だから、揚げ過ぎたコロッケ食っとるんや
キャベツなんて高過ぎて買えんしな
なぁ、野菜くれんか、屑でええから
えぇっ、無理なんやろ、わかっとんや
そんなもんやから
あのキャベツ畑に行ったんや
死体でも
転がってそうな夜やった
あそこらは昔、コレラの患者がようさんでた
ひい爺さんは焼き場からあぶれた死体の前で
脅しの番をしとったんや、親族でも近寄れん
ほんまのとこ死体かわからん
生きとるんか死んどるんか
ビクビクしてたんやないか
番に立つ爺さんが一番怖い
もうそんなん、皆んな忘れて、あの角の地蔵さんが
おどしの地蔵さん言われて病い快癒の御利益としか
言われんのやからなぁ、世間なんてそんなもんや
カラス除けのビニール ぱらぱら
畑の夜を叩いて地面に顔出しとる
キャベツが黙ってこっちをみとった
なぁ、あんたもそんなもんやと思うやろ
狩られて出荷されて喰われるだけ、ひとつぐらい
俺がもうて何が悪いんや、なんしても変わらへん
キャベツの首をひとつふたつ、みっつ目を
手にして顔を上げたときに菜の花がみえた
綺麗やなぁ、蝶々がようさん、俺も、
あんなかの一匹やったかもしれん、いまや
蛾やけどな、一匹逸れて、我をはってな
空を飛べたんはいつの事やったやろなぁ
蛾がぱっとお月さんに当たって消えたら
背筋がな、ピシャリと伸びてしもたんや
グェ、グェェグェッェェェ、ッ、ッッ……
蛙がないたんか、手から落ちたキャベツに
足打たれて俺がないたんか、わからへん
キャベツというキャベツがこっちをみとる
葉に隠された眼、あれは、誰の眼なんや
堪忍や、堪忍やで、堪忍や……
なんやお月さんに叱られとう気がして
もうがむっしゃらに走って逃げたんや
ほんで二十二円のコロッケ、食べとんや、なぁ
兄さん、悪いことはやっぱりできへんもんやな
ハゲ鷲みたいな爺さんは
ひとのビールを飲み干し
ゲップしてひとの手羽先
骨までしゃぶるしゃぶる
キャベツ食べ放題、
終了のお知らせが貼られ
注文をしてないコロッケが
まぁるい月みたいに置き去られ
齧れば三日月がみえる
揚げすぎたコロッケ食っとんや、水槽の蛙が
げぇぇぇこ、爺さんはいつの間にか、いない
作品データ
コメント数 : 21
P V 数 : 1657.0
お気に入り数: 0
投票数 : 7
ポイント数 : 0
作成日時 2023-01-05
コメント日時 2023-01-15
#縦書き
項目 | 全期間(2024/12/22現在) | 投稿後10日間 |
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閲覧指数:1657.0
2024/12/22 01時03分00秒現在
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ブルースやな。なかなかよいね。やっぱにいちゃんはこっちやろな。
0キャベツの切断面が脳髄に似ている事に最近気が付きました(今更)。 つまりあれは疫病死の頭蓋であり、それを遮二無二齧っているのが我々なのでございましょう。
0ブルースなんてなかなか書けやせんのよ。辛酸舐めて煮詰めて死にかけたら体験を笑い飛ばせねぇと。でも書いてみたいわ。冬の河に足を踏み入れる気持ちはまだ自分にあんのか、わからんのよね
0こないだ、脳のCT画像何枚もみてたんすよ。一人一人、それも違うんだけどでも、脳髄だけみてもひとはわかりませんね。と、いうか脳科学者とかの書いてるもんがあてになるのかならないのかわからんけど、殆どあてになんねぇんじゃないかと感じました。しかし、たしかにキャベツの断面て脳みそおもわせますね。またひとつ真実へと近づいていってるのかもしれませんね。
0土着感というか昭和、戦後まもなくの感じでしょうか、土臭くて、その泥の匂いの感じがいいですね。詩という一服の個性を感じました。哀愁とこっぱ強さ。逞しさ。事物がブンブン匂う感じ。お上手なんだと思います。
0いいですね。 懐かしいワードを並べてあると、思いきや、新しさ、飾らなさがある詞だと思いました。 不思議な新しさを生み出せるという感覚に憧れを感じます。
0おどしの地蔵と言われていたのは事実でしょうか。すごい話だと思います。三上寛の歌に「赤子抱えた泥棒よ、キャベツ一つ盗むのに涙はいらないぜ」というのがあります。しかし、すごい詩だなぁと思います。ほばさん以外には書けないかと。
0こんばんは。 この語りをさせるにあたって僕自身が自然に疑いなく書けるのってやはり自分が主に生きてきた生活圏の言葉なんですよね。一般的なイメージとしての標準語と比較して方言が素朴で温かいみたいな話ではなくて、生きた体験を第三者から聴いた自らの体験から来るものだと思います。俗ですが肌で感じたものが、詩としてちゃんと現れてくれたのでしょう。 映画、もし覚えておられたらタイトルを教えていただけると嬉しいです。
