二〇二一年八月一日 「断章」
かれがおれの体内に横たわっているうちに、そのアイデンティティは永久に消滅していった。かれを二度と解放するつもりのないことはわかっており、かれの真実の飛行は、今やこのリムジンのバックシートに腰をおろしたおれの体内の大空でおこなわれていた。若者の自我の最後の微塵が、今日の午後すでに体内にとりいれた三人の子供たちのかすかな叫び声を追って、おれの脊柱の薄暗い通路をくだっていきながら、おれの血液の暗いアーケードのなかに消え去っていった。
最後の数秒間、かれの肉体にまたがってその最後の夜にかりたててゆくと、かれはおれの体内に舞いあがった。その体にまたがりながら、おれは複数の性器を具有したアンドロギュノス、この若者の肉体に力づけられた天使のごとき姿と化した。自分の体を抱きしめて、同時に体内の若者の体を抱きしめた。
(J・G・バラード『夢幻会社』29、増田まもる訳)
二〇二一年八月二日 「断章」
またしても、おれは自分が降臨暦になったような気がしていた──これらの郊外の人々を彼方の真実の世界に入れてやるために、おれは顔の扉を開き、心臓の欄間をぱっと開放したのである。すでにおれは自分がただの神でなく、他のすべての神々に超越する最初の神、唯一神格ではないかと思うようになっていた。他のすべての神々は、このおれの粗末な先行者、不細工な暗喩にすぎないのではないだろうか……。
(J・G・バラード『夢幻会社』31、増田まもる訳)
二〇二一年八月三日 「断章」
客観的な決定不可能というものが考えられる。換言すれば解決不能の問題だ。しかしほんとうに、解決不能の問題なんて存在しただろうか? それは想像してみることはできるけれど、一見して解決不能という場合はどれも、むしろ立論の仕方が正しくなかったり、あるいはデータ不足だったり、それともその両方だったりしたせいじゃなかったのか?
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)
二〇二一年八月四日 「北爪満喜さん」
北爪満喜さんから、同人詩誌『ハルハトラム』第3号を送っていただいた。北爪さんの詩、使われている言葉はさしいのだけれど、内容が難しい。ぼくも、むかし、大岡 信先生に、そう言われたことがある。 https://pic.twitter.com/TD3yqW4fU7
二〇二一年八月五日 「断章」
問題は、前述したとおり、誤った立論あるいはデータの不十分という場合にのみ解決不可能である。(…)後者は前者を限定するのに対して、前者は後者を限定することがない。すなわち、データの不足は正しい立論だけではなく、問題に対するどのような立論であろうと、不可能にするが、反対に誤った立論がデータの不足をもたらすことはない……。
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)
二〇二一年八月六日 「廿楽順治さんと荒木時彦くん」
『ウィリアム・テン短篇集1』のさいごの短篇がつまらなくて、読むのに4日か5日かかっている。きょうじゅうに読めなかったら、もう読むのやめよう。ウィリアム・テンって、ぼくのなかではおもしろいと思っていただけに、こんなにつまらないなんてびっくり。
さいごの11作目は、「男性の反乱」アメリカが舞台。男性優位主義者たちが世間を騒がせる。議席も取っていく。しかし、さいごは敗北する。男性は男性らしい服装を、ということで、あそこのところにコッド・ピースをつける。ばかばかしい物語だった。風刺のつもりなのだろう。
きょうから寝るまえの読書は、『ウィリアム・テン短篇集』2の再読だ。1が、あまりおもしろくなかったので、そう期待はしていないが、本棚に残しておいたものだから、どこかによいところがあったのだろう。 https://pic.twitter.com/hrXfnIDGUq
廿楽順治さんから、同人詩誌『Down Beat』第18号を送っていただいた。廿楽さんの詩、相変わらず、うまいなと思った。 https://pic.twitter.com/Pigdzv7wJe
荒木時彦くんから、詩集『(Aの一日)』を送っていただいた。断章形式の散文詩だ。わかりやすい。 https://pic.twitter.com/Qa4l5j0Bj8
二〇二一年八月七日 「断章」
