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儚さとしての羽ばたき
3ヶ月ほど前、僕はこの作品に次のようにコメントした。 "「美しく蒼い蝶が 羽ばたき出す」 という冒頭の表現が、何気ないようでいて、この作品の肝なのかなと思いました。恋は始まりを告げる鐘の音のようなものに促されて始まったのではなく、ほかでもなく2人の胸の、その密やかな静けさの 只中でこそ始まったのだということ、それがごく短く、美しく表現されているー僕はそう読みました。 ただ、それだけに、その後に続く表現には、少しありきたりなものを感じてしまったことも事実です。冒頭の神秘的なイメージを、もっと追求しても良かったのではと、そう思いました。" しかし、今回再読し、このコメントは明らかに僕の浅はかな読解からのものであったと、そう頭を掻く思いがしている。"冒頭の表現が、何気ないようでいて"という出だしから躓いている。タイトルの内容がそのまま冒頭に置かれている―その時点で、これこそが肝であるとアナウンスされているようなものだ。 ただ続きの部分は、その肝がいかにして肝たり得ているのかということを、それなりに捉えることができているのではないかと思う。「ブルーモルフォ」は、恋というものの始まりの、その密やかで静謐でありながら、しかしどこまでも夢想が空へと羽ばたいてゆくような、そんな神秘的ともいうべき抒情がブルーモルフォ(蒼い蝶)に託されている―そんな象徴的な作品であると言えるだろう。 問題は最後だ。「ありきたり」と、そう僕は書いてしまった。しかし再読したいま、僕はありきたりと感じた僕の感性こそがありきたりだったと悟った。 読み手に瑞々しい印象を与えるためには、イメージを膨らませることは絶対的な条件ではない。逆に言葉足らずなくらいの方が、かえって行間からえもいえぬ抒情が立ち昇ってくるということだってある。この作品が志向しているのが後者であるのは、言うまでもないように思う。 "永遠を語り合いたいと想える"とのラストは、一見何気ない終わり方に見えるかもしれない。しかし耳を澄ますならば、そこには寄せては返すさざ波の音も、海辺を歩く2人の頼りない足音も聴こえている。そのさなかで2人は―おそらくは空や海を見やりながら―永遠に想いを馳せる。 ここには単なるハッピーエンドではない、有限である人という存在の、その根源的な哀しみのようなものの放射がある。2人が広大な世界を眼差すほどに、その眼差しにかえって無常を想い起こさずにはいられない―そんな逆説が、ここにはある。 この作品には、冒頭の羽ばたきという美しくもどこか頼りないビジョンから、一貫して儚さというものが、きらめきや希望の裏側に張り付くように流れているのであり、その2つのテーマが、ついには壮麗な情景の最中で交接するところにこそ、この詩の真のドラマは―美しく力強くももの哀しいドラマが―あったのだ。
儚さとしての羽ばたき ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 462.4
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作成日時 2023-11-24
コメント日時 2023-11-24