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私の愛が31字に収まるとでも?
私の愛が31字に収まるとでも? ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 1407.4
お気に入り数: 3
投票数 : 4
ポイント数 : 0
作成日時 2023-03-01
コメント日時 2023-03-23
項目 | 全期間(2024/12/27現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
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構成 | 0 | 0 |
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叙情性 | 0 | 0 |
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可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
1首目の「わたし鏡」 2首目の「秋に酔わず」 3種目の「それは」3連続 ちょっと意図が見えづらく、もう少し工夫の余地があるように感じます。 いやなにも意図が見える必要はないのですが、ただの引っ掛かりの様に私には感じられてしまいました。 31字に収まらない愛を見たいです。
0花火らっていいですね。 花弁(はなびら)じゃなくて。
0少しワード優先でやり過ぎました。意図の作り込みが足りなかったかもしれません。 「わたし鏡」は相手から受けたものをそのまま相手に返すという表現です。この場合は優しさを返してます。
1春と夏の象徴をまとめて表現したかったのでこのような言葉になりました。 褒めてもらえて嬉しいです。
1秋→シュウ→シュ→朱 と連想させてくれる二首目がすき。
0短歌への苦手意識を飛ばす為の意気込みです。
0ありがとうございます。この歌は結構自信作だったので褒めてもらえて嬉しいです。
0短歌ですね。挑発的なタイトルですが、57577の秩序は守っているようです。プライドの高い女と言うよりはむしろ自分の美貌に自信があるだけなのかもしれません。
0何処か醒めた視点(秋に酔わず、等)が包括為されていらっしゃる処、夙に第三首の畳み掛けるかのような叙述に、確かな理性と客観性、歌の抒情性に溺れず、 歌の手綱を搦めて見せよう、という意志と可能性を覚えました次第でございます。
0口紅の穢れが 身に心に染みます 自分の性が憎く 愛おしいです
0モチーフが与謝野晶子なので、自信満々な気高い女性をイメージしました。
0この短歌を書くときに一番気にしてたのは酔わない事でした。恋する自分に酔うような短歌は書きたく無かったので、最後まで意思的に書きました。
1いくら恋を自由に楽しもうとも、後から思えば全部恥の上塗りのように感じる。そんな短歌です。それも愛おしいと思えるのは素敵な感性です。
1秋の恋 されど私は 秋に酔わず この恋心 季節を超えて これ、いいですね。
0ありがとうございます。 一つの季節に執着する短歌や俳句に疑問があったのでこのような表現になりました。恋に季節は関係ありません。
0わたし、芸事とか表現とかの全てがよくわかんないんで、自分が考えること、けっこうハズレてると思うんですけど、コメント書きます。 おそらく、短歌は(短歌だけでなく縛りのある表現手法全般にいえることかも)、地が出るんだと思うんです。これ、平たくいうと、せかされた時とか、やばい危機一髪な時ってその人の性根が出やすいのと同じで。いやいや、そんなことないない、自分は自分のこととか完璧に隠せるしテクニックだけで書けますからって、そう言う自己認識を示す人の作品にかぎって、けっこう書いてる時の作者の思考が手に取るようぬわかるというか、特に「美しくみせたい、読ませたい」という承認欲求は、文書がある程度読める人は直ぐに感じちゃうんですよね。読めちゃうんです。こういう、インテリ系の頭が良いと言われる人たち、わたしは嫌いなんです。傲慢さがそういう人たちにはあるから。でもそれは置いといて、他人な作品、優れてるのも劣っているのもたくさん読んでれば、作者が書いてる時の思考ぐらいわかるようになるんですよね。で、何がいいたいか。「この人、なんのために書いてるんだろうか」が大事なんだと思うんですよね。特に短歌はその何のために書いてるかがすべて。そう思うんですよね。本作、わるくはないんだとおもうんですけど、なんのために書いているのかが煮詰まりきれていないんじゃないかと思いました。
0長いキャリア故の的確なアドバイス。ありがたいです。 変な話、私は救済のために詩を書いています。自分や他人、広く言ってしまえば世界を救いたいとさえ本気で考えています。端的に言ってしまえばメサイアコンプレックスです。 しかし、そういうエゴを剥き出しにして詩をかけるほどまだ器も大きく無いので、地の部分が出る短歌や俳句に苦手意識がありました。 私はインテリというわけでは無いのですが、ある意味傲慢と承認欲求を動力としている部分があるので、それを読んでとられるのを恐れているんです。ですが、己を剥き出しにして詠むのが短歌だと短歌の勉強中に学んだので、勇気を出してやってみたいと思います。 何のために書いているのか煮詰まり切れてないというのは、書いてくださいと言われて手探りの状態で書いてるので、仕方ないとしか言えません。これから何のために書くのかよく考えたいと思います。
03月ってまだちょっと早いけど、でも春だと思うんですよね。なんだろう、今年の3月ってひなただと20度いってるんじゃないかって思うくらいすごい暑かったんですけど、そういう時期って秋のこと思い出すと思うんですよね。実は私の考えだと、人間って春になると秋のことを思い出すし、秋になると春のこと思い出すんです。しかも、ちゃんとは思い出さないんですよね。人間ってなんか、いちいち気温とか覚えておかないし、肌感覚であったかかったとかさむかったとかすぐ忘れちゃう。だから、そこはかとなく、なんとなーくエモい気持ちになる。その正体って、ちゃんと理由があって、懐かしんでるんだと思うんですよね。春になったら、冬が来る前にあった季節のことを思い出して懐かしんでいるんだと思う。そういう不明瞭な思い出しの作業って、なんか遠い過去を思い出すのに似てるから、脳が勘違いして、エモい感じがするのだと私は考えています
0どうも、こんにちは。 作品、拝読しました。 二首目、のびやかに広がっていくさまを想像し、爽快だなと感じるほどでした。 どこまでも突き抜けていく、力強さを感じました。 三首目の、花火ら。 剽窃したくなるほど、魅力的な言葉だな、と感じました。
0短歌ですね。「私の愛」と言うアポリアとは言って居ませんが、短歌の限界を見極めたかったのかもしれません。結局愛は恋に繋がるのかもしれませんが、短歌の象徴性、短歌の限界に挑みたかった作品なのではと思いました。
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