何だか、データは問題の立て方によるとでも考えたくなって来たぞ、その反対ではなしに(少々前と矛盾したことを言ってるとしたって構うものか)。とんでもない、問題の立て方どころか、まさに解決そのものによるんだ! 解決の予測を立て仮定を試みることによって、初めてそのためのデータが明らかとなり、如実に精神に浮かびあがって来るのだ。ということは、もしかすると、問題の解決は論理に、少なくとももっぱら論理だけに委ねられていてはならないということになりそうだし、さらに面白いことには、手短に言うならば……
(トルマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)
二〇二一年八月八日 「弟」
ノサックの『弟』、本棚にあった。このあいだ探していたのだけれど、そのときには見つからなかったのだけれど。でも、いつ読み直すのかは未定。
https://pic.twitter.com/Kq3dVOQq32
二〇二一年八月九日 「こひもともひこさん」
@kohimon お読みくださり、ありがとうございます。誤字などのご指摘もくださり、ほんとうにありがたいです。いまから直しに行きます。
@kohimon お読みくださり、ありがとうございました。西脇順三郎と金子光晴、ついつい夢中になって読み込んじゃいました。
晩ご飯、どうしようかなって思って、マックと出てきた。身体に悪いものが、おいしいんだよね。
二〇二一年八月十日 「断章」
芸術と同じく、茶にもその時代と流派とがある。茶の進化は概略三大時期に分けられる。煎茶(せんちや)、抹茶(ひきちや)および淹茶(だしちや)すなわちこれである。われわれ現代人はその最後の流派に属している。これら茶のいろいろな味わい方は、その流行した当時の時代精神を表わしている。と言うのは、人生はわれわれの内心の表現であり、知らず知らずの行動はわれわれの内心の絶えざる発露であるから。孔子いわく「人いずくんぞ廋(かく)さんや、人いずくんぞ廋(かく)さんや」と。たぶんわれわれは隠すべき偉大なものが非常に少ないからであろう、些事(さじ)に自己を顕(あら)わすことが多すぎて困る。日々起こる小事件も、哲学、詩歌の高翔(こうしよう)と同じく人種的理想の評論である。
(岡倉覚三『茶の本』第二章、村岡 博訳)
二〇二一年八月十一日 「郡 宏暢さんと岡崎よしゆきさん」
郡 宏暢さんから、同人詩誌『unedited』の第2号を送っていただいた。郡さんのエッセイ「わたしたちの「故郷」について」が考えさせられるものだった。亀井勝一郎と坂口安吾の考えの違いについて述べられているのが対照的で面白かった。 https://pic.twitter.com/dRyZLSIwnk
岡崎よしゆきさんから、詩集『テラリウム』を送っていただいた。現代詩的な抒情性にあふれた詩篇ばかりだった。読んでいて、つまるところなく解釈できた。 https://pic.twitter.com/Ce7voTsdnm
二〇二一年八月十二日 「囮(おとり)のアレグザンダー」
『ウィリアム・テン短篇集』2の1作目は、「囮(おとり)のアレグザンダー」まだ宇宙空間に飛行もしていない時代の物語。月に放射性物質があると発表されたとたん、各国は月に辿り着けるよう宇宙開発を急いだ。行ってみれば放射性物質などなかった。宇宙開発を急がせるデマだったのである。
2作目は、「最後の任務」地球に似た、ある惑星に到着した宇宙飛行士たちが出合ったのは、第4次元生物だった。それらは地球人を殺した。生き残ったのは船長ひとり。それがさいごの宇宙偵察隊の任務になった。
3作目は、「彼女は夜しか外出しない……」ルーマニアの貴族の子孫である女性は吸血鬼だった。その吸血鬼に惚れた男がいて、彼女も男に惚れていた。男の父親は医者だったので、人工血液を買ってやり、彼女はそれをオン・ザ・ロックにして飲むことで、人間を犠牲にしなくてすんだ。
二〇二一年八月十三日 「私の母は魔女だった」
4作目は、「私の母は魔女だった」隣近所に住む女は、みな魔女だった。主人公の少年が年配の魔女に呪いの言葉をぶつけられると、少年の母親は対抗魔術で負かせてしまう。
二〇二一年八月十四日 「長田典子さん」
長田典子さんから、詩集『ふづくら幻影』を送っていただいた。ひとつひとつの作品が短篇小説のようで、わかりやすい文体で描かれていた。語彙も豊かで、長田さんが育んでらっしゃった言葉の過程を想像すると、長田さんの人生の豊かさを思い浮かべてしまった。 https://pic.twitter.com/mmnmhjzUDA
