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喪失の窓
喪失の窓 ポイントセクション
作品データ
P V 数 : 934.7
お気に入り数: 0
投票数 : 1
ポイント数 : 0
作成日時 2023-02-13
コメント日時 2023-02-18
項目 | 全期間(2024/11/21現在) | 投稿後10日間 |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
エンタメ | 0 | 0 |
技巧 | 0 | 0 |
音韻 | 0 | 0 |
構成 | 0 | 0 |
総合ポイント | 0 | 0 |
平均値 | 中央値 | |
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叙情性 | 0 | 0 |
前衛性 | 0 | 0 |
可読性 | 0 | 0 |
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※自作品にはポイントを入れられません。
- 作品に書かれた推薦文
いつか死ぬとして この最初の一文にこの作品の世界観が凝縮されてると思うんですよね。 なんだろう、若い人って死なないんですよね。それってもちろん比喩なんだけど若いときの死って正真正銘なにものでもなくて、おとぎ話なんですよね。いつか死ぬとして、なになにだったとして、という音の近さから実際の語法はともかく仮定的な響きがあって、それがこの語り手のもつこの世界への不確かな視界を表現していると思います ぶん投げた円盤がとんでいく、その手元のことだけが物質世界のリアルさを持っていて、飛んでいった先はものすごく抽象的であるということ
0中に主語を「わたしたち」とされている箇所が2つありますが、語られていることは皆に共通する内容でありながらあくまで個人語りというのがいいなあと思って読んでおりました。 個人的な情感を書きながらここで主語が「わたしたち」と人類一般のようになってしまうのは少し勿体ないなあと感じました。
0いすきさん、こんばんは! コメントありがとうございます。 最近、私自身よく感じることは人生への諦めと生きてゆくという行動への惰性感です。 近年、ネットフリックスや、Yotubeのような動画配信サービスは再生時間が表示されているし、いつ終わるかも明確で、久しぶりに映画館で映画を観たらあまりにも長く感じでいつ終わるのか分からなくてとても不安になりました。 終わりが見えることへの安心ってある種麻薬的に思えました。 この詩でいう、円盤の飛んでゆく先は死です。 そして、その距離は、どれぐらい生きられるかという時間を示しています。 ひたすら繰り返し歩いてゆくのか、あるひプツリとこと切れるのか。 わからないから、大事な人が死ぬ時手を握ってくれているような人生を送りたいな、とそんな気持ちで綴りました。 興味を持って読んでくださり、 素敵なコメントを頂けて嬉しかったです。 ありがとうございます。
0かずやさん、こんばんは! コメントいただきありがとうございます。 死生観って一定数は普遍性を持っているものかと思っていましたが、かずやさんからのコメントにハッとさせられました。 ただ、味方がいてくれたら嬉しいと思います。 なので「わたしたち」となったのかもしれません。 だるく寂しくいきてる仲間が、最期幸せだと嬉しいなと思いました。
1ABさん、こんばんは! コメントありがとうございます。 んんん、となっていただけて嬉しいです。 不確かな今が不安なのですが、人との関係性って蓄積でしかないかなと思ったり。 冷めちゃってるんですが、希望も持っちゃったりなんかして、つくづく矛盾した環境がわたしは好きなようです。
0普遍性を持った考えであっても案外、皆自分に固有の考えだと思うものかも知れませんね。 面白いやり取りありがとうございます。
1はじめまして。 ここから投げる円盤は、未来への視線の隠喩でしょうか。 我々が見ることのできる範囲は本当に狭くて、見えない未来を信じて日々を生きることは、とても難しいことですね。 ですから「幸せ」とは、常に後になってからわかるものなのかもしれません。 未来は見えない、最後の瞬間はいつ訪れるかわからない。だから、そのときひとりきりでないことは、もう祈るしかありません。 今生きることの、そして未来への不安や戸惑いのようなものを感じます。 特に4連目と5連目の表現が美しいと思いました。
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