香しい緑の叢を吹き靡かせてゆく北の風
空の結晶が草の上に漂う開け初めた晩冬の朝
年若き岸辺の揺らぎをたしなむ川は
白い霧のなかに煌めいている
かつて晴れやかな碧の森の風のなかで
わたしにも神話の夏があった
水から霞みが浮き出るように心が芽生える季節に
その頃わたしは両手を開いた子どもだったが
空が凛々しく川を上るほんのり紅らむ空気のなかで
純粋な想いはあなたの白い首すじに揺れていた
あなたの可憐な一矢がわたしの心をかすめていた
それは美しいというより戯れのような愛だったろうか
あなたの青灰色にまばたく眸
眩い胸に長く浪うつ黒い鳥のような捲毛
その美しい肢体で木立ちと川の岸辺を歩く女神を
わたしは憧れの眼で見つめていると
薔薇の静脈はうっすらと剥がれ
ほんのりとあなたはうなじを朱に染めたのだ
わたしはあなたにすべてを捧げようとしたけれども
優しいあなたは美しい貝殻を鏤めた
雪のような手でわたしを抑えた
あなたは、まだわたしを愛してはいけないわ
わたしは紺碧の空に苦しみ
あなたの眼を見つめることを
死ぬまであなたを愛しますと
まさに朝の一時に誓う権利を溜息の谺に添え
与えてくれるよう神に願った
めくるめく時の流れは過ぎてゆき
あなたの露わな肩から山鳩の群れは飛び立ち
ある春の日、強欲な族長に迫られ閃く光のなかに姿を消したあなたに
わたしはすすり泣いていた
行き過ぎる微風にあなたはもういない
あなたは幸福は言わずもがな悲しみだけを残していった
神よ、なぜ
海を越えてわたしを運び、あなたのもとにそっと下ろしてくださらぬのか
蒼色の頃が永遠に去ってしまっても、なおあなたの麗しい夢は浮かび
思い出を呼び覚ますまでもない
青い水晶の上で輝いていたあなたを求めてわたしは森に向かった
水草の川をわたり森を抜けると木の葉が舞い狂い
緑の風がさらってゆく光のなか深くに小さな御影石があり
そこには誰が手向けたものか一本の野ばらと野生ヒヤシンスが供えてあった
わたしはあなたのそばにすわると水仙の花をあなたの白い手の前に捧げ
青と緑の服を着て軽やかに歩いていた今は透明な光に包まれているあなたへ
決して消えることのない想いに耽った
作品データ
コメント数 : 9
P V 数 : 1236.6
お気に入り数: 0
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作成日時 2023-05-01
コメント日時 2023-05-06
#現代詩
#縦書き
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2024/11/21 21時49分44秒現在
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頭の中にイメージとしてはあっても、 こうきちんと型に当てはめて書くことは自分には出来ないな、と思います。 神話は、現代の若い人たちにはどんな風に映るんだろう。 子供の頃、自分もなんとなくで読みましたが、今になるまでそのこともほとんど忘れていました。
0神話については、イーリアスやギリシャ悲劇、アエネーイスなどを読んだことから、型を把握することが出来ました。 従って、私の神話はどちらかというと日本ではなく、ギリシャ、ローマ的ですね。 神話を読む人は少なくなってきていて、多分、ただの作り話として受け止められていると思います。 しかしながら、創作のインスピレーションを得るに神話は相応しいものですね。
1作者様の中では人生に於けるそれは重要なことを 書かれつつ その表現にやはりほっとしながら読んでしまう自分がいます。 信頼にたる作家さんのような気がするので もっと読みたいと思う。
0田中恭平 new様の仰るように、人生は思うようにいかないものですし、衝撃を受け人生観そのものまで変えてしまうことがありますね。 ただ、それを苦いながらも美しいものとして詩の中で再現できればと思っています。 そして、遠く及びませんが、文学の名作では、人生の挫折と再生を描いたものが多いと思います。
1こんにちは。 作品拝見しました。 私は神話に関して明るく無いので詳しいことは言えないのですが、美しい情景の中に「わたし」の憧れと悲しみを表現していると感じました。 題にある「夏」というのに対して冒頭部で「北の風」「晩冬の朝」と冬を映しているのが面白いですね。
1こんにちは。 詩の冒頭部で、「北の風」「晩冬の朝」を持ってきたのは、冬に夏を想うとより一層、夏が鮮明に浮かび上がり、また、既に夏が失われていることを暗示しました。 夏に夏を思い出すのはよくありますが、それを避けたい意味もあります。 題名を「思い出の夏」ではなく「神話の夏」としたことも、美しい情景の中に「わたし」の憧れと悲しみが切実に伝わって来るのかなと考えています。
2作者プロフィールを見ていたら、「婚礼」を書いた方なのですね。お久しぶりです。古風にも思える自然物を多く含んだ景の描写に、作者の強い意志を感じます。 詩を読んでいてふと思いついたのですが、一人称・二人称になっている部分を三人称にしてみるのはいかがですか。たとえば、コメントの中でホメーロスの叙事詩の名前を挙げられていますが、叙事詩言語における、固有名詞に対していつも決まった形容辞(エピテタ)を割り当てるという特徴は、韻律の面でも、読みやすさの面でも、非常に有用な仕組みだと思います。いやあ、そういうのもアリかなと思っただけです……。なんだか嫌なコメントになってしまいました。今後の投稿も楽しみにしています。
0お久しぶりです。 描写については、オーソドックスと言うか、正攻法で挑んでいます。 そして、三人称で詩を書くとは、新鮮な視点ですね。 ただ、三人称で詩を書くのは、かなり難しいと思います。 短いものでは無理で、かなりの長編詩、叙事詩のようなものになるかと思います。 お教えくださったことは、及ばすながら、一度、挑戦したいものです。
1書簡やレターのような印象も受けたのですが、描写が迸って居ると思いました。神へ語り掛けて居る様な行。過去へ回帰して居る様な行。時間旅行ではないにせよ、永遠を志向して居る事だけは確かだと思いました。
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