じっさい、あの自画像はじつによく描けていた。ミッチェルが自分の楽しみのために好んで描くわけのわからない抽象画や、生計を立てるために描く陳腐なペーパーバックの表紙絵よりも、はるかに彼の好みに合ったのだ。あれは彼女が二十歳のときの作品で、父親へのバースデイ・プレゼントだった。彼はずっとそれが気に入っていた。それは写真ではとらえられない形で彼女をとらえていた。
(ジョージ・R・R・マーチン『子供たちの肖像』中村 融訳)
二〇二一年十三月二十六日 「断章」
(…)理由はわからぬながら、このワイルダー・ペムブロウクという男は彼のなかにいっそうの不信と敵意をつのらせていた。「自分のつとめを果たしているだけです」ペムブロウクは繰り返した。
それでもやはり、意識の形をとらぬ理由から、コングロシアンは相手の言葉を信じなかった。
(フィリップ・k・ディック『シミュラクラ』13、汀 一弘訳)
二〇二一年十三月二十七日 「断章」
私は私自身を集めねばならんのだ
(フィリップ・k・ディック『シミュラクラ』14、汀 一弘訳)
二〇二一年十三月二十八日 「断章」
ジョンは引き返した。通路の中央を埋める岩は、かなり大きいが、経験のない彼の目には、異常なものとは見えなかった。彼は、その一つを取って、黄麻布の携帯嚢に入れた。灰色な斑点の群れが銀色に閃いたと思うと、また灰色に戻って、安全な距離をとりながら整然とした列を組んで浮かび、彼を慎重に観察した。たがいに正確な感覚を保っていて、またもや彼が近づくと即座に散って、彼の視野の外れでふたたび隊列を組み直した。彼らの泳ぎの正確さには、驚嘆すべきものがあった。そういう通常の事柄においては、数学がきわめてエレガントに見える、と彼は思った。どうやって自然は、引っ張る流れに対する魚の距離を指定し、どういう尺度で彼が近づきすぎたことを肴に教えるのか? それが、彼を数学に引きつけたものだった。それが深淵だからではなくて、目に見えない現実に探りを入れるからだった。人々は数学が世間離れしていると言い、アインシュタインが正しい銭勘定もできないと騒ぎたてる。とんでもないことだ。」アインシュタインは、関心がなかっただけのことだ。アインシュタインに興味があったのは、深遠で美しいものだったのだ。
(グレゴリイ・ベンフォード『時の迷宮』上巻・第二部・6、山高 昭訳)
二〇二一年十三月二十九日 「断章」
ときどきティンセリーナは、留守番電話のメッセージのようなしゃべりかたをすることがあります。あまり何度もおなじ言葉をくりかえしたので、意味を忘れてしまったかのように。
(トマス・M・ディッシュ『いさましいちびのトースター火星へ行く』朝倉久志訳)
二〇二一年十三月三十日 「断章」
足音がジャーミン通りをゆっくりと近づいてきた。そしてはたと止まった。パワーズ船長は目くばせをし、シオフィラス・ゴダールはわずかにうなずいた。足音はまた聞こえ始めた。道路を渡ってキーブルの家のほうに向きを変えた。
(ジャイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』1、友枝康子訳)
二〇二一年十三月三十一日 「断章」
優れた詩のようにこの夜のできごとは彼らの解いた以上の疑問をかき立て、またその謎のベールをはぎとった。
(ジャイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』2、友枝康子訳)
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作成日時 2023-12-03
コメント日時 2023-12-03
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2024/11/21 22時38分34秒現在
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