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孤独に居直る(プチエッセイ)
ときには孤独に居直ることも必要だと、改めて思う。 ずっと1人でいる孤独もつらいけど、みなが和気あいあいとしているなかでの孤独は、もっとつらい。なんというか、あたかも自分の価値というものが挑戦を受けているような、そんな切迫したものがある。 まったくの孤独というわけじゃない。一対一で話し合える同僚が数人いてくれている。けれど中心的なキャラでいられない自分が不当に貶められているような、そんな感覚が抜けきらないでいるし、話すつもりの同僚が他の同僚に取られていて、騒がしい休憩室のなかぽつんと1人になったりするときなど、言いようのない寂寞に囚われたりする。 でもだからといって、無理にみなとワイワイしようとは思わない。勝手と言われたら、それまでなんだけど。 思うに、そこには自らの価値を自分で下げに行くような、そんな哀しみがある気がするのだ。まして落ち着いて話をするのが好きな僕だから、尚更だ。それは意地を張っているということなんだろうか?。僕としては、ただ自分自身であろうとしているだけだと、そう言い張りたい。 自然な自分でいるその延長に、友人や恋人ができるような、僕がしたいのはそんな生き方だ。そもそもの自分の自然として、孤独というものを捉え直せたら。 今日から君は、「大人しいけれど実直な男」だ!―決めつけというものの評判は悪いけれど、開き直るためにも、そうやって自分を"、その本性において"そう悪くない孤高キャラ"なのだと、そう(ある程度)固定して捉えることもまた、いまの僕には必要なのかなと思う。あくまで「そう悪くない」と、過大でもなく過小でもない、淡々とした自己イメージを保持すること。そこを始点として、緩やかに自分を人へと開いていけばいい。ゆっくりと、緩やかに。 自然な孤独に、実直な男―この2つのキーワードを胸に、数少ない語らいに感謝しつつ大切にしながら、(あまり)関係しないという関係を受け入れる、そのクールネスを磨いていければと思う。 人と人のあいだにはつねに、幾ばくかの風が吹いている。無関心という名の。だけどそれが冷たいか涼しいかを決めるのは、結局のところ自分自身なのだろう。 語らいとは、ほかでもなく暖を取ること。弱く健気な1人の人間として、涼と暖のあいだにひっそりと住まおうじゃないか。
孤独に居直る(プチエッセイ) ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 548.7
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-10-02
コメント日時 2023-10-03
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
1年ほど前に「詩人たちの小部屋」に投稿したものを改稿しました。
0こんにちは。 他の作品で、たぶん、雪月さんが僕の一つ、二つ上ってのがわかったんですね。 その今、自分は休養中でして、妻がいるのですけれど、もともと孤独癖?があって わりと一人平気なのですけれど、それが随分つづくと発作的に人恋しくなります。 そうして、まあこのエッセイはある特定のコミュニティの風俗風景が挿入されているの ですけれど「へぇ、こんな気持ちになるんだ」と何か学んだ、といいますか、感じましたね。 それと、雪月作品に於ける、なんだろう、それは話者の自意識になると思うんですけれど 自意識を思考、分析しているから、書けるのであって、有意義なことしてる! と言いたいです。
0こんにちは。 「自然な孤独に、実直な男」。 何だか高倉健が演じていた役みたいだなと思ってしまいました。(つい最近「鉄道員」と「ブラック・レイン」のDVDを視たのでそんなふうに感じてしまいました。) 全く見知らぬ人ばかりの群衆の中での孤独よりも、ある集団に属していながらその中で孤独を感じることのほうが辛いですよね。 その辛さを撥ね返して孤高を貫くほどの強さは私にはないのですが、「そもそもの自分の自然として、孤独というものを捉え直せたら。」という一文を読んで、なるほど、そういう考え方もあるのかと気付かされました。 おそらく本当は孤独にはメリットもデメリットも両方あるのに、今のこの社会ではデメリットの方ばかりに目が向いているような気がします。 やはり何事もバランスを取ることが肝要なのでしょう。 末尾の「弱く健気な1人の人間として、涼と暖のあいだにひっそりと住まおうじゃないか。」というのは、突き詰めればそういうことなのかなと、そんな気がしました。
0僕も1人好きなので、いたく共感させていただきました。なんというか、基本1人でいたいからいつも一緒は嫌だけれど、定期的に濃密な時間を人と過ごさなきゃやだ、寂しくっと仕方がなくなる、だから月1でガッツリ遊んでくれ、みたいな、ちょっと都合のいい感じですね、僕は(笑) 僕の作品群を肯定してくださり、嬉しいです。実は最近、「詩人たちの小部屋」にて書いてきた、いまは非公開の過去作を見直し、そしてそれらを(ほとんどが)「深掘りしているようでこじらせているだけの」作品群と総括して、もう自意識系の詩作からは離れよう―そう半ば決意したところだったんです。 でもそんな延長上で書いてきたここの作品群を改めて評価していただき、こじらせたものでも誰かに確かに届き得るのだ、ということに、しみじみと感じ入っている次第です。 今後は、やはり軽い作風を志向しつつも、書かざるを得ないほどの切迫を感じた折には、自意識にしかと向き合って掘っていく―そんな按配の下、詩作を続けていければと思います。
1末尾の表現は、改稿時に閃き、上手くまとめれた感じだなと思った表現なので、含意を汲み取ってくださりうれしいです。 本当にm.tasakiさんの仰るとおりで、少なくとも僕の場合、ずっと1人でいても、絶えずみなと交わっていても、ともに自分が何か惨めになってしまうんです。だからこそ、自分にとって最適なバランスを見つけなくちゃならない。 無関心という名の冷を、ある程度意識的に涼(≒放っておいてもらえることの心地よさ)としつつ、適宜暖を取りに行く(語らいに行く)必要がある。しかしまさにそのバランスが難しい。 "ひっそりと住まう"に僕は、孤独を基調とするそんな在り方において、まさしく孤独にふさわしい「自然な静けさ≒和やかさ」を保っていられるようにという、そんな願いを込めました。
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