二〇二一年八月十五日 「有吉篤夫さん」
有吉篤夫さんから、詩集『定本 神への愁い』を送っていただいた。言葉が屈折することなく、するすると自然にこぼれ出たような印象をもった。難解なところはまったくなかった。清潔な言葉のもつ力を感じた。 https://pic.twitter.com/23opLA9XZn
二〇二一年八月十六日 「断章」
筆者の考えでは、わかるとは運動化出来ることです。
わかっていることは運動に変換出来ますが、わかっていないことは変換出来ません。
運動と言われるとピンと来ないかもしれませんが、話すのも、文を書くのも、絵をかくのも表現活動はすべて運動です。行為(発話行為、書字行為など)という別の言葉を使いますが、要するに運動です。
(…)
(…)しっかりした心像を形成出来れば、それはそのまま運動に変換出来るということです。人間の心はそういう仕かけになっているのです。
絵に限りません。すべての心理活動は同じ原理で動いています。
きちんとわかったのか、わかったと思っただけなのかは、一度その内容を自分の言葉で説明(表現)してみると、たちまちはっきりします。表現するためには正確にわかっている必要があるのです。ぼんやりとしかわかっていないことは、自分の言葉には出来ません。説明しているうちになんだかあやふやになってしまいます。あるいはごまかしてしまいます。わかったように思っただけで、実はたいしてわかっていなかったことがわかります。それに対して、ちゃんとわかっていることがらは自分の言葉で説明することが出来ます。(…)
(…)
(…)表象は知覚に近い現象に思えますが、実は知覚─運動変換を省略したものですから、運動するのに大切な要素がふくまれています。身体運動という形では外に現われていませんが、いつでも運動につなげられる仕くみになっているのです。
(山鳥 重『『わかる』とはどういうことか』)
二〇二一年八月十七日 「道化師」
5作目は、「道化師」ギャグを作ることのできるロボットの話。人間はそのロボットのマネージャーになっている。
二〇二一年八月十八日 「海東セラさん」
6作目は、「混乱貨物」ヴィスコディウムとかいう物質について書かれてあるが、なにを読んでいるのかいっさいわからない。物語は目出度し目出度しで終わるものの読んだ記憶がまったく残らないシロモノだった。
7作目は、「金星は男の世界」女性優位の地球人が、男性優位の金星人と出合うところを描いた作品。SFらしさなど見かけほどしかないシロモノ。ウィリアム・テンへの評価は下がりっぱなし。読むの退屈。しかし、あと4分の1くらい。読むことにする。
海東セラさんから、詩誌『ピエ』窓特集号を送っていただいた。セラさんの「そこまでの距離」つぐみがでてくる、かわいらしい作品だった。
https://pic.twitter.com/p3rL5B20zK
二〇二一年八月十九日 「領事」
8作目は、「領事」火星人に拉致された2人の男の話。火星人は地球人の5倍ほども進歩しているらしい。拉致された2人のうちひとりは地球に帰された。火星に残されたひとりは、地球人が火星に行くことができるまで火星に引き留められているのだという。これもつまらない作品だった。
二〇二一年八月二十日 「レモン緑と、/スパゲッティー音声と、/ダイナマイト・ドリブルの一日」
@rr0101kt お読みくださり、ありがとうございました。人生では、ささいなことほど重要なことはないと考えています。こまかいところに、とらわれてしまいます。
さいごの9作目は「レモン緑と、/スパゲッティー音声と、/ダイナマイト・ドリブルの一日」水道水に高濃度のLSDが入れられたのか、ある日のニューヨークは、しっちゃかめっちゃかになっていた、というお話。SFでも、なんでもないつまらない作品だった。ウィリアム・テン、もう読み直しはしない。
きょうから寝るまえの読書は、なににしよう。本棚に残していたウィリアム・テン短篇集がとてもつまらないものだったので、どうしてだろうと思っている。かつておもしろいものだったと思っていたものがつまらないと思うようなものになってしまったのか、たまたま間違って本棚に残していたのか。
