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兜率天
ゲートマティの都市の夜を僕はひとりで歩いていた。 都市は、金、銀、玻璃、瑪瑙、琥珀、珊瑚、真珠でできていて、つめたいようでもあたたかいようでもある。 風鈴と、風で鳴る金属の調べが、ふと耳に聞こえてくる。 あなたに会いたい、と願えば会えるようなそんなのぞみで何年も過ごしていた。 並木があり、その木の間に川が流れ、泉がある。それら水を掬えば先の七宝だ。 この不夜城から、原付バイクを飛ばし郊外に向かうと、もう農家は稲の収穫をしていない。 人は、木に実る果実を食べていればいいから、労働していない。 ただ、朝焼けのひかりの中、集まって座り、話をしているだけだ。 食べること。排泄すること。老いること。 それだけが私たちのすることで、例えば、僕が清められたこの白い砂利道に小便をする。 すると自然、地が盛り上がり、全く、その地を清浄にして、すっと花が咲く。 その花の薫りで臭いは消える。 一室で目覚めた。 もし死ぬことが許されたなら、あなたへ自由に会いに行くことができる。 として、僕は自ら死のうとは思わない。 お遍路をするか迷っていた10年でした。 パンフレット、関係ホームページのコピー。 資金調達。結局、60になれたら、小豆島でお遍路をする。したい。って、いつか、あなたへ告げた。 空海は荼毘にふされた筈だけど、今でも生きたままの姿でいる。 僧侶は、毎日、空海に食事を運んでいる。 出した食事を空海に食べられるのだろうか?出したものが減っていたらいいな。 嬉しいような。嬉しいよ。 五十六億年七千万年後。 僕は蘇えり、悩みはない。 死んだことで、一切の悩みは清算されている。 しかし、もろもろのすべてが、途端すべて変わってしまうことは怖ろしい。 地震って、昔は震える、の字じゃなくて新しい、の字をあてたんだ。 破滅があり、新しくなる。 ゲートマティの都市の夜、その明るくも、暗くもない場所で、パチパチする電灯を眺めて立ちすくんだ。 また一日、煙草の煙を肺に入れなかった。 煙草の煙を肺に入れるから苦しかったんだって気づいていた。 弥勒は、釈迦がズルをしたから、ここに引き上げたのだって。 でも、今、どこにでもいるだろ。そしていま、海の匂いがしているよ。
兜率天 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 496.8
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-12-01
コメント日時 2023-12-05
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
慈しみに宿る今を繰り返して、だれしもひとりで歩んでいく。何処にもないところへ、思いを引きずりながら、繋がれていく。振り返るのか、思い巡らすのか。今、不自由なユートピアとして、あなたは臨んでいる。近い未来、理想の世界としての望みを抱き 書か得るこれら。
1お遍路や空海のところが印象的でした。弥勒と仏陀のエピソードも。輪廻転生と言うか、黄泉返り見たいな、生き変り詩に変わりして打つ田かなと言う俳句ではないですが、仏教概念が私性の侵入を許さない、厳しさを思っているのだと思いました。
1こんばんは。 返詩・・・でしょうか。返詩にも読める美しいコメント、ありがとうございます。 その、書いた時には感じなかった苦み。 それをじぶんで読みかえして認めることができましたよ。 これが滋味、というのでしょうか。 わかりません。 さいきんやっと昔を振り返ることが多くなりました。 いつも逡巡して、ひとり歩いていたな、と思います。ありがとう。
0こんばんは。 仏教というのは、特に日本仏教においては、簡素化した「わび・さび」に通じるものが あるとして、まあ、それが線香臭さと言われたりしますが その本懐は印度、天竺にあるとして、その芳醇な世界観は確かに私性の入る余地を削ぎます。 しかし、詩、というのは、言、に、寺、と書きますね。 その、日本仏教になってしまう前の、本懐、天竺の仏教を探ること この一面も、私の詩の道として残しておきたい気持ちがあるのですね。 感謝。ありがとうございます。
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