別枠表示
わからないものはわからない
わからないものが数多ある わからないものが溢れている その闇に溺れていく じっと目を凝らしても何も見えず ただ深い淵に沈んでいく わかるには限られた時 わかるには限られた力 その中で彷徨い続け 目の前の難解さに翻弄され 己を失っていく 弾性の欠いた己の視線に 感性は堪えきれずバーストする あらゆるもの全てを理解すること その不可能性に追いたてられ 去り行く光に手を伸ばしても どこにも届くことはない わからないものはわからない わからないまま受け入れる その勇気をいつになったら 持てるのだろう わからないものはわからないと 臆することなく 正面向いて言える日は いつになったら来るのだろう 先駆と多様には常に わからなさが伴走しているのだから わからないものの内に眠る 喩えようのない美しさが いつの日か 見えるようになるときが この身に訪れることを 秘かに願っている
わからないものはわからない ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1396.3
お気に入り数: 1
投票数 : 5
ポイント数 : 0
作成日時 2023-05-13
コメント日時 2023-05-21
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
---|---|---|
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
この頃は情報過多過ぎて何をどう取捨選択したらよいのか分からなくなる時が多いです。 ブラックボックスのようなものと共存するより他はないのかなと思います。 特に匿名性の高いネット上のコミュニケーションは疲れます。 コミュニケーション以前の問題に神経を磨り減らすことも多いです。 m.tadakiさんはいつも果敢に前線に立たれて、幅広く公平に接しておられるので少々お疲れ気味なのではないでしょうか。 そんな時は思い切ってネットを遮断することも必要かもしれません。 いつも公平な評なので、作品を読む前に参考にしています。 どうぞあまりストレスを溜めないように、ほどほどになさって下さい。
0コメントをありがとうございます。 また、お気遣いくださりありがとうございます。 以前の私は他人の詩をろくに読まず、自分の詩のことばかり考えていて、「自分が、自分が、」みたいな姿勢で詩を書いていました。 その頃を思い出すと恥ずかしさに襲われ、それをごまかすためにコメントを書いていたような気がします。 でも仰るとおり、最近少し疲れを感じることがしばしばあります。 やはりもう少しペースを落とした方がいいのかもしれません。 ご忠告ありがとうございました。
0コメントをありがとうございます。 すみません、この詩はこれでもだいぶ力を抜いたつもりだったのですが、それでもまだ力が入りすぎに感じられるでしょうか? なかなか難しいですね。 「誠実であろうとするところが違う」とはどのようなことでしょう。 例えば、今現在感じている自分の感覚に誠実であることと、未来に向けられた理想に誠実であることとの違い、あるいは、語意と語感とへの重心の置き方の違い、それとも語感への個人差や世代差みたいなことなのでしょうか。 と、ここまで書いて、こんなことをごちゃごちゃと考えていること自体が、肩に力が入りすぎということなのか、と思いました。 やはりもっと力を抜いた方がいいようです。 ご指摘ありがとうございました。
0感想です。「サンキュー!ミスター・レッサー」の言葉を先に。 身につまされる作品です。分からないことは分からないと言える勇気。あなたは持てますか? 問いかけてきます。私は清算主義です。しかしといって人間、頭の中と言えば宿題だらけ。 まるで共鳴する。現代をサバイブする為に必読の作品か?
0コメントをありがとうございます。 「清算主義」 経済用語ですね。 不況でも介入政策は採らず、それで潰れる会社は潰してしまうという考え方。 この文脈では、わからないものはわからないまま捨て置く、ということでしょうか。 確かに、下手に間違った解釈をするよりはその方がいいのかもしれません。 でも、自分がわからないものを他人がよく理解しているのを見ると羨ましく、また、自分だけ取り残されているような淋しさを感じてしまうのです。
1その通りです。バッシリ、語意を拾って下さりありがとうございます。 その、批評家で小林秀雄さんという方がいらっしゃいました。 この方は、私のような清算主義に走りませんでした。 いつまでも考えつづける、考えつづけること、納得まで落とし込む。 それが批評家という仕事を生んだ、確立したといえるでしょう。 しかし、私はビーレビューに携わりつつ、他に仕事を持っています。 その多忙な中で、問題を考えつづけるのが、うっとおしいわけです。 だから、これは出来ない、と思いました。 だから私のスタンスは清算主義なのです。といってそのうっとおしさを 丸ごと排することもできない。未徹底なのです。 だからこの作品に思うところがありました。それで一票なのです。
0コメントをありがとうございます。 ネガティブ・ケイパビリティ。 イギリスの詩人、ジョン・キーツの言葉ですね。以前、聞いたことはあったのですが、この詩を書いたときには忘れていました。 このネガティブ・ケイパビリティという言葉は現在、精神医療やビジネスの場でしばしば使われているようですが、このことを最初に唱えたのが、精神科医でもビジネスマンでもなく詩人であったことは、我々詩を書く者にとって、何か大きな意味があるような気がします。 この言葉を思い出させていただき、ありがとうございました。
1わからないものをわかるように書いている。大きい心から広いところに人が連れて行ってもらえますように。
0コメントをありがとうございます。 わからないものをわからないまま受け入れる勇気を持ちたいですが、それと同時にやはり、わからないものをわかるようになりたいという気持ちもあります。 そうなれれば、己の視野や世界が拡がるのですから。
0わからないものが闇と言う捉え方、深い淵でもある。限られた時、力。自己喪失。不可能性としての全ての理解。わからないものをそのまま受け入れる勇気。そして 「わからないものの内に眠る 喩えようのない美しさが」 美的な方向へ。カントの判断力批判を思い出すのですが、詩的な昇華でそれをやると言う事に意義が有ると思いました。
0