1そうですね。令和に生きようが圧倒的に僕の生活のなかには昭和を生きた方々の言葉が溢れています。嫌でも影響されますし、単純な昭和レトロが好きみたいな感覚ではなく大正も昭和も平成も令和も当たり前だけど一続きなんだよなぁ、と最近、思います。寅さんが好きな自分と(今は違うけど)村上春樹が好きな自分もいました。 関係ないけど、寅さんと森見登美彦さんの小説てなんか通底するものがあってそんなものをみつけるのも楽しみです。纏まんないですがコメントありがとうございます。
0どうも。新しいことやろうとして、足掻いて失敗してまた前の地点に戻って書いてみると失敗した経験が何がしかの意味を持つようで、それが新しいと感じて貰えるものになったのかもしれないですね。
0こんばんは。過分な褒め言葉ありがとうございます。おどしの地蔵さんは実際に地元の民話として蒐集されたものと、僕がそれについて見聞きしたものが混じっていますが実際の話です。コレラが流行した年は忘れましたが、まだ土葬から火葬に変わり始めた頃で焼き場が少なかったそうです。
1マグノリアの監督ですね!これは腰据えてみたいな。しかし、キャベツ畑て色んな作品で使われてるんだろうか。何かあるのかもしれない。クヮンさんありがとうございます。
1ほばさんの作品って難しくて読めないことが多いのですが、なんだろう、ヤクザの親分みたいなふところの広いの作品。すみません、ライコメです。世間なんてそんなもんやっていうのが、ああやっぱりそうなんだなあって。生きた証とか、そんなもん、どうだっていいんだ。
0難しいです、か。色々試してましたからねぇ。こんな感じの書き方が本来のスタイルに近いと思います。 ヤクザの親分 笑。いや、こういう思いもよらない表現の感想は自分の言葉で書いてくれているのが伝わってきますね。ありがとうございます。良い意味でどうだっていい、と言えたら最高だ。
0今日、コンビニで五個入り百八円の冷凍コロッケを買ったんですが、今こちらの詩を拝読して、冒頭からコロッケが登場した事に親しみを覚えました。 しかも二十二円との事で、(私が買ったのは、こちらの詩中のものより小さいサイズかもしれませんが)一個の値段なのであれば、これまたかなりの偶然だなぁと勝手ながら思いました。 地蔵って、触らぬ神に祟りなしというとニュアンスが少し違う気もしますが、イタズラなんてもっての外の厳かな存在、単なる置物とは一線を画す怖さと優しさを具有するものという印象が、昔話の影響等もあってか、物心ついた頃からあるなぁと思いました。 食物、死、無機物、生物の様子が、土の感触をしっかり携えて描写されていて、三浦果実さんのコメントに便乗してしまいますが、ブルースフィーリングを抱きました。
0内容は素晴らしいと思うのですが、日本語がうますぎる一人劇を見ているような、そんな他人の気持ちになりもしました。酔っぱらっているはずなのに(あれ?酔ってませんかね)何度も練習を繰り返し、ほころびがない台詞まわしというか…。 その他は語りの腹が据わっていて心地よく読めました。
0ブルースか、ブルースほど難しいものはなくて、日本でみるブルースはブルースぽさに回収されているようにも思います。でもブルースが好きな僕としてはそのように読まれたのは何か嬉しさもありますね
0どうも。実はこないだまでは16円のコロッケもあったんですよね。原材料費の値上がりのせいか消えましたが。そういえば、誰だったかブルースによく出てくるのはじゃがいもだとか言ってました。貧しいものの財布に優しいからでしょうか。日本では玉子もようやく値上がりをはじめました。今を持ってじゃがいもがそうした位置づけになるかはわからないですが。現代には現代のブルースにあった食べ物があるんでしょうかね
1あぁ。そう言われたら酔ってますかね。ビール出てくるし。言われるまで気づきませんでした。しかし、爺さんなんていたのかなぁ。そんなことを読み返して思いました。
0なるほど…。酔っていてもはっきり喋る人もいるし、記憶にはなくても爺さんはいたのだということですね!
0語りの詩と言うのか、口語体が印象的でした。民話的と言うのか、民俗学的と言うのか「蛙」が印象的でしたね。キャベツなど印象的なアイテムと言うのか、食べ物が、そもそもがキャベツ畑が始まり。死体や、番人の爺さん。おどしの地蔵さん。姿を消した爺さんはどこに行ったのか、「羅生門」を内容的にはともかく、思い出しました。
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