表紙がレトロで、かわいらしいので本棚に残していた、レイ・ブラッドベリの短篇集『ウは宇宙船のウ』を読もう。読んだのが、むかしすぎて、目次を見ても、さっぱり思い出せず。記憶力の低下がはなはだしい。 https://pic.twitter.com/rBC8hh6MjI
@pied2020 生活のなかでの一瞬を言葉にしてしまうのが詩人なんでしょうね。
二〇二一年八月二十一日 「俳句もどき」
千と一ページの本を閉じて眠りたり
牛の首くくりたる綱もちたり
天から堕ちたそんなばかげたこと知りたるか
恋すれば貧すれ貪すれ日焼けする
蟻にがんばってと声をかけがんばる
二〇二一年八月二十二日 「「ウ」は宇宙船の略号さ」
1作目は、「「ウ」は宇宙船の略号さ」宇宙船に乗員として乗るのが夢の15歳の少年が主人公。成績が飛びぬけてよいので、アカデミーに入ることが決まった。しかし、アカデミーに入ることができても全員が宇宙船乗りになれるわけではない。厳しい競争が待っている。
2作目は、「初期の終わり」息子が宇宙船で宇宙ステーションに向かうところを、庭の芝刈りをしながら地上から眺めている夫婦。
二〇二一年八月二十三日 「2回目のワクチン接種」
あしたは大阪に。2回目のワクチン接種で。1回目の副反応がひどかったので心配。
二〇二一年八月二十四日 「2回目のワクチン接種」
ワクチン接種2回目の副反応出まくり。まず、風邪を引いたかのような悪寒がして、布団2枚かぶって横になっていた。それから夕方に熱が出て頭が痛かった。頭痛止めを2錠のんだ。いまもまだ意識がしっかりしておらず、横になっとく。
@lzSbTWvooJWritQ まだ熱が下がりません。
@rr0101kt ひどい状態です。
@may_kimiko_k 病気になってる感じ。すごい熱です。
@may_kimiko_k 解熱剤はあります。からだがだるいですね。着替えもまともにできません。
夜になって、ずいぶんと好転した。頭痛もなく、熱もない。ただ腕の注射したとこらへんの筋肉が痛いだけ。
@rr0101kt ありがとうございます。抗体をつくってくれていると思います。
二〇二一年八月二十五日 「霧笛」
3作目は、「霧笛」恐竜が灯台のところによってきて、霧笛に似た声で呼応する。
@ekaba62 あとは筋肉痛だけやね。
4作目は、「宇宙船」宇宙船に乗るお金を貯めていたスクラップ工場の社長がいたが、ひとりしか行けないお金だった。宇宙船の実物大の模型のスクラップを買う。それに子どもたち5人を乗せて、宇宙旅行に出かけるふりをする。子どもたちは喜んでいた。妻は夫に「あなたは世界一の夫だわ」と言った。
神は言葉っていうけど、言葉が神なんだって思う。でも、ここで、言葉にならなかった気持ちや情景はなんだったんだろうなって思った。言葉にしたものなんて、一生の間の出来事や気持ちの何分の1なんだろう。しかもその言葉にしなかったもののほうが大切なことがいっぱいあったことに気づいた。
二〇二一年八月二十六日 「宇宙船乗務員」
5作目は、「宇宙船乗務員」父親が宇宙飛行士で、地球に戻っては宇宙に行きを繰り返していた。それを嫌がっていた母親と、乗組員になりたいと思っていた息子がいた。息子は父親に乗組員になるなと言われる。父親はこれでさいごの宇宙飛行だと言って出かけるが、宇宙船は事故に遭って父親は亡くなる。
@saginuma_2012 お読みくださり、ありがとうございました。
二〇二一年八月二十七日 「太陽の黄金のりんご」
6作目は、「太陽の黄金のりんご」太陽エネルギーを利用しようとするのだが、失敗した。
7作目は、「雷のとどろくような声」タイムトラベルもの。バタフライ・エフェクトを扱ったもの。西暦2055年から6000年むかしにさかのぼってタイムトラベルした。一行のひとりが一羽の蝶を踏み殺したおかげで、未来が変わってしまったというもの。
8作目は、「長雨」金星は降りやまぬ雨。雨のなかを3人が人工太陽ドームを探して彷徨う。ひとりは気が狂って仲間に撃たれて死ぬ。仲間を撃った者も途中であきらめる。動かずに留まる。3人目の男だけがあきらめずに人口太陽ドームに辿り着くことができる。
二〇二一年八月二十八日 「亡命した人々」
9作目は、「亡命した人々」ポオやアンブローズ・ピアスやディケンズなどの文学者たちが出てくる作品で、宇宙船が火星に到着すると、文学者たちの作品とともに作者たちも姿を消す。シェイクスピアのマクベスに出てくる魔女たちの呪いの言葉とともに。
