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四月の白い煙
四月の白い煙 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1294.1
お気に入り数: 0
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-04-13
コメント日時 2023-05-12
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
こんにちは。 どこか寂しさを感じさせる詩ですね。 ご家族やご親族のどなたかが亡くなられたときのことを描いたのでしょうか。 十行目以降の詩句で、寂しさの内に美しさが光っています。 特に、 「雲に混じりながら 四月の空になる どこかでまた 誰かが永遠を囁く」 というところに惹きつけられました。 メロンパンがちょっとよくわからなかったのですが・・・
0>死ぬ間際 >死体 「死」という言葉ががこの作品を殺している
1読んでくださりありがとうございます。感想をもらえてうれしいです。ありがとうございます。
0つつみさん、読んでくださってありがとうございます。ご意見、勉強になります。これからも精進を重ねます。
0ちょっと前半、不穏な描写ではじまるのですけれど、>四月の空になる ここで、雰囲気が変わって、神様の登場で、マルちゃんは灰になりながらも前進する やっぱり、四月、春の雰囲気、僕はツボなんですけれど これは日本人特有のものなのかな、とか考えました。 それは、複雑な構造の文明批評なのかも知れませんが 比喩で落とし込んで、読ませてゆく、詩の力を想いました。
0コメントありがとうございます。四月の心、日本人特有なものかもしれません。詩とポエムが違うように。同じにもかかわらず。
1芦野夕狩さんがYouTubeで言及された危険な街では金属バットがよく売れるという、その表現が示す武田地球作品の本質、それってなかなか書き方が難しいんですよね。もちろん、前のも今回のも達成感はないんです。おそらく、その金属バットの表現が言い当ててる作品はチェルノブイリとペテルギウスだと思う。マルちゃんは間違いなくそうではない。では、マルちゃん系の武田地球作品は一体なぜにウケがいいのか。それは「猫」が示す同類な感覚だろう。他の作品コメント欄で三浦が言及したけども、言語はどこまでいっても他者とのコミュニケートツールでしかない。絵の具ではない。楽器でもない。道具という二義的なものを使って表現をすること。猫という名詞を使えば猫が表現されるのではない。猫と書かれていてもマルちゃんと感受する。ちなみにうちの猫はマルという名前。だからマルちゃんと書かれてあっても猫ちゃんと感受するのは不自然ではない。話が逸れてしまった。猫とマルちゃんの例は武田地球作品にあるウケる表現方法の氷山の一角で、もっと言うと、「武田地球が選んで使えば他の人が使うそれとは別物としてウケる語句になる」という現象を三浦は幾度も目撃している。例えば「あーめん」例えば「うわあ」、もっと多くの人が知る公になっている例であげれば「カンボジア」であり「ミャンマー」である。だから、よく「武田地球作品がウケるのは作品そのものよりも武田地球というアイコンがウケているのだよ」という批判は当たっている。当たっているとそう受け止めたらいい。別に悪いことではない。それは事実。私は武田地球的なる作品を匿名で投稿することによってそれを証明出来た。はっきり言って今作も前作も武田地球作品群の優劣の上位と同等かそれ以上である。私は詩の才は無いが真似することは長けている。それなのにウケなかった。つまり、常連の武田地球作品ファンは皆、武田地球というアイコンからカタルシスを得ていて、作品への感想は後付けにすぎない。繰り返すけれども、それは悪いことではない。三浦の持論「作者=作品」が立証されているのだから。 四月の白い煙 三浦果実 四月の白い煙 武田地球 四月の白い煙 匿名 この3つの行はそれぞれがまったく違う。印象がではない。まったく別物なのである。ちなみにいうと、匿名だけが「作品ただそのもの」とはならない。「匿名」なだけ。これをテキスト論者は理解することが出来ない。スピリチュアルだのと切り捨ててしまわれる。解答すると、先に述べたこと、つまり言語は道具だから。作者を見なくても、知らなくても作品に作者は必ず在る。作者の名前を「知らないで」作品を読むことは不可能なのである。黒い絵の具で塗られた黒色は誰が塗ったかわからない。しかし言語の黒は誰が書いたか知られないようにすることは出来ない。道具なんだから。 これ、一生懸命に書いたんですが、わかりましたか?
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