乱れたる世も末なりけれども
山に小さき城ありけり
城主は無双の勇将にして一騎当千の兵なれば、天下人の威令に服し候わず
右府大いに怒って、されば攻めよとて討手をつかはす
右府の軍、七日の卯の刻の矢合せと定めたりければ
七日のあけぼの、山の大手より二万余騎
雲霞のごとくに攻め上れば
搦手より一万余騎、鬨をどつと合はす
城の兵どもいつの為に命を惜しむべきかと
戦えども多くは討たれにけり
飛騨の介、さんざん首をとりて後、矢七つ八つ射立てられて立死にこそ死にけれ
さして、城は燃え落ちたり
しかれども、姫は夜陰にまぎれて逃げ落ちぬ
朝、冷たき澄みし空の下
姫は川の裾野の住人に助けを求めたり
されども、誰も庇い参らず
いやなことなり、いかにもなりたまえ
ただ一人、婆のみぞ姫を粗末な家にいれたまわる
婆、姫に粥を馳走す
姫、婆さまと田植えすること眼に浮かぶように感じそうずる
ふと見れば、囲炉裏の前にお手玉あり
そは、孫のために編みけり
姫、しばしそのお手玉にて遊べり
何ゆえに、われは婆さまの子に生まれざりしか
姫、大きなる眼に涙をため、そを嘆き悲しむ
忘れ草なら一本欲しや、植えて育てて見て忘る
されども、右府の兵、婆の家に迫れり
姫さま、早う逃げなされ
姫、戸を開け、振り返り振り返り、泣きながら逃げはしる
兵の手、姫の黒髪をつかみしとしたとき、姫、川に身を投げぬ
忘れ草をも植えては見たが、あとに思いの根が残る
数年の後、城焼けし跡はみずみずしき緑にあふれけれ
作品データ
コメント数 : 7
P V 数 : 989.9
お気に入り数: 1
投票数 : 0
ポイント数 : 0
作成日時 2023-04-01
コメント日時 2023-05-26
#現代詩
#縦書き
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
| 平均値 | 中央値 |
叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合 | 0 | 0 |
閲覧指数:989.9
2024/11/21 19時38分58秒現在
※ポイントを入れるにはログインが必要です
※自作品にはポイントを入れられません。
焦点を何処に合わせたら良いかわからなかったな 途中から姫様の描写があるんだけど あまり入り込めなかったな もっと別のテーマが頭をよぎると言うか ただ漫然と読む事が逆に作品の中に 分け入ることができるのかもしれませんがそこに写る風景の最たるものを知っているだけに其れが過ってしまって 変な感覚になりました 其れこそ俳句に収めるか もっと倍ぐらいの量で書き込んだ方が まあ両方どちらかに振り切った方が 良かったかなと思いました 海軍 中佐
0詩としてはこの長さが適切だと思いますが、まあ、擬古文で詩を表わすのはこれで限界ですね。 ただ、散文で書いた方がいいかもしれないとは思います。 俳句で詠むのは無理で、短歌ということになりますが、その場合、読者がこの話を知っている必要があると思います。
0生き死にに厳しかった昔はあわや、という時には潔く素早く死を選ばないとならなかった、というのは不幸だなぁ、と思いました。擬古文調は格調を高めるのはなぜでしょうね。草に根が残るなら人も生きて恥をかいてもどんなことがあっても生き抜ける世の中だといいです。
0かつては、話し言葉と書き言葉が分かれていましたが、その理由には書き言葉に格調を求めていたからだと思います。 そうした意味で、擬古文調は格調的になるのでしょう。 戦乱の世は不幸な死を迎えた人が多かったでしょうね。 やはり、戦争の無い平和な世の中がいいと思います。
1右府と言えば右大臣であった織田信長の事だと思うのですが、右大臣実朝と言う作品も有り、ちょっと混乱したのですが、詩の内容からいっても織田信長だと思いました。この詩では信長は背景で、姫が主人公のような感じで、それでも背景と主人公、地と図がうまく融合して居る様なそんな感じもしました。
0この作品は、源平時代の昔話(姫淵)に着想を得たものですが、それを戦国時代に置き換えていますので、右府は織田信長を指しています。 忘れ草の歌は昔話の一連の歌の一部を拝借しましたが、姫とお婆さんとのエピソードはオリジナルです。 そして、人間の儚さと自然と逞しさの対称を最後の一行に込めました。 背景と主人公が上手く融合しているとお感じいただけ、この作品を書いて良かったと改めて思いました。 有難うございます。
0返事が遅くなり申し訳ありません。 実は、私は忘れ草の咲いているのを実際に見たことがありません。 でも、忘れ草は心を打つ名前ですね。 手に取って、見てみたいと思います。 生きていると、楽しいこと、辛いこと、いろんなことがあります。 その時に、忘れ草を見たり、お茶にして飲むと、少なくとも、辛いことも懐かしいものに変わるのかもしれません。
1