二〇二一年八月二十九日 「この地には虎数匹おれり」
10作目は、「この地には虎数匹おれり」ある惑星に着陸した宇宙船があった。その惑星のとりことなった乗員がいたが、船長は惑星を出る決意をする。
11作目は、「いちご色の窓」火星にきた一家の物語。夫は火星にいつづけたいと思っている。妻は地球に帰りたいと思っている。夫は地球から思い出の品物を取り寄せて、妻を説得しようとする。
12作目は、「竜」鎧をまとった騎士がふたりいた。竜退治に出たところが、ひとりは竜に引き裂かれた。竜の正体は蒸気機関車だった。
13作目は、「おくりもの」クリスマスの夜に火星に行く夫婦とひとり息子。クリスマス・ツリーのかわりに、光り輝く光を見せてやるという話。
二〇二一年八月三十日 「断章」
しばらく横になって休んでいたが、物音が聞こえてきたので、起き上がって中庭に面した廊下の窓のところまで行った。中庭には、月やその他の光が照り映えていた。そのとき豊かな水をたたえた噴水が目に入ったが、それはまるで彼女が現われるのをじっと待っていた顔のように思えた。最初は、石造りの噴水が黒ずんだ顔で、水がきらめく視線のように見えたのだ。けれども、見たところ水はいかにも邪気がなさそうに思えた。その水を目のなかにおさめると、揺らさないようにそろそろベッドに戻った。つぎの日の夜は物音は聞こえなかったが、やはりベッドから起き上がった。水はひどく少なくなっていて濁っていた。前日と同じようにベッドに戻ったが、その日もやはり水が自分の様子をうかがっているような気がした。ただ今日は、昨日とちがい水面に浮かんでいる枯葉のあいだからじっとこちらを見つめているように思われた。マルガリータ夫人は目の奥にたたえた水を見つめていたが、その様子はまるで水と夫人がたがいに見つめ合っているようだった。眠りかけたときに、それが自分の魂からくるのか、水底からくるのか分からなかったが、一種予感のようなものを感じたのは、おそらくそのせいにちがいない。しかしその一方で、誰かが彼女に自分の意志を伝えようとしていて、水のなかにこっそりメッセージをしのばせたようにも思えた。だからこそ、水が執拗に彼女を見つめ、さらに自分のほうを見つめさせようとしていたのだろう。夫人はベッドから起き上がると、裸足のまま不安そうに部屋のなかや廊下を歩きまわった。けれども、明かりをはじめなにもかもが一変していた。まるで夫人のアルキまわる空間が、誰かの指図でべつの空気とべつの意味をそなえた事物で埋め尽されたように思われた。夫人はもう水を見ようという気にはなれなかった。(…)
(フェリスベルト・エルナンデス『水に浮かんだ家』平田 渡訳)
二〇二一年八月三十一日 「霧と炎」
14作目は、「霧と炎」放射能のせいで、一生が8日間しかない人類の話。その惑星では昼と夜の寒暖差がひじょうに大きく、太陽が昇っているときには焼き焦げ、夜になると凍えてしまうのだった。主人公は、苦労して宇宙船のところまで行き、仲間を助けに戻る。宇宙船のなかでは寿命が飛躍的に伸びる。
15作目は、「タイム・マシン」大佐のところに行って、昔話を聞く。老大佐がタイム・マシンってこと。
さいごの16作目は、「駆けまわる夏の足音」テニスシューズをはいた少年に荷物を運んでもらう話。SFではなかった。
同人詩誌『妃』第23号を送っていただいた。大勢の多彩な顔触れに圧倒される。ブックレビューも載っていて、詩誌として充実しているなあと思った。
https://pic.twitter.com/Frb2vwKqcH
きょうから寝るまえの読書は、『世界SF全集 第33巻 短篇集 ソ連東欧篇』の再読だ。これまた1作も思い出せず。物忘れが激しい。さらっぴんの本を読むようでお得だが。 https://pic.twitter.com/1pBg8N3122
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作成日時 2023-10-01
コメント日時 2023-10-01
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2024/11/21 23時58分37秒現在
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